40 伝説のステージ
有志女子生徒による下坂55号のアイドルライブ。
毎年行われるアリーナ席の争奪戦は尺にすれば単行本一冊になるという。
それほど人気の恒例イベントである。
それを何故か体育館の最前列で見ることになった訳だが。
「美鶴、どうしてこの席を確保できたんだ?」
「なんでだろね、お兄ちゃん。折角だから楽しもう?」
余裕たっぷりの弟とは裏腹に、胡桃はさっきから頭を抱えてブツブツと呟いている。
「おかしいおかしいおかしいおかしい……なんで私がこんなところに……」
「なあ胡桃。さっきからなんで変なテンションなんだ? お前も歌は好きだろ」
「……達也は感じないの? この流れ、完全にあれだよね?」
「あれってどれ?」
「あれはあれでしょ?! 達也、菓子谷家と何年の付き合いだと思ってるの?!」
信じられないとばかりに目を丸くして首を振る胡桃。
なんだか訳が分からんぞ。
「なあ美鶴。胡桃はさっきから何言ってんだ?」
「いいんだよ、お兄ちゃんはそのままで」
包み込むような微笑みで俺を見返す美鶴。
菓子谷家の面々は一々反応が良く分からない。
時計を見れば開演時間。
ステージにフリフリの衣装を身にまとった一人の女生徒が姿を現した。
既に固定ファンがいるらしく、体育館のそこかしこからみっちゃんコールが起こっている。
ファンに手を振りつつ、ステージの中央でマイクを握る。
「今日は私達、下坂55号のプレミアムライブにようこそいらっしゃいました!」
この人……確か入学時の部活動紹介で見たことがある。
アイドル経済研究会会長の早見さんとか言ったか。
私服OKの職場見学に衣装で来たせいで、次回から全校的に制服必須になったのは語り草である。
「さあて、盛り上がっていくよっ! 一曲目は―――夢見る辻占煎餅!」
客席の灯りが消え、イントロが流れ出すと同時。
フリフリ衣装の女生徒達が左右から走って登場。観客席から野太い歓声が上がる。
静かにそれを見守りつつも、内心テンションが上がるのを認めざるを得ない。
手始めに脳内で3人ほど、要チェックメンバーを選出する。
「……いない?」
踊り出すメンバー達を油断なく観察していた胡桃がぽつりと呟く。
「良かった……偽物だ……偽物だったよ……この人達、みんな偽物だった」
……偽物? なんか胡桃が失礼なこと言ってるぞ。
やれやれ、俺がちょっとフォローを入れてやろう。
「胡桃よ。確かにテレビで見るアイドル達に比べたら素人芸だ。児戯と言ってもいい。ただ、このちょっと照れてる感じがいいんじゃないか。これこそが素人芸の神髄であり、むしろ吹っ切れてしまったらジャンルが変わってしまうと俺は思うね」
「達也、なんでそんなに早口なのさ……」
何故かジト目で俺を見る胡桃。
……しかしこれは思ったより悪くないぞ。
特に右端後列のバレー部っぽい子が味わい深い。
さすがに恥ずかしいらしく、さり気なく他の子の後ろに隠れようとするが、背が大きくて全然隠れられないのだ。
しかも脚が長いせいでスカートがやたら短く見える。それを知ってか、恥ずかしそうにフトモモを隠そうとしているのも好感触だ。
さらに見ると左から2番目前列。スラリとした女の子も興味深い。
いかにもダンスしてそうな見た目なのに動きがぎこちない。他の子からワンテンポ遅れた挙句、ちょっと盆踊りっぽい動きなのも加点要素である。
―――最初のサビの直前だ。
音楽が止まり、ステージの灯りが突然消えた。
……停電か?
不安げに腕にしがみついてくる胡桃。
会場がざわつき始めたその瞬間。
パッとスポットライトがステージの中央を照らした。
そこには青い衣装に身を包んだ小柄な少女が、決め決めのポーズをとっている。
福原遥と広瀬すずを足して二で割ったような美少女の登場に、一瞬静まり返る会場。
「ひっ?!」
胡桃が思わず喉の奥で悲鳴を上げる。
「どうした胡桃―――」
……あれ?
