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48 婚約破棄のその向こう


「―――結婚のことは無かったことにしてくれ」


 犬吠埼は気丈に許嫁の秀彦氏を正面から見つめる。


 どれだけの時間が経っただろう。

 秀彦氏はか細い声で呟いた。


「……残念だな」

「すまねえ、ヒデ兄」

「そんなに謝らないでくれ。僕が景子君に選ばれるほどの男じゃなかったってことだ」


 秀彦氏は犬吠埼の肩に手を置こうとして、俺を気にしたのだろうか。

 その手を下ろす。


「……いつか景子君が断ったのを後悔するほどの男になってみせるさ」

「そんときゃ玉砕覚悟、死ぬ気で落としに行くぜ。覚悟しときな」


 その言葉に秀彦氏は大人びた笑みを浮かべると、俺の顔を見ないまま静かに告げる。


「達也君……。景子君のこと、よろしく頼む」

「あ……はい」


 またよろしく頼まれた。

 ……これって結構胸が痛むな。


 もちろん、犬吠埼の方が余程心を痛めているだろう。

 色々な考えが頭の中を巡るが―――


「おい、達也」

「……あー、うん」


 ……さっきからなんか気が散るというか、どうにも集中できない。

 視界の端をチラチラ横切る小さな影が気になって仕方ないのだ。


 ……きっとあれだ。妖精さんか何かだろう。


「二人とも、どうしたんだい?」

「な、なんでもねえヒデ兄。おい、そっち向くなって!」


 駄目だ。これ以上ボロが出ないように早く帰った方がいい。

 ふと、秀彦氏が腕時計に目をやった。


「もうこんな時間だ、そろそろ僕の父が来る。今回の件がばれて大事にならない内に帰った方がいい」

「分かった。あたしらはそろそろ退散するよ」

「特に達也君。君は絶対に見つからない方がいい」


 心配そうに俺を見る秀彦氏。

 この人、いい人だな。


「ですよね。俺はすぐにこの場を離れます」

「そうした方がいい。それというのも先日、父が最近コンゴの鉱山の権利を手に入れてね」


 ……? なんで突然、鉱山の話が。


「あの、それはどういう―――」

「待って、父の声だ! 部屋の外に居る!」

「え? だから鉱山と俺になんの関係が―――」

「こっちだ! ベランダに隠れて! 早く!」

「おい達也、ぐずぐずするな!」


 犬吠埼に引っ張られるようにベランダに出ると、秀彦氏が中からカーテンを閉める。


「こちら側は人目も無い。さあ、早く逃げて!」


 ……まじか。そんな切羽詰まった状況なのか?

 部屋の中から、新たな人物の話し声が聞こえだす。


 やたら大きい、年配の男の声。

 秀彦氏の父親の社長さんだろう。


「おい、さっさと行くぞ」


 見れば犬吠埼の奴、手すりの外側に両足を揃えて腰掛けている。


「え、でもここ2階だぞ」

「死にゃあしねえよ。男ならビビんじゃねえ」


 いや、お前は大丈夫かもしれないけど、俺普通の男の子だし。

 俺が尻込みしていると、部屋の中から大声が聞こえる。


『どうした秀彦。そこに誰かいるのか!』

『父さん、待ってください!』


 それを聞いた犬吠埼は面倒そうに眉をしかめる。


「あの社長、結構面倒なんだよ。先に行くぞ」


 靴を先に放ると、犬吠埼は赤いドレスの裾を翻しながら、芝生に覆われた地面に飛び降りる。


 その軽やかな動きを見てると、自分でも軽くいけそうな気がするが。


 近付く足音。


 俺は覚悟を決めると、手すりを勢いよく乗り越えた―――


 

 ――――――

 ―――



「ちょ……歩くの早いって。もっとゆっくり」

「だらしねえなあ、足痛めたのか?」


 ……実に情けない。

 俺は犬吠埼の肩を借りながら、笑う膝を引きずって歩く。


「痺れてるだけだって。少し休めば治るって」

「ったく、情けねえ。おぶってやろうか?」

「いや、それは止めてくれ……」


 俺達はパーティー会場に紛れ込む。

 会場では生バンドの演奏も始まり、ずいぶんと賑やかだ。


 このまま人ごみにまぎれて外に出よう。

 会場の出入り口に向かっていると、見覚えのある女の子が目の前でパチクリと目をしばたかせている。


「お姉さまと……トト子ちゃんのお兄様っ?!」


 グラスを両手で握り締め、驚きの声を上げるのは榛名ちゃん。

 犬吠埼は思わず天を仰ぐ。


「榛名、お前今日来れないって言って無かったか!?」

「今日、驚きの発表があるってお父様が言うから、無理して来たんです。……まさかそういうことなのですか?!」

「いや、違っ……うわけじゃねえけど、その……あれだ」

「いつからですか? どちらから告白したんですか? 今日はひょっとして、両家の顔合わせとかっ!」

「いや、だから、このことは大っぴらにすることじゃ……」

「素敵っ! 秘密の関係なんですね!」


 目をキラキラさせて詰め寄る榛名ちゃんから顔を逸らしつつ、犬吠埼が俺に囁く。

 

