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55 利根川水系 ~秋の装い

 目立たぬよう離れて停車した車の後部座席。

 伊達眼鏡越しに校門の様子を窺うと、女の子が一人立っているようだ。


 と、韮澤先生が双眼鏡を差し出してくる


「これ使いなさい」

「なんで双眼鏡なんて持ってるんですか?」

「昔狙ってた男が、バードウォッチングが趣味の真面目な男でな」

「はあ」

「普通に真面目な女とくっつきやがった」

「ハッピーエンドで安心しました」


 双眼鏡のピントを合わせると、校門前の人影は確かに利根川だ。

 ……利根川なのは分かったが、何だあの格好。


 白いハイソックスにキュロット風の半ズボン、縦縞のシャツにネクタイ、ベスト。

 そして頭にはハンチング帽。


 どう見ても大正時代の新聞記者か、特定層向けの少年探偵だ。


「あいつ……俺に相談してくれれば、やめておけと言ってやったのに……」


 暗い気持ちで双眼鏡を覗いていると、胡桃が俺にのしかかってくる。


「こら、頭出すとバレるぞ。ちゃんと隠れて」

「ひょっとして利根川ちゃん、変な格好してない? ね、私にも双眼鏡貸してよ」

「お前の格好も大概だぜ。こら、くっつくと色々当たって―――ないな。悪い、俺の勘違いだ」

「え? 私いまディスられた? 二の腕とか触らせろってこと?」


 俺達がわちゃわちゃしてると、ヤスリのようにササクレだった視線が俺の首元に刺さる。


「……お前ら、私の車でイチャつくな。元教え子とはいえ、やっていいことと悪いことがある」

「イチャついてなんて―――いや、すいません。全面的に俺達が悪かったです」

「そんなに素直に謝られてもムカつくのだが」


 じゃあ、どうしろと言うのか。

 ……韮澤先生、他人とのスキンシップとか無さそうだから素直に謝ったのに。


 双眼鏡を覗いた胡桃が『Oh......』と呟き首を振る中、利根川の前に一台の車が止まる。


「フォルクスワーゲンのゴルフか……悪い趣味じゃないな」


 ブツブツと呟く韮澤先生を無視していると、車から降りてきたのは氷室先生。

 細身のパンツとシンプルなシャツが長身によく合っている。


 韮澤先生の目がギラリと光る。


「……あれが料理上手の淫行講師か?」

「胡桃に何を聞いたか分かりませんが、普通に部活の顧問ですよ?」


 二人はしばらく立ち話をしていたが、諦めたのか先生は首を振りながら慣れた仕草で助手席のドアを開ける。


 それを横目で見ながら、韮澤先生は車のエンジンに火を入れる。


「……30年近く生きてきて、男にあんなんされたこと無いんだけど。私なんて昔の彼氏に、中から車のカギ閉められたんだぞ?」

「悲しいエピソードトークは止めましょう。でも最後は乗せてくれたんでしょ?」

「そのままサービスエリアに置いてかれた。しかもそれ私の車だったからな?」

「……すいません。コメントは差し控えさせてもらいます」

「しかもあいつ日本人だと言ってたけど実はロシア人だったし。愛車のGPSが復活したら居場所はウラジオストクだし。本気で訳分かんなかったし」


 そんなこと言われても俺も訳分かんないし。


「ねー、二人とも行っちゃうよ。追いかけないと」

「まかせろ。私は昔から、喰らいついたら離さないと定評があるんだ」


 今までに喰いつかれた男は、はたしてどこに行ったのか。


 ……登場時の派手な運転に心配していたが、言うだけあって尾行の腕は確かだ。

 二人の車のすぐ後ろにはつかず、必ず間に一台以上他の車を入れている。にも関わらず、信号で離ればなれにならないのは偶然なのか計算の上なのか。


 権藤先輩から聞いた通り、車はヤマナカ卸団地に向かっている。


 ここは業者相手の卸団地だが、直売店や業務用スーパーも沢山ある。最近は空いた倉庫の一角に若者達が店を開いたりもしているらしい。


「しかし意外ですね。先生が人の恋愛を阻止する側に回るなんて」


 韮澤先生は心外だとばかりにしかめっ面をする。


「決まってるだろ。教師ってのは保護者との信頼関係の下、生徒を預かり指導するんだ。本気の恋愛だからOKです、なんて訳にはいかんだろ」


 ……この人、こんなまともなことが言えるのか。

 煙草に火を点ける先生を信じられない気持ちで眺める。


「くわえて学校という閉じた世界だ。人間関係、進路に部活、家庭問題……悪意があれば生徒の心を容易にコントロールできる。未熟で逃げ場の無い子供の立場は、思ったより弱いんだよ」

