58 幸せへのStep
———胡桃宅。テスト前、二人の勉強会。
胡桃のノートに書かれていた謎の落書きに、俺は思わず首を傾げた。
『幸せへのStep! 1 to 10!
Step1 ——— まずはChu~ から始めよう!』
……?
訳が分からん。
これが一体、テスト勉強になんの関係があるのか。
Chu~って、ひょっとして……?
俺がマジマジとノートを眺めていると――
「わきゃっ!!」
胡桃の叫びと同時、大量のお菓子がノートにぶちまけられた。
見たところ、お菓子のメーカーはブルボン5割、明治3割、その他2割で構成されている。このバランス感覚は俺も認める胡桃の長所である。
「……見た?」
「ん? 見てないよ。お菓子ちょっともらっていいか」
俺は見てないふりをすると決めた。高校生にもなれば人には見せられない物の5個や6個はあるものだ。
なにしろ俺に至っては、スマホの中も含めれば桁が二つは変わってくる。
「そ、そう? お勧めはやっぱホワイトロリータだね」
「あー、俺はルマンド派だな」
「達也食べるの早いって。あ、たけのこの里は残しといてよ」
二人でお菓子をモサモサ食ってると、再び現れるノートのChu~の文字。
……二度目は流石に看過は出来ないな。
「そういや何なんだ。このStep1とかChu~とか———」
「はいっ?! ちっ、違うって! そんなんじゃなくて!」
「違うって何が?」
「そのっ、ちゅ、ちゅうって……中学生! 中学生って意味だし———」
「なるほど、中学生って意味か」
……いや、分からん。
中学生並みに背丈を伸ばすべく、煮干しでも食おうというのか
「ほ、ほら、私達も高校生でしょ? だ、だから、中学生からステップアップと言うか………」
「ステップアップ?」
指先を合わせながらモジモジする胡桃の姿に、俺にもようやく合点がいった。
……まあ確かに。こんなこと口に出して言うのは恥ずかしいのは良く分かる。
「胡桃、無理に聞いて悪かったな」
「え? う、うん、分かってくれれば……」
「じゃあ早速しようか」
俺の言葉に胡桃が文字通り飛び上がる。
「へぁっ?! い、今から? 急すぎない?」
「今しなくていつするんだよ。俺を部屋に呼んだってことは、最初からそのつもりだったんだろ?」
「つもっ……? い、いや、そうと言えばそうだけど」
「じゃあ早速見せてくれよ」
「達也!? 見せるのはStep3だから! 順番だから!」
頭から湯気を上げながら、ワタワタと手を振る胡桃。
さっきから顔色がくるくる変わってる。この挙動不審、一体どういうことなのか。
「いやまあ、恥ずかしいのも分かるけどさ。おばさんにも頼まれたし、俺に任せろよ」
「母さんに?! ちょっと待って、親公認ってStep5なんだけど!」
「……なに言ってんだ? んなもん今更Stepも何も無いだろ」
「待って待って! 心の準備と言うか、そこまでとは思ってなかったから覚悟がまだだし、日を改めて———」
覚悟? こいつ、頭の中がすっかり混線してるぞ。なんの話をしてるのだ。
「だから中学の教科書見せてくれって。あるんだろ?」
「……へ?」
「? 中学生からステップアップってお前が言ったんじゃん。中学の数学からやり直すってんなら付き合うぞ」
それまでのおかしな挙動はどこにいったのか。
胡桃は目をパチクリさせて首を傾げる。
「……あの、母さんに頼まれたってのは?」
「おばさんに胡桃の勉強見てくれって頼まれてんだよ。ほら、数学をどうにかするぞ」
胡桃はあおむけに床に倒れる。
「うわーうわー、達也が焚火越えて来たかと思った。焦ったー」
「だから何言ってんだってば。早く勉強するぞ」
「はーい」
まったく、勉強一つさせるのにこんな苦労するとは。
「はい、これ中学の時の教科書と参考書。いくら私でも、これなら平均点くらいは取れるよー」
「中学生の問題で平均点はヤバいだろ」
