37 天狗の仕業
俺は家庭科室から運んできた魔法瓶を机に並べた。
その横には電気ポットとヤカンが並ぶ。
「お湯はここ置いとくぞ」
「市ヶ谷君、ありがとー」
「そろそろカセットコンロに火を入れてくれ」
バックヤード担当の女子たちが慌ただしく動き出す。
飲食店をやるからには水の確保は最優先事項だ。
魔法瓶のお湯は食器の温めに使い、カセットコンロと電気ポットで熱湯を用意する。
計算では、これで十分足りるはずだ。
俺はお菓子の数を数えている利根川の手元を覗き込む。
「お菓子は全種類揃ってるか」
「私を誰だと思ってるの? 完璧よ」
利根川は眠そうな目で親指を立てる。
「……ねえ。魚のパイ、本当に焼かなくて大丈夫なの? 今から取り掛かればランチに間に合うわよ。目玉になると思うけど」
確かに目玉になる……というか、目玉が並んでるけど。
「ほら……うちの学園祭、小さなお子さんも多いから。泣いちゃうし」
「失礼ね。町内の老人会に差し入れたら好評だったのよ」
なにそれ怖い。利根川、結構無茶をする。
ふと、横から湯気の立つティーカップが差し出される。
「準備は万端だ。開場まで一服入れるといい」
「おう、ありがとう」
クラス委員兼、実行委員長の熊谷だ。
最近、すっかり存在を忘れていた。
熱い紅茶の香りを胸一杯に吸い込む。
「委員長~ 勝手に食器使わないでくださーい」
「な……ス、スタッフを労うのだから良いだろう」
「じゃあ、私たちも労ってくださーい。私達、たこ焼き食べたいでーす」
「でーす」
熊谷の奴、バックヤード担当の女子連中に叱られてる。
なんか楽しそうだな。たこ焼きおごりたくなってきた。
……しかしこの執事服というのは肩がこる。
夢咲の涎を避けながら苦労して身に着けたのだが、シルエットを保つには背筋を伸ばす他ない。
「市ヶ谷、ネクタイ曲がってるわ。しゃんとなさい」
放虎原が俺のネクタイを直してくる。
メイド服にフリルのカチューシャが良く似合っている。
「お……ありがと」
同じシフトにイケメンの成宮も入っている―――にも関わらず俺の世話を焼くのは、放虎原の奴、ひょっとして……?
何気にドキドキしている俺の全身を見回すと、放虎原は残念そうに溜息をつく。
「さして期待はしてなかったけど。もう少し、パッとしなさいよ」
「パッと……って、どうやって?」
その時、校内放送のスピーカーから、ザザッと雑音が聞こえて来る。
―――これより第80回タイラギ高校学園祭を始めます
開始の宣告に、どこからともなく歓声が上がった。
皆の表情が引き締まる。
メイドと執事の第一陣、総計4名が入り口の前で出迎えの準備をする。
放虎原が煽るように俺を見る。
「行くわよ、市ヶ谷」
「ああ。パッとしてやるぜ」
――――――
―――
俺は食器をワゴンに乗せると、急いで布巾でテーブルを拭き上げる。
「成宮、2番トレイを4番テーブルに。七星さん、ウェイティング3名様を2番テーブルに案内して」
矢継ぎ早に指示を出すと、食器をバックヤードに戻す。
俺が指示出しをしているのは、優秀さが認められた―――というわけでなく、単にイケメンと美人で構成されてる他スタッフが接客に忙殺されているからである。
放虎原は言うまでもなく、もう一人の七星三奈実も男子人気が高い女子だ。
水泳部の褐色娘で、メイド服と日焼けの組み合わせはイチゴ大福に通じる何かがある……とは俺個人の見解である。
追加注文の利根川印のスコーンを出し終えると、教室をざっと見まわす。
注文を取る放虎原、女生徒につかまった成宮。
そして七星も他校の男子生徒につかまって―――
……いや、絡まれているのか?
七星は助けを求めるように辺りを見回している。
喫茶店をすると、毎年どうしてもこういった手合いが来るらしい。
先生を呼ぶしかないが、来るまで放っていくわけにはいかない。
笑いながら七星のメイド服に手を伸ばす男達。
俺はその間に身体を割り込ませた。
「お客様、どうかいたしましたか?」
「男はいいから。俺達、このメイドちゃんとお話してるから邪魔しないで」
「この子、俺らのテーブルの専属だから」
笑いさざめく男達に、俺はメニューを差し出す。
「それでしたら、こちらの限定メニューはいかがでしょうか。お客様にだけに特別です」
特別、という言葉に男達の目がメニューに集まる。
―――専属給仕プラン 10分 3千円
「は? これ、ぼったくりじゃね?」
「特別なお客様だけに用意したプランです。いかがですか?」
一瞬の間。男の一人が苛々と手を振った。
「そういうのいいから。とにかくお茶出して」
「承知しました。七星さん、ブレンドティー4つお願い」
「あ、はい!」
七星さんはパタパタと厨房に駆けていく。
……俺が空いたテーブルのセッティングをしていると、放虎原が隣に並ぶ。
「あんたさっき、何見せたの?」
「ちょっと昨日、ある出し物にヒントをもらって。朝一で先生の許可貰ってきたんだ」
急ごしらえの『限定メニュー』を見せると、放虎原は呆れたように首を振る。
「払うって言ったらどうしたのよ」
「だってこれ、“専属給仕”プランだからな。とっておきのイケメンを用意するぜ?」
冗談めかしてそう言うと、放虎原は俺の背中を軽く叩いてホールに戻る。
「じゃあ、あんた大忙しね」
……どういう意味だ?
