41 幸せの黒毛和牛
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
俺は最後のお客を送り出すと、ホッと一息ついてネクタイを緩めた。
……第80回タイラギ高校学園祭、1年3組の英国喫茶も無事閉店。
夕方は暇になるかと思っていたが、自分達の展示を終えた生徒達で今日一番の盛況だったのは誤算だった。
……それにしても密度の濃い一日だ。
朝から喫茶の開店、図書室での寸劇を経て怒涛のアイドルライブである。
そういや中学の同級生との再会もあったな。
なんかメッセでも来てないか。
スマホを確認しようとすると、コンセプトプロデューサーの夢咲春香が、しかめっ面で俺の前に立つ。
「市ヶ谷君……執事がネクタイを緩めるのはベッドの上だけ……服装はちゃんとして」
「お前の爛れた執事観はともかくだ。もう喫茶店も閉店だろ? ちゃっちゃと片付けちゃおうぜ」
「まだ最後の仕事が終わってない……」
「最後の仕事?」
喫茶の営業も終了し、片付けの他にどんな仕事があるというのか。
見れば料理長の利根川がトレイに焼き菓子を並べている。
バックヤード担当もフロアに出てきて片付けているかと思いきや、何故か再びテーブルのセッティングを始める。
もう閉店したんじゃなかったっけ。
キョロキョロ見回す俺の肩をクラス委員の熊谷が叩く。
「今からは貸しきりだ。市ヶ谷、お客様の出迎えを頼む」
「なんだ、先生でも呼んでるのかよ」
やれやれ、もうひと頑張りということか。
ネクタイを直すと、人の気配がし始めた扉に向かう。
「お帰りなさいませ、お嬢様―――」
「あら、お出迎えはあんたなの?」
教室に入ってきたのはきらびやかな恰好をした女生徒。
「……悪役令嬢?」
思わず口にしたのも無理はない。
そこにいたのは西洋貴族のようなドレスに身を包んだ放虎原。羽根付きの扇子で俺の肩をポンと叩く。
「誰が悪役令嬢よ。見惚れてないで私とお姉さまを案内して頂戴」
「お姉さま?」
そうは言うが放虎原の奴は一人だぞ。
ぼんやり見まわしていると、放虎原の後ろからひょこりと小さな顔が除く。
「えへへー 来ちゃった」
スカートの奥から現れたのはピンク色のドレスに身を包んだ胡桃。
「胡桃? なんでそんな恰好してるんだ」
胡桃はハーフアップの編み込み髪に、薄く化粧もしているようだ。いつもと違う雰囲気に思わず目を丸くする。
放虎原が意味あり気にニヤニヤしながら俺をつつく。
「市ヶ谷。彼女のこの格好を前に、何か言うことがあるんじゃない?」
「そりゃ可愛―――」
俺は一旦言葉を切り、咳ばらい。
「えっと……似合ってるんじゃないかな」
「ねえ、達也。最初なんか言いかけなかった? ねえってばー」
「お嬢様方、席にご案内しまーす」
まとわりつく胡桃をあしらいつつ、二人を席に案内する。
「えへへー、達也が執事さんだ。えへへー」
俺が椅子を引くと、胡桃は上機嫌に腰掛ける。
「貸し切りのお客ってひょっとして二人のことか?」
「クラスの総意として、営業時間最後の30分を菓子谷タイムとして彼女を接待することに決めたのよ。ちなみに私の設定は彼女の妹なの」
「……その総意、俺が入ってなくない?」
なんでそんな謎設定を。
しかしまあ、こいつらだって客なことには変わりない。
「それではお嬢様、ごゆっくりどうぞ」
「ねえ虎ちゃん、お嬢様だって。えへへー」
「本当、市ヶ谷ったら笑えるわね。ふふっ」
……こいつらめ。でもこれも仕事だ。好きに言うが良い。