胡桃は鼻歌混じりにお菓子に手を伸ばす。
俺はお菓子を遠ざける。
胡桃が回し車を取り上げられたハムスターのような眼で俺を見て来る。
「終わるまでお菓子は我慢な」
「……ガチ系?」
「ガチ系です」
俺は真顔で頷いた。
胡桃よ。お前がこれを乗り越えないと俺のテストもヤバいんだ。
——————
———
胡桃は目を輝かせてシャーペンをノートに走らせる。
「おおー、凄い! 参考書で出たやつだ! 解けるよ!」
「そりゃ、今解いてるのその参考書だからな」
……とはいえ、さっきまでは全然分からなかった問題が、二度目とはいえ自分で解けたのだ。中学二年からの復習は功を奏したようである。
「胡桃、頑張ったな。じゃあ俺も自分のテスト勉強あるから」
「えー、もっと一緒にやってよ」
「まずは範囲内の基本問題を一通り解きなさい。分かんないとこあったら最後にまとめて教えるから」
「はーい」
ご褒美の黒豆煎餅を齧りながら、ご機嫌で問題を解く胡桃。
ようやく俺もテスト勉強を始められる。
しばらく黙ってシャーペンを動かす時間が続く。
数学のテスト範囲を一通り復習し終えた頃、胡桃も参考書の基本問題を全て解いたようだ。
「ちょっと計算間違いもあるけど、範囲内の基本問題一通り解けたじゃん。えらいえらい」
「えへー、褒められたー」
撫でろアピールして来る胡桃の頭をワシワシとかき回す。
この調子なら、苦手の数学も平均点くらいは取れるんじゃないだろうか。
「………ん? なんか頭が熱いぞ。しかも顔赤くないか?」
「うな? 達也、くるくる回ってる? ねえ、どうやってんの?」
「回ってるのはお前の目だ。おい、大丈夫か?」
……そういやこいつ、沢山頭を使うと熱出すんだっけ。
とにかく胡桃をベッドに寝かすと、改めて額に手を当てる。熱は結構高そうだ。
「ほら、ポカリ薄めたの持ってきたから少し飲め」
「えー、Qooがいいー」
「後で買ってきてやるから。はい、ごっくんして」
「すぐ病人扱いするー」
「だって病人だし。はい、お口拭きまーす」
「むいー」
下手に元気なのが面倒くさい。
寝かしつけようとすると、赤い顔の胡桃がむくりと起き上がる。
「……お腹空いた」
「さっきまでお菓子食ってなかったか?」
「桃缶食べたい……台所の戸棚にあるから食べさせてー」
全くもう。
桃を一皿ぺろりと平らげた胡桃を見て、内心ほっとする。
これだけ食欲があるんなら、寝れば明日にはケロリとしているはずだ。
「はい、ごちそうさま。皿片付けてくるな」
「汁残ってるから飲むー」
「お前、虫歯になるぞ。あー、ほらこぼれてるって」
ようやく満足したのか。あくびをして布団に倒れ込む胡桃。
「こら、歯を磨かないと虫歯になるぞ。立てるか?」
「無理ー、もう寝るー」
「乳歯はすぐ痛くなっちゃうから。ちょっと待ってろ」
俺はコップと歯ブラシ、洗面器を持ってくる。
「さあここで磨いて。口ゆすいだのは洗面器に出していいから」
「うー、達也磨いてー」
「マジか」
仕方ない。少し迷って胡桃の歯を磨いてやる。
「ぬあー くすぐったいー」
「こら、あんまり動くと垂れるって」
……この光景、ちょっと他の人には見せられない。
「はい、グチュグチュペッして」
「えー、やだー 恥ずかしい」
「こら飲むなって」
歯ブラシと洗面器を洗って部屋に戻ると、胡桃はすっかり夢の中だ。
首筋に手を添える。
熱はまだあるようだが、うなされている様子は無い。
「……やれやれ。おばさん、いつも大変だな」
ベッド脇に腰掛けると、スマホをチェック。
胡桃母には既に連絡済。タクシー拾ってすぐに帰る……と返事があったけど。
昼間は意外とタクシーつかまらないしなー……ん?
「……って、おばさん。なにやってんですか?」
扉の隙間から覗くのは、胡桃母の大きくも小さな瞳。
ひょこりと顔を出した胡桃母はこくりと頷いた。
「……達也君、いいのよ?」
……なにが?