「なるほど、先生も先生だったんですね。見直しました」 

「それにだ。生徒に手を出していいんなら、私も今ここでこんなことしてないぞ? あいつらだけズルいだろ」

「……ついに本音が出ましたね」


 それに手を出してたら、別の意味でこんなことして無かったと思うし。


 氷室先生の車がウインカーを出した。

 団地に入っていく車の後を追うかと思いきや、そのまま通り過ぎる韮澤カー。


「せんせー 通り過ぎちゃったよ」

「こら、シートベルトから抜け出さない。俺の膝の上に乗ろうとしない」


 胡桃の奴、チャイルドシートが必要だ。


「そのまま後を付けるとばれやすい。一本先から様子を見ながら近付くのが鉄則だ」


 ……やけに手慣れてるな。この先生、なんか変な属性持ってないだろな。

 韮澤先生は吸いかけの煙草を灰皿にねじ込むと、ジーンズを穿いた足で思い切りブレーキを踏む。


 スライドしながら角を曲がるワゴンR。

 運転手の顔には、悪い笑みが浮かんでいる。



「さて、悪い子がいないか……活動開始だ」



 ――――――

 ―――



 二人が訪れたのは厨房用品店だ。

 入り口付近には業務用の調理什器が並ぶが、店の奥には食器や調理小物が所狭しと並んでいる。


「達也、外から見てるだけで入んないの?」

「まあ待て。韮澤先生が合図をするまでここで待機だ。いくら変装してても俺達は面が割れている」


 まさか業務用冷蔵庫を買いに来たわけでもあるまい。

 二人が高い棚で区切られた食器コーナーに入れば、俺達も近くで様子をうかがえるというわけだ。


「なんか二人仲いいねー」

「まるで脱サラして念願の店を出す年の差夫婦……いや、親子だな」


 予想に反して奥には行かず、業務用オーブンを前に話に花を咲かせている二人。

 ……あれ、なんかいい雰囲気だな。


 爛れた関係にならないというのなら、利根川が憧れの先生と思い出を作るのも決して悪いことでは無い。


 傍から見れば、ただの仲の良い親子だし。

 ここは氷室先生の良識に期待して、そっとしておくのもありなのだろうか。


 ……俺のそんな逡巡も『教師と生徒の恋愛絶対阻止連盟』会長には関係の無い話だ。

 会長様はスリコギ棒を手に、冷蔵庫の陰から鬼のような目で二人を見ている。


「……やっぱりあの人、呼ばない方が良かったんじゃないか?」

「ほら、先生合図してるよ。私達も行こう」


 胡桃は勝手に腕を組むと、店の中に俺を引っ張る。


「腕を組むなって。目立つじゃん」

「変装してるんだしカップルのフリしないと」

「俺達、偽カップルだろ。逆にするなら……」

「……不倫カップル?」

「……なんか違わないか?」

 