尋ねる間もなく、次の客が教室の入り口から中をのぞいている。
俺は背筋を伸ばして歩み寄る。
「お嬢様、お帰りなさいませ。テーブルにご案内いたします―――」
――――――
―――
開店からお客も何度か入れ替わり、少し落ち着いてきた。
段々とバックヤードに食器が溜まりつつあるようだ。
俺はエプロンを着けると、使用済みの食器が入ったバケツを手に取った。
廊下に出ようとする俺の前、夢咲が立ち塞がる。
「市ヶ谷君、あなたの衣装……次は速水君に合わせるの……裾も直すから脱いでって」
「そうだったな。じゃあ先に着替えてから―――」
言い終わるよりも早く、夢咲は俺の執事服のボタンを外しだす。
「え!? ちょっと、自分で脱げるから」
「執事服の構造……チェックしておかないと……」
「昨日、散々確認してただろ?!」
「着てるのは別腹……悪いようにはしないから……うへへ……」
……駄目だこいつ、完全に目がイッてやがる。
と、ゴスンと鈍い音がして夢咲が頭を押さえてうずくまる。
放虎原がお盆で夢咲の頭を叩いたのだ。
しかも角で。
「夢咲、あんたなにやってんの。ほら、市ヶ谷もイチャついでないで早く着替えなさい」
「……イチャついてるように見えた?」
「反対に聞くけど、彼女に見せられる光景だと思って?」
放虎原は呆れ顔で俺のネクタイを引っ張る。
「それに菓子谷さんのシフト終わりの時間でしょ。彼女を待たせるなんて、万死に値するわ。行ってきなさい」
――――――
―――
……監獄食堂
胡桃のクラス、1年1組の出し物である。
昨日見た看板を探して歩いていると、何故か全ての教室を通り過ぎて校舎の端に着いてしまった。
……あれ、胡桃のクラスってこの階の端っこだよな。
見上げると、確かに1-1の教室札。
不思議に思いながら教室に入ると、壁に何枚かの模造紙が貼られているばかりだ。
……?
とりあえず、一番近くに貼られている模造紙を眺める。
―――ぼくらのまちのはたらくくるま
? どうやら、消防車やパトカー、ショベルカー等の働く車の研究発表のようだが、なぜこんなものが。
……あ、確か昔、この形のミニカー持ってたな。
へー、これってブルドーザーじゃなくてホイールローダーっていうんだ。
タイヤとキャタピラの違いだと思っていたが、使い方も違うんだなあ。
「……ん?」
いやいや、なんで俺この発表を熟読しているのか。
一体、このクラスの連中はどこに行った?
「オモシロイヨー ミテッテネー」
……なんだこの声。
見れば部屋の隅。椅子に腰かけた小さな影が、うつむいたまま芋ケンピをこりこり齧っている。
「ミンナダイスキ オモシロハッピョウダヨー」
「胡桃……何やってんだ?」
「……あれ、達也? 来てくれたの?」
ぴょこんと椅子から立ち上がる胡桃。
「店番だよ。達也も展示を見ていってね」
「……展示? 昨日の脱出ゲームはどうなったんだ?」
胡桃は気まずそうに目を逸らすと、もじもじと両方の人差し指の先を合わせる。
「昨日あれから学年主任の先生が視察に来て……ちょっとばかり絞り過ぎた」
「……なるほど、全部分かった」
その結果が『ぼくらのまちのはたらくくるま』ということか。
胡桃が壁に貼られた模造紙達を笑顔で指差す。
「この『美味しいカレーの作り方』が為になるよ。一日たったカレーが美味しい理由が、これで分かるんだよ」
なるほど。それは興味深い―――
「いやいや、それにしたって胡桃一人か? 他のクラスの連中はどうしたんだよ」
途端に胡桃は遠くを見る目になる。
「クラスのみんなは、余った料理の行商に行きおった― 村に残ったのは年寄だけじゃー」
なんだそのキャラ。
余りの虚しさにキャラブレでも起こしたか。
「天狗じゃー 天狗の仕業じゃー」
「さっき行商言ってたじゃん。そろそろ時間だし図書室行こうぜ」
「あれ、もうそんな時間だっけ。早く行こう!」
「そういや、店番いいのか?」
「誰も来るわけないじゃん! 達也、お客様一号だよ」
そうとは思うが自分で言うな。
見れば胡桃の髪に何か付いている。
何気なく取ったそれは―――
「……芋ケンピ?」
「うわ、ほんとに髪に芋ケンピ付けてる人、初めて見た。達也、早く行こ」
「付けてたのお前自身だぞ」
俺の腕を引っ張る胡桃の後ろ姿を見ながら、俺は芋ケンピを口に放り込む。
……これから図書委員の出番の後、午後からもクラスの当番がある。
さあ、長い一日になりそうだぞ―――