「おばさん、帰ってたんなら声かけてくださいよ」
「うふふ。ごめんね、いいとこだと思って」
胡桃母は胡桃の頬に手を当てると、布団を肩までかけ直す。
……胡桃母、見た目は妹を気遣う姉である。
横ストライプのニーハイソックスを穿いてることとか、それがやたら似合ってることとかはこの際置いておこう。つーか何の用事で出かけてたんだ。
「すいません、台所とか色々使わせてもらいました」
「達也君、こちらこそありがとね。胡桃、すぐ熱出すけど明日には治るから」
「安心しました。あと結構汗かいてるんで着替えさせてあげてください」
さて、胡桃母が戻ってきたなら長居は無用だ。俺は参考書をカバンにしまう。
「俺帰りますけど、何か出来ることあったら言ってください。買い物でも掃除でも手伝います」
「あら、助かるわ。薬を切らしてて買いに行かないと」
胡桃母、嬉しそうに手を合わせる。
「それじゃ俺が」
「じゃあお願い出来る? おばさん薬を買ってくるから、達也君は胡桃の身体を拭いてあげて?」
「……逆ですよ? 俺、薬を買ってきますから」
「胡桃のことなら気にしないで。責任さえとってくれればそれで構わないから」
重い……。ただの看病がいきなり重くなった。
胡桃母が何故か俺の手を握ってくる。
「おばさん、達也君みたいな息子なら歓迎よ。もう一人男子高校生くらいを生んでみたかったなって思ってたし」
「美鶴君が育つのをもうちょっと待ってください」
……いかん。ここままだと胡桃母のペースにひきずりこまれるぞ。俺は強引に手を離す。
「薬ならこないだ封を開けたのがあるので持ってきます。それじゃまた後で!」
なんとか菓子谷邸を逃げ出した俺は我が家に帰宅。
ほっと息をつく。
……薬はトト子に届けさせよう。アイスでもおごれば喜んで死地に向かってくれるはず。
そういやあいつ、傷心のお菓子パーティーを開いてたよな。
流石にまだ食い続けてはいないだろうが———
「お兄……お帰り」
ソファの上、トト子が膝に抱えたアイスのパーティーボックスにスプーンを突き刺している。
「まだ食ってたのか。直食い止めろって言ったじゃん」
「お兄、今日だけは許せ。親がYoutuberデビューした子の気持ちなど、お兄には分かるまい」
「俺の親でもあるんだけど」
トト子が俺にiPadを突き出してくる。
「親父の動画、そんなにあんまりだったのか?」
「両親が砂糖舐めながら空腹を耐える光景とか……見たくなかった」
スプーン大盛のアイスを頬張るトト子。
……うん、それは俺も見たくない。
「15本の動画の大半が最後はガチ喧嘩で終わるとことか、酷い喧嘩をした次の動画がやたらラブラブなこととか……見たくなかった」
「……俺も聞きたくなかった。つーか15本も動画上げてるのか」
受け取ったiPadで確認すると、どの動画も10万再生を超えている。
……地味に中堅Youtuberとして活躍してやがるぞ。通報とかしてアカウント削除できないか。
「あれ。なんか16本目の動画が上がって無いか?」
「?! お兄、私にも見せろ!」
トト子が俺の背中に覆いかぶさってくる。
『はい、今日はですね! 狩猟免許を取得しましたので!』
『獣を捕えて、採れたてジビエを子供達に送ろうと思います!』
え、なに言ってんだ。そんなもの欲しくないぞ。
『ではまず、こないだ仕掛けた一つ目の罠を——』
ピンポーン。突如チャイムが鳴る。
「お兄、客だ」
「ちょっとiPad持ってて。俺が出てくる」
インターホンの液晶画面。
映っているのは、大荷物を抱えた黒猫の眷属である。
『こんにちわー。市ヶ谷さん、クール便届いてまーす!』
クール便? さて、なにも買った覚えはないが。
その時、動画から両親の叫び声が流れ出す。
『おおっ、凄い! 珍しい獲物がかかっています! これって食べていいんですかね?』
『子供たちの喜ぶ顔が目に浮かびます! 特に上の子は昔から動物が好きで——』
……ん?
身に覚えのないクール便。両親の狩猟動画。採れたてジビエ——
ピンポーン、ピンポーン。
立て続けに鳴るチャイム。
俺とトト子は顔を見合わせる。
ゆっくりと首を横に振るトト子。
『市ヶ谷さーん、いますかー?』
ドンドンドン。
扉を叩く音。
『市ヶ谷さんからお届けですよー!』
……是非もない。
俺は印鑑を手に、玄関の扉を開けた——
久々の更新再開!
そして、新連載開始しました!
『隣の可愛い幼馴染はちょっと目を離してた隙に腐ってました
~ベランダ越しにお話ししたり、ほのぼの幸せになるそんなお話~』
毎日更新! 初日と二日目は3話ずつ更新! バナー下のリンクから是非読んでください!