「達也、逃げるぞ。走れるか?」

「……ああ、もう大丈夫だ。全速力でいくぜ」


 犬吠埼の合図と同時。

 俺達は榛名ちゃんの左右をパスして、一気に会場を走り抜けた。


 ……途中、小っちゃなメイドさんが両手に持った鶏の足をパクついていた気がしたが、それはまた別の話だ。




 ――――――

 ――― 


 来る途中、車の窓から見た臨海公園。

 俺達は荒い息をつきながら芝生の上に寝ころんだ。


「やっぱヒールで走るもんじゃねえな。靴擦れしちまった」


 犬吠埼は赤いヒールを脱ぐと、長い足を芝生の上に伸ばす。


「つーか、追われてたわけでもないんだし。そこまで急ぐことなかったかもな。ほら、これ」


 俺は絆創膏を差し出す。


「なんだよ、ずいぶん準備がいいな」

「胡桃の奴、たまに見栄張って大きいサイズの靴履くから。念のため持ち歩くようにしてるんだ」


 犬吠埼はカカトに絆創膏を貼り付ける。


「それ、菓子谷のサイズじゃ子供靴しかないからじゃないか? だから大人用の靴を選ぶと、どうしてもブカブカになっちまうんだ」


 ……なるほど。そんな理由があったのか。


「で、なんでそんな無理して大人用の靴履くんだ?」


 犬吠埼は呆れたように俺を見下ろす。


「決まってんだろ。女ってのはな、惚れた男の前じゃあパリッとしたナリをしてえんだよ」

 

 ……なるほど。

 まあ、惚れた男というのは置いといて、胡桃も年相応の可愛い格好をしたいという乙女心があるのだろう。


「つーか、お前にも乙女心が分かるんだな。ちょっと見直したぜ」

「あ? 喧嘩売ってんのか?」


 ……やばい。つい本音が漏れた。

 犬吠埼は剣呑な空気をまとい、ゆらりと立ち上がる。

「おい、達也も靴脱げよ。芝生が気持ちいいぜ」

「俺はいいよ。ほら、屋外って雑菌とか凄そうじゃん」

「相変わらず細けえなあ。……ほら」


 犬吠埼がポンと赤いヒールを放り投げる。

 

 青空に映える赤い靴。


 目がとられた瞬間、犬吠埼が俺の足を掴んで力任せに持ち上げる。


「うわっ?! お前何を―――」

「おら、お前も靴脱げ!」


 腕力勝負じゃかなわない。見る間に靴と靴下を奪われる。


「ほら、素足は気持ちいいだろ」

「え、でもちょっと地面が湿ってないか? ほら、虫とかいるじゃん」

「こんなもんだって。ほら、少し歩こうぜ」


 犬吠埼は機嫌よさげに、両手に赤いヒールを持って歩き出す。

 

 ……今日はあいつは色々あった。

 それに比べりゃ、俺なんて当事者に見えて傍観者だ。


 仕方ない。

 俺は黙って隣に並ぶ。


「俺、役に立ったか?」

「十分だ。つーか、あたしの方こそ世話になったな」

「だけど相手の社長さん怖い人なんだろ。お前の一家に迷惑かからないか?」

「心配すんな。カッコ悪いけど、いざとなったらばーちゃんにナシつけてもらうよ」


 飼ってる金魚がでかい、犬吠埼のばーちゃんか。

 元煉獄天女の特攻隊長、紅夜叉のアケミ―――


「お前のばーちゃんと社長さん、知り合いなのか?」

「ばーちゃんがやんちゃしてた頃。対立するグループで、チョーシこいてた社長をタイマンでボッコボコにしたらしくてさ」

「……それで恨みかったのか?」

「いや、逆に惚れられて。断るのに苦労したみたいだぜ」


 ……なんだそれ。

 女にボコボコにされて惚れるとか、20世紀はそんな時代だったのか。


「で、フラれたにもかかわらず、家族ぐるみの付き合いが始まったのか」

「まあな。で、若い頃のお袋にも粉かけてボッコボコにされたらしいし」


 ……うん、されるよな。

 つーかその頃、秀彦氏がすでに生まれてないか?


