45 犬吠埼一家
車窓の風景が流れ出す。
前を通り過ぎた菓子谷家の窓から、4つの瞳が光っていたように見えたのは俺の気のせいか。
広い車の中には運転手と俺達二人だけ。
全身を飾り立てられた犬吠埼をドギマギしながら横目で眺める。
「なあ、お前の家族は一緒じゃないのか?」
「お袋たちは先に会場に入ってるんだ。あたしは美容院に行ってたからな」
「へえ、その髪型そうなんだ」
……それはそれとして。さっきから気になることがある。
世の中の男子達は知らないかもしれないが。
―――可愛い女の子と車の中で二人切りだといい匂いがするんです。
「どうした市ヶ谷。深呼吸なんかして」
「……な、なんでもないって。お前んち、専属の運転手さん居るのか?」
「んなわけねーだろ。向こうの社長さん……ヒデ兄の親父さんがハイヤーを寄こしてくれたんだ」
社長からハイヤー寄こされるって……
そういや、今日って婚約披露の場でもあるんだよな。
会場に行って「俺達付き合ってるんで婚約とか無理です。サーセン!」
……みたいな感じじゃ済まないぞ。
俺達、ひょっとしてエライことしようとしてないか?
「なあ、景子。結局大した作戦は無いけど、それで大丈夫なのか?」
「……は? 景子?」
犬吠埼が大きな目を丸くして俺を見る。
「だって、付き合ってて苗字呼びは無いだろ。お前の家族もいるんだし」
「わ、わーったよ。……た、達也」
照れたのか、頬杖ついて窓の外を眺める犬吠埼。
なんだよ、可愛いとこあるじゃん。
「達也、あんまり心配すんなよ。ヒデ兄には彼氏がいるから結婚はしねえと言ってる。外堀埋めりゃあどうにかなると思ってるみたいだが、本人連れてきゃ諦めるだろ。最悪、出たとこ勝負でどうにかなるさ」
なんだ、不安なのは俺だけかよ。
まあ、本人が堂々としているならそれが一番だ。
ふと無言になった犬吠埼。
その横顔に目をやると、不安そうに唇をかみしめている。
……だよな。
いくらヤンキーで犬吠埼でも平気な訳じゃない。
胡桃みたいに頭をポンポンするわけにもいかないし、手を繋ぐわけにもいかないし。
「景子。お前一人じゃないから。やると決めたからには俺も共犯者だからな。いくらでも頼ってくれ」
「なんだよ。やけに優しいじゃねえか」
「当たり前だろ。俺と景子と胡桃の仲だ」
「……だからお前、景子景子と気やすく呼ぶなよ」
「じゃあ他になんて呼べばいいんだよ」
「だから……あーもう、好きにしやがれ!」
車は国道から外れて、次第に窓から見える景色が変わっていく。
田んぼの光景の中、背の低いショッピングモールの姿が遠くに見える。
海浜公園の横を抜け、高い塀に囲まれた大きな建物に近付いていく。
「あそこが会場か。いつもは結婚式場なんだろ? 思ったよりでかい建物だな」
……俺も緊張しているんだろう。ついつい言葉数が多くなる。
「……おい」
犬吠埼が低く呟く。
「なんだ?」
「あんま楽しいことになんねえかもしんねえぞ」
「だろうな。承知の上だ」
「お前も巻き込んじまったらすまねえ」
「もう巻き込んでるだろ。……ま、なんかあったらホッペにキスくらいで勘弁してやる」
「ざけんなって」
悪態をつきながらも、ようやく言葉に笑いが混じる。
「……着いたのか?」
大きな門の前。車が停まり、運転手がドアを開ける。
先に降りた俺は犬吠埼に手を差し出した。
「行こうぜ、景子」
――――――
―――
肘を曲げて腋を軽く空ける。
そこに出来た隙間に犬吠埼が腕をそっと滑り込ませる。
……練習した通り。エスコートは完璧だ。
学園祭で犬吠埼妹がさり気にエスコートを求めてきたのも今なら分かる。
こいつら、こういったパーティーに慣れているのだろう。
これはガーデンパーティという奴か。
西洋風の庭の中に料理の乗ったテーブルがいくつも並んでいる。
ざっと見ただけで100人単位の客が会場のあちこちで談笑し、その合間を飲み物を持った給仕たちが歩いている。
……女性の給仕がメイド服なのは中々よろしい。
最近、俺はメイド服に縁があるようだ。
「なあ、こんなパーティに呼ばれるなんてお前の父さん何者なんだ?」
