43 乙女の秘密
「お待たせしました! こちら、~ウユニ塩湖の塩キャラメルパンケーキ マロングラッセと乙女の夢を添えて~ になりまーす!」
「あ……どもっす」
フワフワドレスの店員が俺の前に皿を置く。
女性客でごった返す店内に男は俺一人。
パンケーキカフェ――ワンモアホイップ。
俺は目の前の糖分の塊に圧倒されつつ、2杯目の水に手を伸ばす。
犬吠埼に話があるからと呼び出されたのがこの店だ。
デートに誘われたと思えばありなのだが―――
「ふおおおおぉぉぉっっ!!!」
~国産苺のシロップフォンデュパンケーキ 苺の国のお姫様(ホイップ増量)~ ……を前に奇声を上げるのは胡桃だ。
「おい、ちょっと落ち着けよ胡桃」
「まあいいじゃねえか。この店、家族でたまに来るんだよ。あたしの奢りだし、気にせずにやってくれ」
舞い上がる胡桃に動じるでもなく、~とろける生パンケーキ いたずら天使のふわふわホッペ~ にナイフを入れる犬吠埼。
「話があるって胡桃も一緒かよ」
「ああ。菓子谷にも聞いて欲しくてな」
「達也これ見て! ふわっふわだよ! ふっわふわ!」
「分かったから大声出さない。ほら、深呼吸して。ひっひっふー」
……なんだ。犬吠埼から告白の一つもあるんじゃと、浮かれていたのは俺一人か。
俺はため息混じりにパンケーキを切り分ける。
まあ、モテ期なんてのは都市伝説だよな。モテる奴は年中無休でモテるんだし―――
「いいのっ?! これ本当に食べていいのっ?! もう食べるからね! 食べちゃうよ!」
「……ちょっと胡桃、静かにしなさい」
パンケーキを胡桃の口に突っ込むと、素直にモギュモギュ食べ始める。
「で。わざわざこんなとこまで呼び出すって、一体何があったんだ?」
俺の質問に犬吠埼はナイフとフォークを皿に置き、モジモジと言いにくそうにする。
「そ、それがだな。えーと……」
「なんだよ、お前らしくもない」
「お、おう。思い切って言うから聞いてくれ」
犬吠埼は頬っぺたをパンと叩くと、俺を正面から睨みつける。
「市ヶ谷! お前あたしの彼氏になってくんねえか?」
「はっ?!」
「ふぁっ!!」
俺と胡桃、揃ってフォークをカラリと落とす。
彼氏って……犬吠埼の?
喜んで! と言おうとした矢先―――勢い良く俺の膝に飛び乗ってくる胡桃。
「やっぱそうだったのかー! そのデカい乳は達也を誑かすためなのか―!」
「お、おい、落ち着けよ胡桃!」
「シャーッ! シャーッ!」
胡桃の奴、気の立ったキツネリスのごとき荒ぶりだ。
仕方ない。自分の皿からとっておきの栗を胡桃の口に放り込む。
「もぎゅもぎゅもぎゅ……」
「だから落ち着けって。仮にも彼女である胡桃の前で愛の告白だ。犬吠埼の真剣な想い、受け止めるべきじゃあないか?」
「ぬぁっ?! たっ、達也もデカいのがいいのっ?!」
でかいのは好きだがあえては言うまい。
追撃でキャラメルソースたっぷりのパンケーキを胡桃の前に差し出す。
反射的にかぶりつく胡桃。
「もぎゅもぎゅもぎゅ……」
……よし、今の内だ。
俺は犬吠埼に『斜め45度うつむき加減』の決め顔を向ける。
「犬吠埼、お前の気持ちは確かに受け取っ―――」
「おい、菓子谷聞いてくれ。お前の彼氏に手を出したりしねえって!」
―――ん? どういうことだ。俺は出される気満々なんだが。
「ちょっと待てよ。俺に彼氏になれって言ったじゃないか」
「だからさ、本当の彼氏じゃねえって。彼氏のフリをして欲しいんだ」
「へ?」
なにか聞き覚えのある話の展開。
犬吠埼はラッシーを一気飲みすると、グラスをテーブルに力強く叩きつける。
「つまり―――偽彼氏だ」
「ごふっ!」
むせる胡桃。
……今回ばかりは胡桃がむせるのも無理はない。
胡桃の背中をトントン叩く。
「犬吠埼、どういうことだか詳しく話を聞かせてくれ」
こくりと頷くと、犬吠埼はなぜか顔を赤くしながら話し出す。
「親父が世話になってる社長さんがいてさ。今度の創立50周年パーティに家族で呼ばれてるんだ」
「へえ、パーティーか」
……パーティーって何をするんだろう。
お酒の樽をバットで割ったり、くす玉を割ったり、とにかくそんな感じで色々割って華やかなイメージだ。
「それでなんで偽彼氏なんだ?」
「そこで……あれだ。その……あたしの……」
「お前の?」
どうにも歯切れが悪い。俺はパンケーキを口に放り込む。
「……こ、婚約が発表されるんだ」
「ごふっ!」
今度は俺がむせた。
胡桃が俺の背中をトントン叩く。
「はっ?! 婚約って誰の?」
「だからあたしのだって」
「いやいや、待てよ。ズルいだろ相手の男! 付き合ってるのか?」
「ズルいとか訳分かんねえって。だから親同士が勝手に決めた許嫁なんだよ」
……許嫁?