「執事さん、早くお茶とお菓子をくださいな」
「くださいなー」
「分かった分かった。大人しく座ってろよ」
バックヤードに戻ろうとするが、そこにはクラス委員の熊谷が一人だけ。
売り物のクッキーをコリコリと齧っている。
「あれ、他の皆はどうした」
「それがだな。菓子谷さんは自分ばかりが接待されるより、みんなで仲良くお茶をしたいと言ってくれたんだ。だから全員客席に出ている」
本当だ。
見れば裏方女子はテーブルで思い思いにくつろいでいる。
「早く私達にもお茶ちょうだーい」
「ちょーだーい」
「ちょっと待てよ。お前ら自分の分は自分で用意しろって」
言うが早いか、バックヤードガールズが俺にブーイングを浴びせてくる。
「市ヶ谷君、途中抜けてデートしてたくせに」
「私ら、働きづめでそんな時間なかったんだぞー。そんな相手もいないんだぞー」
「そうだそうだー お茶とお菓子をくださーい!」
こいつら人の苦労も知らないで……って、今日は俺そんなに辛い目にあって無いな。
確かに随分シフトを抜けさせてもらったし仕方ない。
「市ヶ谷、僕もお茶を一杯所望する」
「委員長のお前は働け。ほら、お茶の準備するぞ」
俺が熊谷を引っ張り紅茶の準備をしていると、隣にメイド服の女生徒が並ぶ。
給仕仲間の七星三奈実だ。
七星は日に焼けた顔に笑顔を浮かべると、お盆にカップを並べ始める。
「手伝ってくれるのか?」
「まあね。助けてくれたお礼かな。それと裏方の皆にもお礼の気持ち」
こいつ、可愛い上にいい奴だ。放虎原にも爪の垢を煎じて飲ませたい。そしてせっかくなら俺も一口貰いたい。
と、七星がパンパンと手を打ち鳴らす。
「はーい、男子連中は大して働いてないから運ぶの手伝って!」
それまでろくに働いてなかった男子どもがそそくさと動き出す。
なんだこいつら。可愛くてメイド服の女子にちょっと言われたらこんなんか。
俺がお茶を乗せたカートに手をかけると、その上にお菓子の入った鳥籠のようなものが置かれる。
「これ、テレビで見たことあるな。お金持ちのマダムの前にある奴だ」
「ティースタンドよ。こんなこともあろうかと用意してたの」
“こんなこともあろうかと”担当の利根川だ。
立ったままお茶をすすりつつ、胡桃達に向かって顎をしゃくって見せる。
「彼女を待たせちゃ駄目よ。文化祭デートは〆が重要なんだからね」
文化祭デート……まあ、事情を知らない奴が見たらそんな風に見えるのか。
「お待たせしました。ダージリンのセカンドフラッシュです。まずは何も入れないで香りをお楽しみください」
「はーい、執事さん」
ノータイムで砂糖とミルクをぶち込む胡桃を見ながら、隣の席に座る。
「二人ともお疲れ。なあ、なんで放虎原までそんな格好なんだ?」
そもそも胡桃がこんな格好なのも訳分からんが、そこは言っても仕方ない。
「菓子谷さんリクエストよ。お姫様みたいな恰好したいって。私は一緒の格好がしたかったの」
「単なる趣味かよ」
「私はあんたと違って一日フロアに立ってたから、今はプライベートの時間だし」
「虎ちゃん、頑張ったもんねー」
放虎原の頭をよしよしと撫でる胡桃。
「私頑張ったよねー、お姉さま」
「だからそのお姉さまっての何だよ」
「だって菓子谷さんの方が2か月くらい年上だし」
なるほど。理にかなっている。
見た目は母娘と言ってもいいくらいだが。
胡桃はスコーンをどう食べたものか、クルクル回しながら凝視している。
「気が重い……今夜の家族会議は正念場だ……」