「あたしが生まれた時には、病院に近付いただけでボッコボコにされたってさ」

「ばーちゃん、ナイス判断だ」


 しかし、惚れた女の孫と自分の息子をくっつけるとは―――

 ……社長さん、結構性癖拗らせてないか?


 こうなったらばーちゃんだけが頼りだ。

 犬祖母トークを続けようかと思った矢先、犬吠埼がキャラにもなくモジモジと肩でつついてくる。


「……達也。ヒデ兄に言った言葉……あれ、お前が考えたのか?」

「言葉? なんだっけ」


 なんというかコンゴの鉱山の話ばかりが頭に残っている。

 社長さんにつかまったら、どうなってたんだ……?


「はあ? ほら、付き合い方には色々あっていいとかなんとか言ってただろ」

「ああ、あれか。自分なら、あの状況でどう思うかなって。シミュレートって言ったら変だけど、そんな感じで思ったことを言っただけだ」

「つまり……あたしとホントに付き合ってたとしてのシミュレートって……ことか?」


 ……? なんだその質問。

 もう一度、その時の気持ちを思い出してみる。


「えー、なんも考えてなかったな。ただの一般論で、具体的な誰かを想像したわけじゃないぞ」

「……ふうん、そうかよ」


 ……いや。そう言ったはいいが、ホントに誰のことも考えて無かったっけ。

 なんとなくだけど、参考に誰かのことを思い出しながら―――ん?


 俺は震えるスマホを取り出す。


「そういや達也、昼飯食いそびれたな。なんか食ってくか」

「あ、悪ぃ。胡桃から写真が―――うわ、あいつなにやってんだ」

「? なんかあったのか」


 犬吠埼が覗き込んでくる。

 画面には榛名ちゃんと並んでポーズをとるメイド姿の胡桃。


 ……なぜこんなことに。

 

「やっぱあのメイド、胡桃だったのか……」

「それより、なんで榛名と写真撮ってんだ?」

「俺にも分かんないって」


 なんか情報が渋滞していて理解が進まない。

 と、追撃でメッセージが届く。


KruKru『生ハムメロンにキャビア乗ってるよ! Overkillすぐる!』


 ……更に余計な情報が増えた。

 とにかくパーティーを堪能しているということか……?

 なんかビンゴカードの写真まで送ってきたし。


「まあ……俺は変なことになる前にチビメイドを迎えに行くよ」

「神宮寺の親父さんには見つかるなよ。面倒だぜ」

「分かった、気を付ける。……悪いな、最後までエスコートできなくて」

「もう十分だよ。行ってやってくれ」


 ああもう。そもそもなんで胡桃がパーティー会場に忍び込んでいるんだ。

 ……ってことは。キス未遂をお盆で阻止してきたのも胡桃の仕業か?


「おい、ちょっと待て」


 背を向けた俺に犬吠埼が声をかけて来る。

 振り向こうとした刹那、犬吠埼が俺の頭と顎を掴む。


 っ!? 証拠隠滅に首でも折られるのかっ?!


 恐怖した次の瞬間―――


「痛っ!」


 俺の横顔に喰らった一撃に一瞬気が遠くなる。

 なんでいきなり俺、頭突き喰らってるの!?


「……約束しただろ。今回のはこれでチャラな」


 え? 頭突きされてチャラ?


 ……いや、今のは頭突きじゃないな。

 犬吠先の奴、何故か俺に顔をぶつけてきたのだ。


 俺の横顔に犬吠埼の顔がぶつかる衝撃……そして、わずかに追いかけて来る柔らかい頬の感触―――


 混乱する俺に向かって、犬吠埼が背を向けたまま手をヒラヒラ振って見せる。


「じゃ、また学校でな。達也」


 ……いや、なにかの勘違いだよな。

 まさか俺の軽口を真に受けて、あいつが俺の頬にキスをしてくるとか。


 俺は馬鹿な考えを振り払うように頭を振る。


 さあ、胡桃の奴を迎えに行かないと―――

 俺は背を向けながら手を振り返す。



「おう。またな犬吠埼」


 

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― 新着の感想 ―
[一言] 個人的には、生ハムとメロンとキャビアは別々に食べる方が美味い。異論は認める。
[良い点] 犬吠崎さん [気になる点] コンゴの鉱山 [一言] 爆発しろ
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