09 登校デート
月曜日の朝。
なんとも面倒な一週間の始まりである。
まだ夏休み気分が心のどこかに引っ掛かっているのだろう。いまいちやる気が出ない。
なんとか惰性で冬休みまで乗り切って、次は正月ボケで春休みまで乗り切ろう……
俺が欠伸をしながら玄関の扉を開けると、そこには猫と見つめ合う胡桃の姿。
あのサビ猫は最近この辺をうろついている奴だ。やたら警戒心が強く、俺もまだ触ることに成功していない。
……サビ猫はゆっくり伸びてくる胡桃の手をじっと見つめている。そして逃げるでもなく、興味深げに手の匂いを嗅いでいる。
ついに難攻不落の猫が堕ちるのか?
固唾をのんで見守る俺の目の前――
カプ。
噛まれた。胡桃の奴、手をマジ噛みされている。
それでも胡桃は諦めない。空いた手で猫を撫でようとする。
――が、サビ猫は素早く身をひるがえすと、そのまま姿を消した。
残されたのは手に歯型をつけて涙目の胡桃だ。
「おはよう。惜しかったな、次は行けるぞ」
俺は玄関の鍵を閉めると、通学鞄を肩にかけ直す。
胡桃は噛まれた手をブンブン振りながら、俺に向き直る。
「おはよー、遅いよ達也。急がないと遅刻するよ」
「本当だ。じゃあ俺、学校行くから」
「いってらー……って、私も一緒の学校だよ!」
教科書通りのノリ突っ込み。わざわざ玄関で待ち受けていたということは一緒に登校しようということだろう。
面倒くさそうな俺の態度に胡桃は頬を膨らませる。
「ほら、登校デートしようよ。周りに見せ付けてやんないと」
「別に無理して一緒に登校しなくてもいいんじゃないか」
「え? だって付き合ったら手を繋いで登校したり……」
「うちの学校で、そんなことしてるカップルいるか? それに俺とお前が手を繋いでも、兄が妹を送り迎えしてるっぽくない?」
「あーもう、私の彼氏は文句ばっかりだよ! じゃあ、腕とか組めばいいじゃん!」
胡桃拗ねた。なんか石とか蹴ってる。
腕組みかー、高校生が登校中にするには胃もたれしそうな印象だ。
「まあ人通りの無い道なら、手くらい繋いでもいいけどさ」
「うん! じゃあそれにまけといてあげる!」
嬉しそうに俺の手を掴むと、グイグイ引っ張り歩き出す胡桃。
こいつと手を繋ぐなんて今更ではあるのだが。高校生にもなって手繋ぎで登校というのも何だかこそばゆい。
……いや、かなり恥ずかしいぞ。
「――それでさ、蛭子さんがカレーを食べるのが遅くて路線バスに乗り遅れて――」
「へー、そうなんだ」
「……聞いてる?」
全然、聞いてなかった。
俺は生返事で返しつつ、今の状況を整理する。
……手を繋ぐのは周りに見せつけるためだよな。
なのに人目に付かないところでだけ手を繋ぐって、むしろ逆なんじゃないか?
そもそも付き合ってるふりをするために手を繋いでるわけで、見られなきゃ単に人目を忍んでイチャついているカップルなんじゃ――
ぐるぐるとそんなそんなことを考えていると、胡桃の足が止まる。
「――ねえ……ねえってば、達也」
「……ん? 悪い、ちょっと考え事を―――っ!?」
周りを見ると、すでに学校の玄関。
胡桃と手を繋いだまま立ち尽くす俺を、学校の連中がチラ見しながら追い越していく。
胡桃がニヤケ顔で俺を見上げる。
「クラス違うから、寂しくても手を離さないと。ね?」
◇
「おはよー」
教室に入った俺は、適当な挨拶を投げると自分の席につく。
さて、今日の一限はなんだっけ。
「おはよう市ヶ谷。見たぞ」
待ち構えていたかのように俺の向かいに腰掛けてきたのは友人の馬場園だ。
四角い眼鏡をグイと押し上げ、俺を正面から睨みつける。
「おう、おはよう。見たって何をだ?」
「D組の菓子谷胡桃……お前、手を繋いで登校してただろ」
「っ! お前、それは―――」
言いかけて俺は黙る。
付き合ってるフリをしてるんだから、見られて困るわけじゃない。
俺はしれっとスルーするとカバンを開ける。馬場園は目ざとくキーホルダーを凝視する。
「……市ヶ谷。なんだこれは」
「え? ああ、胡桃とプリクラ撮ったらつけられちゃって。……ったく、胡桃の奴にも困ったもんだぜ」
言ってみたかったこのセリフ。彼女持ちの男が自虐風自慢をする時にする奴だ。
それを聞いた馬場園のメガネが怪しく光る。
「―――忘れたか、市ヶ谷よ。俺とお前の桃園での誓いを」
「……は?」
「確かに誓ったではないか。我らは性癖、押しキャラは違えども、三次に浮気することなく二次に死すことを願わんと!」
「いや……そんなん誓ってないぞ」
……こいつ、朝っぱらから何を言い出すんだ。
呆れる俺に向かって馬場園が身を乗り出す。
「つまり、お前と菓子谷さんは付き合い出したのか?」
「んーまあ、そんなとこだな」
「! いくらなんでもまずいだろ。高校生が小学生と付き合うなんて!」
はい? 小学生って胡桃のことか。
―――というか人聞き悪い。変な視線が俺に向けられているぞ。
「いやお前。胡桃は高校生で、そもそも同級生だぞ?」
「見た目が小学生なら、小学生として扱うべきだろう! 菓子谷さんは俺の中では名誉小学生なんだよ!」
「……お前。金輪際、胡桃に近付くなよ」
全く、度し難い奴だ。
無視して一限の教科書を取り出していると、なぜか俺の机の周りに人だかりが。クラスの男子共が俺を取り囲んでいるのだ。
「……お前らどうした」
「市ヶ谷……さっきの話、本当か? 菓子谷と付き合ってるって」
「ああ、そうだけど」
「「っっ!!」」
次の瞬間、俺を取り囲む男子共に異変が起こる。
ある者は膝から崩れ落ち、ある者は教室から飛び出した。涙を浮かべて抱き合うのはクラスのイケメン二人組だ。
待て待て。胡桃のファンこんなにいたのか。俺のクラスの男子、どいつもこいつもロリコンだ。
……クソ、すっかりロリコンに囲まれてやがる。
「市ヶ谷、見損なったぞこのロリコン」
「全くだ。お前だけは菓子谷に手を出さない紳士だと信じてたのに」
口々に俺を責め立てる馬鹿男子達。
「待てよ、なんで俺が責められてんだ?!」
とんだ濡れ衣だ。とはいえ本当は付き合っていないとか、今更言えないし。
俺は手の平をポンと叩く。
……良く考えればこんな奴らの評判などどうでもいい。
問題はクラスの女子の反応だ。これだけモテモテの胡桃の彼氏(偽)である。さぞ、俺のことを見直したに違いない。
俺はこっそり女子に視線を送る。
……予想通り。女子の集団は遠巻きにこの騒ぎを眺めている。
きっと俺の良い噂に違いない。悪いが俺は一人しかいないんだぜ?
「菓子谷さん可愛いけど……付き合うって……」
「……マジ引くよね」
「私、ロリコンはちょっと無理だわ……」
――っ!?
何故だ。話が違うぞ。
モテる女と付き合った男はモテるようになるんじゃなかったのか!?
俺が頭を抱えていると、机の端から小さな頭がひょこりと現れた―――