呻くようにそう言いいながら、利根川が向かいの椅子に腰を下ろす。
「利根川もお疲れ。家族会議って、何があったんだ?」
利根川は疲れた顔でクッキーを口に放り込む。
「父親がね……体育館でやってたオークションにリアルな金額突っ込んじゃったみたいで」
「へえ、オークションに」
……そういや見ずに出てきたけど、コンサート終了後のオークションはどうなったのだろう。
いくら何でも高校の学園祭だ。リアルと言ってもそこまでの金額が動くとは―――
……いやまさか。
横目で胡桃の様子を伺うと、スコーンに齧りついたまま固まっている。
「どうした、胡桃?」
「……ねえ、達也。今日お母さんが夕飯食べに来ないかって」
「おばさんが?」
なぜ今、強張った表情でそんな話を。
胡桃の頬を一筋の汗が流れる。
「なんか知らないけど、今晩はすき焼きなんだって―――A5ランクの黒毛和牛」
オークション―――大人の時間―――すき焼き―――黒毛和牛―――
脳内をいくつかの単語が巡る。
……つまりあれか。
今日のすき焼きは利根川家の奢りみたいなものか。
「利根川、お茶お代わりいるか? スコーンも代わりに割ってやるぞ」
「あれ、随分親切ね。じゃあ、ジャムとクリームも乗せて貰える?」
「よし任せとけ。たっぷり乗せるぞ」
「じゃあ私は利根川ちゃんの紅茶にミルク入れてあげる!」
「二人してどうしたの? 随分優しいのね。遠慮なく甘やかされるけど?」
ああ、いくらでも甘えてくれ。
……学園祭の最後に飲んだ紅茶は、ちょっぴりほろ苦い味がした。
――――――
―――
昼間までの喧騒が嘘のようだ。
並んでいたテントは全て畳まれ、コンロや調理器具も回収の車に積み込まれていく。
夕暮れの赤い空の下、片付けを終えた生徒達から帰り始めている。
教室の片付けを終えた俺も、胡桃との待ち合わせ場所に向かう。
向かうは武道場の裏。
部活が休みの日は穴場の猫スポットとして一部の生徒に有名なのだ。
胡桃のクラスの片付けは5分で終わったに違いない。
猫まみれの胡桃を想像しながら校舎の角を曲がった俺は、予想外の光景に思わず身を隠す。
「っ?!」
猫を胸に抱いた胡桃の前。
一人の男子生徒が落ち着かなげに立っている。
なんだこの光景。
ナンパ……とは微妙に違うな。
同じ学校の生徒だし、なんか真面目な感じの雰囲気だし。
つまり……K・O・K・U・H・A・K・U!?
うわ、そんな場面初めて見た。
胡桃の奴、やたら告られてるらしいけど話でしか聞いたことなかったし。
……この場合、どうしたらいいんだ。
確か最初はロリコンどもから俺を防波堤に―――という話だったが。
あいつ彼氏が欲しいとも言ってたし、なんかマジ告白っぽいし……まともな相手なら黙って見守ればいいのだろうか。
「―――ごめんね、私彼氏いるから」
俺は木蔭から木蔭に渡り、話が聞こえるところまで忍び寄る。
……まずは相手の男を見極める必要がある。
これは覗きとか盗み聞きとかではなく、偽彼氏兼幼馴染として当然の行為というかなんというか。
「分かってる。でも菓子谷。せめて話だけでも聞いてくれ」
……あの男、いま胡桃を呼び捨てにしたぞ。
見ればその男はすらりとしたイケメンで―――まあ、俺よりちょっと背が高くて顔がいいだけだ。まだまだ油断はならない。
「夏頃、クラスの雰囲気が少しおかしかっただろ?」
「えーと、あれかな。玉ちゃん派とコロ助派がもめてたころかな」
男は胡桃のクラスメートか。
……だからって呼び捨てにするか?