 何が違うのか良く分からんが、偽不倫カップルの俺達は二人を追って食器コーナーに突入。

 天井まで伸びた棚越しに、利根川達の様子をうかがう。 


 二人はどうやら食器を見ているようだ。

 上機嫌の利根川が明るい声で話しかける。


「最近私、陶器の皿を集めていて。先生は焼き物はお好きですか?」

「そうだな。昔一時期、萩にハマってたことがあるかな」


 皿を手に取るカタリと言う音がする。


「あの肌に何の色を合わせようか、そう思いながら献立を決めるのが楽しくてね」

「萩はあの赤色が綺麗ですよね。今は集めたりしていないんですか」

「……一点物の陶器は思い出が乗り過ぎてね。最近はもっぱら無地の磁器ばかり使ってるかな」


 ……なんかしんみり気味の話をしてるぞ。

 俺は胡桃の耳元に口を寄せると、小声で囁く。


「あのさ、やっぱり―――」

「ふぃっ?!」


 なんか素っ頓狂な声を上げ、身をよじる胡桃。


「胡桃お前、変な声出すなって。聞かれたらどうすんだよ」

「だ、だ、だって耳が……耳がコショコショって……」


 耳を押さえてモジモジしてる胡桃の頭をポンと叩くと、もう片方の耳に言い残す。


「……ちょっとトイレ行ってくる」

「ふぃぃっっ!!」


 だから変な声出すなって。



 ――――――

 ―――



 洗面台で手を洗いながら、俺は鏡の中の自分の顔を睨みつける。


 ……んー、ここまで利根川をつけ回していたのだが。

 どちらかと言えば微笑ましいあの二人。ひょっとして首を突っ込んだのは余計なお世話だったのだろうか。


 ……まあ、余計なお世話だってのは異論は無いが。

 相手はあの利根川だ。突然テレビのインタビューに出くわして「先生と二人で来ました」とか言っちゃわないとも限らない。


 とはいえ、あの先生、なんかエスコートも慣れてたし。

 女生徒と二人で買い物行っても上手にあしらえそうな感じがするが―――


「いや、慣れてちゃ駄目じゃん」


 思わず独り言ちた俺の隣に背の高い男性が並ぶ。


「偶然だね。君達もデートかい」

「まあ、そのシミュレーションというか―――」


 俺に突然声をかけてきたのは、数学教師で料理部顧問。氷室先生その人だ。


「あの、先生。どうしてここに……」

「さて、どうしてだと思う? 例えば―――」

「―――口止め、とか?」


 氷室先生はハンカチで手を拭きながら爽やかに笑う。


「冗談だよ。僕らは部活の買い出しだ。良ければ君達も一緒にどうだい?」

「いえ、そんなことすると後が怖いので」


 ……多分また魚のパイとか食わされる。今度はきっと生だ。


「確かにそうだ。君達のデートを邪魔するのは野暮だったね。それじゃ、楽しんで」

「あの、先生!」


 俺は先生を呼び止める。


「今日は利根川と一緒ですよね? それで、あの……」

「……利根川君を心配しているのかい?」


 言いにくそうに黙る俺に向かい、先生は柔らかな笑みを浮かべる。 


「安心しなさい。ちゃんと昼頃には学校まで送り届けるよ。良ければ君達も一緒に送ろうか?」

「ありがとうございます。でも俺達は保護者風な人がいますので」


 ……やれやれ。俺達の探偵ごっこも完全に見抜かれていたようだ。

 完全に降参した俺は先生の後を付いてトイレを出る。


 それでもだ。

 万が一、先生が悪いことを考えていたにしても、少なくとも今日は手を出さないだろう。

 利根川に見つからず先生に釘を刺せたのなら、決して任務をしくじったわけではない。


 一人納得しながらうなずく俺の前、見知らぬ女性が立ち塞がる。


「あら、市ヶ谷君ここにいたの。気に入ったお皿はあったかな?」

「……え?」


 突然俺に話しかけてきたのは、シックなロングスカートに身を包んだ綺麗な大人の女性だ。


 戸惑いながらも見覚えのある身体のラインに向かって、俺は久々に熱っぽい視線を這わせる―――


  年齢 29才

  身長 161センチ

  体重 59キロ

  バスト F

 

「ひょっとして韮澤先生……?」

「どうしたの、市ヶ谷君。ここまで一緒に来たじゃない」


 先生は口元を隠しながら上品に笑う。

 この人、いつの間に着替えて化粧までしてきた……?


「あら、こちらの素敵な紳士はどなた? 市ヶ谷君、紹介してもらえないかしら」


 何気なさを装う韮澤先生の瞳には、黒い炎が蠢いている。

 ……こいつ、捕食者の目をしてやがる。


「えーと……うちの学校の数学の先生で、氷室先生―――」


 韮沢先生は氷室先生に向き直ると、薄桃色の名刺を差し出した。



「初めまして。私、籾山中学校で図書室司書をしている韮澤六実と申します―――」


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― 新着の感想 ―
[一言] いつも楽しみにしてます!!
[一言] 捕食者やっぱいたー! さあ、しっかり食い尽くすのですよ!
[一言] 「先生と二人で来ました」また懐かしのネタをw いやー、あの子可愛かったよね、うん…。
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