表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

45/59

45 犬吠埼一家


 車窓の風景が流れ出す。


 前を通り過ぎた菓子谷家の窓から、4つの瞳が光っていたように見えたのは俺の気のせいか。


 広い車の中には運転手と俺達二人だけ。

 全身を飾り立てられた犬吠埼をドギマギしながら横目で眺める。


「なあ、お前の家族は一緒じゃないのか?」

「お袋たちは先に会場に入ってるんだ。あたしは美容院に行ってたからな」

「へえ、その髪型そうなんだ」


 ……それはそれとして。さっきから気になることがある。


 世の中の男子達は知らないかもしれないが。

 ―――可愛い女の子と車の中で二人切りだといい匂いがするんです。


「どうした市ヶ谷。深呼吸なんかして」

「……な、なんでもないって。お前んち、専属の運転手さん居るのか?」

「んなわけねーだろ。向こうの社長さん……ヒデ兄の親父さんがハイヤーを寄こしてくれたんだ」


 社長からハイヤー寄こされるって……

 そういや、今日って婚約披露の場でもあるんだよな。

 

 会場に行って「俺達付き合ってるんで婚約とか無理です。サーセン!」

 

 ……みたいな感じじゃ済まないぞ。

 俺達、ひょっとしてエライことしようとしてないか?


「なあ、景子。結局大した作戦は無いけど、それで大丈夫なのか?」

「……は? 景子?」


 犬吠埼が大きな目を丸くして俺を見る。


「だって、付き合ってて苗字呼びは無いだろ。お前の家族もいるんだし」

「わ、わーったよ。……た、達也」


 照れたのか、頬杖ついて窓の外を眺める犬吠埼。

 なんだよ、可愛いとこあるじゃん。


「達也、あんまり心配すんなよ。ヒデ兄には彼氏がいるから結婚はしねえと言ってる。外堀埋めりゃあどうにかなると思ってるみたいだが、本人連れてきゃ諦めるだろ。最悪、出たとこ勝負でどうにかなるさ」


 なんだ、不安なのは俺だけかよ。

 まあ、本人が堂々としているならそれが一番だ。


 ふと無言になった犬吠埼。

 その横顔に目をやると、不安そうに唇をかみしめている。


 ……だよな。

 いくらヤンキーで犬吠埼でも平気な訳じゃない。


 胡桃みたいに頭をポンポンするわけにもいかないし、手を繋ぐわけにもいかないし。


「景子。お前一人じゃないから。やると決めたからには俺も共犯者だからな。いくらでも頼ってくれ」

「なんだよ。やけに優しいじゃねえか」

「当たり前だろ。俺と景子と胡桃の仲だ」

「……だからお前、景子景子と気やすく呼ぶなよ」

「じゃあ他になんて呼べばいいんだよ」

「だから……あーもう、好きにしやがれ!」


 車は国道から外れて、次第に窓から見える景色が変わっていく。

 田んぼの光景の中、背の低いショッピングモールの姿が遠くに見える。


 海浜公園の横を抜け、高い塀に囲まれた大きな建物に近付いていく。


「あそこが会場か。いつもは結婚式場なんだろ? 思ったよりでかい建物だな」


 ……俺も緊張しているんだろう。ついつい言葉数が多くなる。


「……おい」


 犬吠埼が低く呟く。


「なんだ?」

「あんま楽しいことになんねえかもしんねえぞ」

「だろうな。承知の上だ」

「お前も巻き込んじまったらすまねえ」

「もう巻き込んでるだろ。……ま、なんかあったらホッペにキスくらいで勘弁してやる」

「ざけんなって」


 悪態をつきながらも、ようやく言葉に笑いが混じる。


「……着いたのか?」


 大きな門の前。車が停まり、運転手がドアを開ける。

 先に降りた俺は犬吠埼に手を差し出した。



「行こうぜ、景子」




 ――――――

 ―――


 肘を曲げて腋を軽く空ける。

 そこに出来た隙間に犬吠埼が腕をそっと滑り込ませる。


 ……練習した通り。エスコートは完璧だ。

 