「何者って……普通の人だよ。普段はトラック転がしてんだ」
なるほど。特に変わった仕事をしている訳じゃない。
たまたま家族ぐるみの付き合いがあったところに、社長の息子に犬吠埼が見初められた……といったところだろうか。
「まずはあたしの家族に紹介するぞ。気合入れてけ」
「お、おう」
中央の大きな建物に向かう。
庭園側が一面ガラス張りの白い建物だ。
建物に入ろうとすると、明るい茶髪の男性が俺達の前に立ち塞がる。
俺の腕に回る犬吠埼の手に力が入った。
「……親父」
「景子。本当に連れてきやがったのか」
この人が犬吠埼父なのか。
白いスリーピースのスーツの下には紫色のシャツ。
親世代としては若過ぎる現役感は、犬吠埼父のイメージ通りだ。
そして……この人が今でも一緒に風呂に―――
……おっと、邪な想像を巡らせている場合じゃない。
「初めまして。私、市ヶ谷達也と言います。お嬢さんと―――」
「……お前が景子の男か?」
犬父は威嚇するように俺を睨みつけてくる。
思わず気押されるが、俺は正面から視線を合わせる。
鶏の喧嘩だって最初の気合が大切だと聞く。
俺は負けじと声を張る。
「市ヶ谷達也です。景子さんとお付き合いさせて頂いてます」
「……悪いが坊主。今日は大事な日なんだ。黙って帰ってくれ」
犬父は取り付く島もなく言い捨てると、娘に向かって手を伸ばす。
その手を音を立てて払い除ける犬吠埼。
「おいこら、親父。今日は引かねえぞ」
「あ? お前、親に向かってなんて口きいてやがんだ」
「んなもん知るか。親父、あたしが連れてきた男に文句あんのか」
……あれ、まずい。喧嘩だ。マジ喧嘩だ。
ちょっと気まずいんで家族喧嘩は止めてくれ。
「お、おい。まずは落ち着いて話を―――」
「達也は黙ってろ!」
犬吠埼は俺の腕から離れると、犬父と至近距離でメンチを切り合う。
ああもう、このチンピラ親子は。
なんだか野次馬も集まってきたし、ここは無理にでも犬吠埼をこの場から―――
ふと、周りの観客が静まり返るの気付く。
人垣が割れ、その中から着物姿の美女が現れた。
「二人とも人前でなにやってんだ。社長さんに恥かかせるつもりかい」
「お袋―――」
「鶴子さん!」
途端に背筋を伸ばして直立不動になる犬父。
……奥さんのこと、さん付けで呼んでるんだ。
燃えるような真紅の色留袖。
娘と良く似た整った顔には、険しい表情が浮かんでいる。
犬吠埼母が金色の草履を一歩踏み出すと、人垣が一歩遠ざかる。
……俺は素早く犬母に視線を走らせる。
年齢 35
身長 170センチ
体重 57キロ
バスト G
……なるほど。
犬吠埼家の頭を張るだけはある。納得の数値だ。
つーか若いな。娘をいくつの時に産んだんだ。
……やっぱ若いな。大事なことなので二度言った。
「……で? まだやんのかい」
言ってジロリと俺達を見渡す。
トト子の授業参観の時。和装の犬吠埼を見て極妻扱いしたが、俺が間違っていた。
……ここにガチがいた。
「お袋にも話がある。聞いてくれ」
「話なら聞いてやる。続きはこっちでやんな」
踵を返す犬母は、俺の顔に一瞥をくれる。
「あんたもだよ。一緒に来な」
「えっ、あの、その―――」
俺も一緒に……どこに連れてかれるんだ?
山の中―――自分で掘った穴―――コンクリート―――魚の餌―――
理由は分からないが、物騒な単語が頭を巡る。
「怖がらなくてもいい。別に取って喰おうって訳じゃないさ」
……だよな。犬吠埼の家族だし。
それでも思わず足が止まる俺に、犬吠埼は強引に腕を絡めてくる。
「……行くぞ。2対2だ。死ぬ気でやんぞ」
「お、おう」
でも出来たら死にたくない。
廊下の奥、それまでの賑やかさが嘘のように静かな一角に差し掛かる。
……まさか、本当に取って喰われたりはしないよな。
前を進む犬母の背中を、派手な帯が彩っている。
目をやると、どこかの浮世絵で見た髑髏の刺繍が黒い瞳で俺を見返した。
人気の無い廊下の突き当り。
犬吠埼母が無言で扉に手をかける。
俺は額に浮かぶ汗をぬぐう。
もう一度俺は自分に言い聞かせる。
……まさかそんな。