やっぱりズルい。
犬吠埼が勝手に嫁になるなんて、いくら何でも相手の男、人生チート過ぎやしないか。
「だけど、いくら何でも早くないか? まだ高1だろ」
「うちの一族、10代で子持ちバツ1くらいじゃ誰も驚かねえし。若い内に結婚して子供産んどけって方針なんだ」
まあ、ヤンキー一家じゃ仕方ない。
犬吠埼を嫁にもらえるんなら、早いだ遅いだ言ってる場合じゃないしな。
「つまり偽彼氏になって欲しいってことは」
「ああ。パーティーに恋人役で一緒に来てもらって、そこで婚約を破棄するつもりだ」
「だけど……そんな回りくどいことしなくても、ちゃんと話せば分かってくれないか?」
「うちの親父、聞きゃあしないんだ。高校卒業まで籍は入れないんだから、婚約くらい構わねえだろって」
高校卒業と同時に入籍……?
いやいや、マズいだろ。世の中にそんな不公平があっていいはずがない。
「いきなりな話で驚いたかもしんねえけど、こんなこと頼めるのお前しかいなくて―――」
「……任せろ」
俺はクリームに塗れた口元をぬぐい、とっておきのニヒルな表情をして見せる。
「俺達3人、図書委員一年の仲間だろ。こんな時くらい手伝わせてくれ」
胡桃も同意見らしい。
俺の膝の上で、うんうんと首を縦に振る。
「ふぁふぉふぉ! ふぁふぁふぃふぉ!」
「胡桃、ちゃんとお水飲んで。はい、ごっくんしてー」
コップの水を一気に飲み干すと、胡桃は幸せそうに頬を緩める。
「ふひゃー、美味しかったー!」
「はい。お口の中、空になったから喋っていいよ」
「あ、そうだった。犬ちゃん、そういう話なら私も協力するよ。犬ちゃんがお嫁に行っちゃたら寂しふなっふぁうひ―――」
……なんで話してる途中に食い始めた。
口一杯にパンケーキを頬張る胡桃を膝の上から降ろし、珈琲に口を付ける。
「で、相手はどんな男なんだ?」
「ああ。ヒデ兄―――って呼んでるんだけど。家族ぐるみで付き合いがあってさ。ガキの頃から親戚の兄ちゃんみたいな感じだったかな」
犬吠埼は申し訳なさそうに顔を伏せる。
「嫌いなわけじゃないけど、そういう相手には考えらんねえ」
「そういうもんかね。俺には良く分からんが」
「市ヶ谷、考えてもみろよ。姉同様に付き合ってた近所の姉ちゃんと、いきなり婚約だぜ?」
……なるほど。
ガキの頃から付き合いのあった近所のお姉さんが、実は自分の許嫁―――
「え……あり寄りのありじゃね?」
「ないからっ!」
口からクリームを飛ばしながら、胡桃が食って掛かってくる。
「や、やっぱ幼馴染とかと結ばれるのが自然っていうか! 年上のお姉さんとか、や、やらしくないかなっ?!」
「年上のお姉さんが幼馴染のことだってあるぜ」
「待て、お前らなんの話してんだよ」
割って入る犬吠埼に向かって、胡桃が不満気に口を尖らせる。
「だってぇ、達也が近所のお姉さんにちょっかい掛けるんだもん」
「……何で俺、存在しないお姉さんの件で責められてんだ?」
「だから、あたしのせいで揉めんなって」
そもそも何を揉めてるのかも良く分からない。
とりあえずもう一口胡桃に食わせると、ようやく落ち着いた。
「悪い犬吠埼、話の腰を折っちまったな」
「いや、そもそもあたしが変なこと頼んだのが悪いんだ」