 学園祭で犬吠埼妹がさり気にエスコートを求めてきたのも今なら分かる。

 こいつら、こういったパーティーに慣れているのだろう。


 これはガーデンパーティという奴か。

 西洋風の庭の中に料理の乗ったテーブルがいくつも並んでいる。


 ざっと見ただけで100人単位の客が会場のあちこちで談笑し、その合間を飲み物を持った給仕たちが歩いている。


 ……女性の給仕がメイド服なのは中々よろしい。

 最近、俺はメイド服に縁があるようだ。


「なあ、こんなパーティに呼ばれるなんてお前の父さん何者なんだ?」

「何者って……普通の人だよ。普段はトラック転がしてんだ」


 なるほど。特に変わった仕事をしている訳じゃない。


 たまたま家族ぐるみの付き合いがあったところに、社長の息子に犬吠埼が見初められた……といったところだろうか。


「まずはあたしの家族に紹介するぞ。気合入れてけ」

「お、おう」


 中央の大きな建物に向かう。

 庭園側が一面ガラス張りの白い建物だ。


 建物に入ろうとすると、明るい茶髪の男性が俺達の前に立ち塞がる。

 俺の腕に回る犬吠埼の手に力が入った。


「……親父」

「景子。本当に連れてきやがったのか」


 この人が犬吠埼父なのか。


 白いスリーピースのスーツの下には紫色のシャツ。

 親世代としては若過ぎる現役感は、犬吠埼父のイメージ通りだ。


 そして……この人が今でも一緒に風呂に―――


 ……おっと、邪な想像を巡らせている場合じゃない。


「初めまして。私、市ヶ谷達也と言います。お嬢さんと―――」

「……お前が景子の男か?」


 犬父は威嚇するように俺を睨みつけてくる。

 思わず気押されるが、俺は正面から視線を合わせる。


 鶏の喧嘩だって最初の気合が大切だと聞く。

 俺は負けじと声を張る。


「市ヶ谷達也です。景子さんとお付き合いさせて頂いてます」

「……悪いが坊主。今日は大事な日なんだ。黙って帰ってくれ」


 犬父は取り付く島もなく言い捨てると、娘に向かって手を伸ばす。

 その手を音を立てて払い除ける犬吠埼。


「おいこら、親父。今日は引かねえぞ」

「あ? お前、親に向かってなんて口きいてやがんだ」

「んなもん知るか。親父、あたしが連れてきた男に文句あんのか」


 ……あれ、まずい。喧嘩だ。マジ喧嘩だ。

 ちょっと気まずいんで家族喧嘩は止めてくれ。


「お、おい。まずは落ち着いて話を―――」

「達也は黙ってろ!」


 犬吠埼は俺の腕から離れると、犬父と至近距離でメンチを切り合う。


 ああもう、このチンピラ親子は。

 なんだか野次馬も集まってきたし、ここは無理にでも犬吠埼をこの場から―――


 ふと、周りの観客が静まり返るの気付く。

 人垣が割れ、その中から着物姿の美女が現れた。


「二人とも人前でなにやってんだ。社長さんに恥かかせるつもりかい」

「お袋―――」

「鶴子さん!」


 途端に背筋を伸ばして直立不動になる犬父。

 ……奥さんのこと、さん付けで呼んでるんだ。


 燃えるような真紅の色留袖。

 娘と良く似た整った顔には、険しい表情が浮かんでいる。


 犬吠埼母が金色の草履を一歩踏み出すと、人垣が一歩遠ざかる。


 ……俺は素早く犬母に視線を走らせる。



 年齢 35

 身長 170センチ

 体重 57キロ

 バスト G



 ……なるほど。

 犬吠埼家の頭を張るだけはある。納得の数値だ。


 つーか若いな。娘をいくつの時に産んだんだ。

 ……やっぱ若いな。大事なことなので二度言った。


「……で? まだやんのかい」


 言ってジロリと俺達を見渡す。


 トト子の授業参観の時。和装の犬吠埼を見て極妻扱いしたが、俺が間違っていた。

 ……ここにガチがいた。


「お袋にも話がある。聞いてくれ」

「話なら聞いてやる。続きはこっちでやんな」


 踵を返す犬母は、俺の顔に一瞥をくれる。


「あんたもだよ。一緒に来な」

「えっ、あの、その―――」


 俺も一緒に……どこに連れてかれるんだ?


 山の中―――自分で掘った穴―――コンクリート―――魚の餌―――


 理由は分からないが、物騒な単語が頭を巡る。


「怖がらなくてもいい。別に取って喰おうって訳じゃないさ」


 ……だよな。犬吠埼の家族だし。

 それでも思わず足が止まる俺に、犬吠埼は強引に腕を絡めてくる。


「……行くぞ。2対2だ。死ぬ気でやんぞ」

「お、おう」


 でも出来たら死にたくない。


 廊下の奥、それまでの賑やかさが嘘のように静かな一角に差し掛かる。

 ……まさか、本当に取って喰われたりはしないよな。


 前を進む犬母の背中を、派手な帯が彩っている。

 目をやると、どこかの浮世絵で見た髑髏の刺繍が黒い瞳で俺を見返した。


 人気の無い廊下の突き当り。

 犬吠埼母が無言で扉に手をかける。


 俺は額に浮かぶ汗をぬぐう。

 もう一度俺は自分に言い聞かせる。



 ……まさかそんな。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 達ちゃん!さよなら(笑顔)
[一言] まさか……(;゜д゜) ゴクリ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