謎の美少女から漂う隠しきれない安達祐実感はひょっとして―――
『……本物?』『本物だ』『本物って何の?』『分かんないけどあんだけ可愛ければ本物でしょ』
口々に呟きだす観客。頭を抱える胡桃。
と、光の輪の中にアイドル経済研究会長の早見さんが入ってくる。
「本日の特別ゲスト! 交換留学生のノイヤー・ショコラーテ!」
「初めまして! ショコラって呼んでください!」
ショコラなる美少女が手を上げるのに合わせて、照明と音楽が復帰。
途端、会場が一気に爆発する。
『ショコラちゃーん!』『ショコラー』『視線ちょうだーい!』
総立ちの観客の中、胡桃一人が頭を抱えたままブツブツと呟いている。
「なにがショコラよ……母さんメッチャ日本人じゃん……じーちゃん栃木じゃん」
実の母が学園祭で高校生のふりをしてステージデビューだ。
胡桃の心中、察するに余りある。
……だがしかし。だがしかし、だ。
俺がソワソワと辺りを見回していると、美鶴が俺の手に赤く光るサイリウムを握らせて来る。
「美鶴……いいのか?」
「もちろんだよ。僕と一緒に応援しよっ?」
美鶴は今度は胡桃にサイリウムを差し出した。
「さ。お姉ちゃんも」
「私に母さんを応援しろと……?」
胡桃はゆっくりと顔を上げる。
曲は2番のBメロに差し掛かったところだ。
独自の振り付けはちょっと古いが、ショコラ嬢のオーラは圧倒的だ。歓声で体育館の床どころか照明までもが揺れている。
「こうなったら自棄だっ! 私もやってやるっ!」
両手にサイリウムを持った胡桃が立ち上がる。
「美鶴も達也も本気で行くからねっ! 菓子谷家の本気を見せてあげるよ!」
「え、俺も菓子谷家に入ってるの?」
「……え? 嫌?」
胡桃がモジモジと俺を見上げる。
「嫌というかなんというか。俺、長男だし」
……いや俺ら何の話してんだ。
グダグダの俺達の間に、美鶴が指の間にサイリウムを装備して割り込んでくる。
「さ、サビに入るよ。菓子谷家の絆―――見せてあげよう」
――――――
―――
第80回タイラギ高校学園祭。
伝説のステージが幕を閉じた。
二度のアンコールを経て、燃え尽きたファン達がぐったりと体育館の床に座り込んでいる。
俺の隣では、パイプ椅子の上で胡桃がちょこんと体育座りをしている。
「悪夢だ……記憶を消せるなら、悪魔に魂だって売ってやる……」
ヤバイ、このままでは胡桃が闇落ちしてしまう。
俺がポケットの飴玉を探っていると、ザワつく人声がこちらに近付いてくる。
見ればフリフリ衣装のノイヤー・ショコラーテ(仮)が俺達の前にいる。
「おば―――えっと……ショコラさん、お疲れ様です」
「みんなで見てくれたんだね。はい、こっち注目ー」
ショコラ改め胡桃母は美鶴に腕を回すと、スマホで2ショット自撮りをする。
「はい次は胡桃ちゃんと達也君、一緒に撮るよー」
「え? あの、ショコラさん?」
腕を回してくるショコラさんの首筋はうっすら汗ばみ、香料と混じり合った大人の女性の香りが―――って、いやいや何考えてるんだ。
この人は胡桃の母親だぞ―――
……ん?
何故か菓子谷家+1名の周りをギャラリーが取り囲んでいる。
え、なにこれ。
「ショコラさん、次は私と写真を!」
「いや私が先に!」
「ここは年齢順に―――」
何でこいつらもめてんだ。
ニコニコとそれを見守るショコラ嬢はさすが年の功というべきか。
その時、キィーン、とマイクのハウリング音が響き渡る。
思わず視線を向けたステージの上には、みーちゃんこと早見会長の姿。
「それでは皆さま! ノイヤー・ショコラーテ嬢との2ショットチェキ権をかけたオークションを開催します! 参加者はこちらの物販受付までおいでくださーい!」
歓声を上げて物販受付に殺到するギャラリー達。
……何故か教頭先生の姿も見えるが大丈夫なのか。
漂う金の気配。
ショコラ嬢は俺達を順にハグすると、ステージに登る。
ここからは―――大人の時間だ。