犬吠埼は気落ちしたように顔を伏せる。
「そりゃ偽彼氏なんて周りをだますようなこと、最低だよな」
ビクリ、と震える胡桃。
「さ、最低……かな?」
「そうだ。しかもダチまで巻き込むなんてホントろくでもねぇ。なにより女らしくねぇ」
胡桃の震えがひどくなる。
「そ……それほど? 偽彼氏ってそれほどの悪行なの……?」
胡桃は青い顔をしながら震えるフォークを口に運ぶ。
それでも食うのか。
「まあ、俺達はお前を手伝うと決めたんだ。決めた以上気にすんな」
「……いいのか? だけど、菓子谷が―――」
犬吠埼が気遣わし気に視線を向ける。
胡桃は細長いクリームの塔の上、今にも零れ落ちそうな大粒の苺にフォークで狙いを定める。
「……いいんだよ。私も一人の女として、犬ちゃんに秘密だってあるし」
一人の女。
なにも間違っていないが何だろうこのモヤモヤとした気持ち。
「本妻としての余裕があるって言うか。えいっ!」
振り下ろしたフォークに弾かれ、吹き飛ぶ苺を受け止めると胡桃の口に放り込む。
「もぎゅもぎゅもぎゅ……」
「言葉には気を付けようぜ。本妻とか言うと犬吠埼と俺の立場が変なことになるしな?」
分かっているのかいないのか。
胡桃は笑顔で親指を立てる。
不安そうな犬吠埼に向かって、俺も親指を立てて見せる。
「ま、どうにかなるから心配すんな」
――――――
―――
「そっか……犬ちゃんも盛ってたんだ……実は私もAカップだって嘘ついてたの………むにゃむにゃ」
胡桃、嘘ついてたのか。
……知ってたけど。
俺は背中の胡桃を担ぎ直すと、足を速めて犬吠埼の隣に並ぶ。
腹一杯にパンケーキを詰め込んだ胡桃はすっかりおねむの時間。
胡桃メーターにもう少し余裕があると思っていたが、前半はしゃぎ過ぎたのを計算に入れていなかった。
「犬吠埼、ごちそうさん。却って悪かったな」
「気にすんな。もちろん今回の件の礼ってわけじゃねえからな。気が乗らなきゃいつでも断ってくれていいぜ」
「今更断るかよ。胡桃のことは気にするな。ちゃんと分かってくれてる」
……そもそも胡桃だって偽カレカノの首謀者だ。
「でもいいのか?」
「なにがだよ」
「婚約断ったらさ、もう後戻りはできないぜ? 大学卒業するまで猶予するとかでもいいんじゃないか」
「両天秤みたいなのは女らしくねえ。それにヒデ兄の年で、そんだけ待たせるわけにもいかねえしな」
そういや、相手のこと良く知らないな。
家族ぐるみの付き合いがある兄的な人物だとしか聞いてない。
「そういやヒデ兄って何歳なんだ?」
「あたしより一回り上だったかな」
ほう。一回り上。一回り―――
……犯罪だ。完全に犯罪だ。
この婚約、破棄させずにいられようか。
「……任せろ。絶対に婚約をぶち壊してやる」
「お、おう……なんかやけに気合入ってんな」
固く心に誓ったその時―――
「むにゃむにゃ……これでも寄せて……上げてる……」
―――胡桃の寝言が時を止めた。
「っ?! まさかそんな―――」
思わずそう言った俺の口を塞ぎ、犬吠埼がゆっくりと首を振る。
―――一人の女として。秘密の一つや二つはあるものだ。
犬吠埼の優しい瞳は、はっきりとそう物語っていた。