まあ確かに俺も放虎原や利根川を呼び捨てにしてるけど、それとはちょっと事情が違うというかなんというか。
俺は更に隣の木に移ると、慎重に様子を伺う。
「クラス全体がどうかしてた時、菓子谷だけが派閥とか関係なしにみんなと仲良くしててさ。おかげで段々、クラスが元に戻れたんだと思う」
「私はただ普通にしてただけだよ? 誰がどの派閥とか覚えらんないし」
「……相変わらず、謙遜するんだな」
見知らぬ男子よ。今のは多分謙遜ではない。
次の瞬間。思わず気を抜いた俺の耳に信じられない言葉が飛び込んでくる。
「菓子谷のこと、カッコいいなって」
「……カッコいい?」
ピクリ、と反応する胡桃。
うわ。胡桃の奴、カッコいいとか言われてちょっと照れてやがる。
「えー、そうかな。私カッコいいとか言われたこと―――」
嬉しそうにグネグネする胡桃に向かって、男が足を一歩踏み出す。
「俺、そんな菓子谷のこと―――」
真剣な口調で言いかけた男が、驚いて言葉を飲み込む。
……男が驚いたのも無理はない。
胡桃に告白しようとした途端、いきなり彼氏(偽)が目の前に現れたのだ。
……あれ。彼氏(偽)って俺だ。
俺、なんでいきなり男の前に飛び出したのか。
「達也っ?! 聞いてたの?!」
「確か君は……」
「違っ! 呼び出されたわけじゃなくて、ここで偶然―――」
焦る胡桃の手を掴むと、俺は笑おう―――としてやたら強張った表情になる。
いかん、こんな表情を胡桃に見せられない。
俺は男に顔を向け、この場を収めるべく、押さえた口調で差しさわりの無いように―――
「悪い。こいつ俺の彼女だから、他あたってよ」
……慣れない状況に俺もちょっとテンパってる。
俺は立ち尽くす男を残し、胡桃の手を引きその場を離れる。
「達也! あの、違うんだよ?」
「いいから。分かってる。分かってるから」
……やっちまった。
大人しく見守るつもりが、思わず出て行ってしまった。
自己嫌悪に陥りつつ、足を止めずに裏門まで来た。
「あの、ちょっと手……痛……」
「っ?! ごめん! 大丈夫か?」
ああもう、俺はなんでこんなにテンパっているのか。
胡桃の告られを邪魔するし、強引に胡桃を引っ張るし―――
「なんか……ごめんな急に出てって。真面目な話だったんだろ?」
「全然! 断るつもりだったし!」
胡桃はブンブンと首を振る。
「だって私、彼氏いるって―――設定だし」
「ああ。俺……偽彼氏だしな」
胡桃は肩に乗ったままの猫を地面に下ろすと、おずおずと俺を見上げる。
「あの、達也?」
「お、おう……」
「さっき……私を心配してくれたの?」
「まあ……そりゃ、な」
何となく気まずく目を逸らす俺の腕に、胡桃がトンと身体をぶつけてくる。
「今日、すっごく楽しかったね」
「確かに。色々あったけど」
「色々……あった。うん、確かにあった」
……主に37才のアイドルの件とか。
胡桃は少し不安そうに俺に手を伸ばしてくる。
「じゃあ心配ついでに。手繋いで帰ろ?」
「別に……そのくらい、いいけど」
いつもくっ付いてくる胡桃だが、改まって言われるとちょっと変な感じだ。
手を繋いで裏門をくぐると、暮れ始めの秋の風が胡桃の髪を揺らす。
「今日ね、虎ちゃんが髪を結ってくれたの。凄いでしょ? どう?」
「放虎原が? へえ、良くできてるな」
「つまり? それって?」
なんか胡桃がグイグイ来る。
いや、いつもグイグイ絡んでくるが、こっち系の絡みはなんだか慣れないぞ。
「だから……似合って……るんじゃないかな」
俺がぶっきらぼうにそう言うと、胡桃はえへへと笑う。
「今晩のすき焼き楽しみだね! A5ランクの黒毛和牛―――」
言いかけた胡桃は思わず天を仰ぐ。
「あれ……これって、喜んでいいんだっけ……?」
「誰かの幸せの裏には、他の誰かの不幸せがあるものさ。俺達にできるのは……感謝だけだ」
「……感謝しないとね」
「ああ。利根川に感謝……だな」
……そう。黒毛和牛に罪は無い。
夕暮れ空に浮かぶ利根川の決め顔を眺めつつ、俺達はじゅるりと涎をすすった。