34 オレサマ オマエ マルカジリ
文化祭のイベントに備えた図書室の蔵書の大移動。
倉庫との何度目かの往復を終えた俺は、腰に手を当てストレッチをする。
「いたた……結構これ、腰に来るな」
図書委員、男子が俺を含めて二人だけなのが実に頼りない。
……いや、実質一人か。
俺は本棚にグタリと身体を預ける男子生徒に目をやった。
「先輩、本を運ぶの手伝ってくれませんか?」
「……君のような健康な男には分かるまいが。このような力仕事は命がけだよ」
頼りなさ担当の男子生徒は、2年生の枯木果。
死なない太宰、という謎のあだ名で呼ばれている先輩である。
枯木先輩は青白い額にかかる前髪を弄びながら、物憂げな表情を浮かべている。
「大丈夫です。死なないので働いてください」
「やむを得ぬ……僕は不精だから自動的には働かないが、言いつけられた限りの事は、やってもよい」
めんどくさいことを言いながら、のたのたと本を台車に乗せる枯木先輩。
「……働くとは面倒なものだね。何かを片付ければ、すぐに次の面倒が来る」
「ですね。まずはここを片付けちゃいましょう」
こんなんだが、この先輩は不思議と一部の女子にやたらモテる。
そして図書委員の女性陣からは、死んでないのが惜しまれる……と評判の御仁である。
俺8:先輩2の割合で台車に本を載せ終えると、枯木先輩は倒れ込む様にして台車を押し始めた。
「大丈夫ですか? 俺が押しますよ」
「いや、君はあっちを助けてやってはくれまいか。あれは僕には眩しすぎる」
言ってニヒルに台車に上体を預ける枯木先輩。
……あっち?
枯木先輩の視線の先に目をやると、胡桃が両手に本を持ち飛び跳ねている。
「よっ! とおっ!」
……なんだろう。ジャンプしただけ腕が下がるので、却って本の位置が下がっている気が。
「胡桃、なにやってんだ?」
「あ、達也いいところに。届かないから私を持ち上げて」
「え?」
「はーやーく」
後ろから胡桃の脇の下に手を入れて抱え上げる。
胡桃が本を棚の上の段に入れる。
「はい、もういっちょ!」
再び本を抱えた胡桃を抱え上げ―――
何度かそれを繰り返していると、さすがの俺も何かがおかしいと気付く。
「はい、次―」
「ちょっと待て胡桃。なんかおかしくないか?」
「なんで? 達也 私 持ち上げる。ワタシ ホン ウエウツス! オレサマ オマエ マルカジリ!」
最後のは何なんだ。
「オレサマ 本 上移す……で、全部解決しないか?」
「……おう。そんな気もする」
考え込む胡桃の手から本を取ると、上の段に差し込む。
「ここやっとくから、お前は他の所を手伝ってくれ」
「えー、二人でやればいいじゃん」
「なんでだよ。実はさっき、腕がプルプルしてたんだぜ」
「でもほら、適度なスキンシップは倦怠期のカップルに必要じゃないかな。最近、おんぶとかしてもらってないよ」
俺達、倦怠期だったのか。
今日の昼休み、校庭で寝ちゃった胡桃を席に連れてったのは俺なんだが……
その時、空の本棚の隙間から、黒い影が飛び出してくる。
「バカップルはいねーがー!」
「わきゃっ!」
驚いた胡桃が俺にしがみついてくる。
「お前ら、仕事中にいちゃつくとはいい度胸してんねー」
本棚の向こう側からパペット人形を突き出してきたのは、3年生の池澤萌音。
両手に人形をはめ、胡桃より頭二つ分高い位置から俺達を見下ろしてくる。
「いちゃついてなんて―――こら、胡桃。そろそろ降りろ」
「えー、倦怠期ー、倦怠期だからぶら下がるー」
なんか胡桃が首からぶら下がったまま離れないが、倦怠期らしいので仕方ない。好きなようにさせてやる。
「それより、池澤先輩。ひょっとして学園祭で人形劇でもするんですか?」
「そうそう。ボランティア部に私の美貌と背の高さを買われてねー」
なるほど。人形劇に美貌が関係するのかは分からんが、この人の背の高さは折り紙付きだ。
俺はばれないように視線を走らせる。
年齢 18
身長 179センチ
体重 57キロ
バスト B
……少し胡桃に背を分けてくれないか。
「台本も鋭意執筆中だ。期待しててくれよ」
「先輩、台本なんて書くんですね」
「将来は劇作家希望だし。大学では演劇部に入る予定だよ」
そういえば池澤先輩、舞台演劇関係の本を色々取り寄せたりしてたな。
そうか。大学に進学したら演劇部に―――
「……先輩、大学は一般入試ですよね」
「だよ。推薦取るには内申がねー」
言ってニャハハと笑う池澤先輩。
「もう10月も終わりですけど、受験勉強は―――」
「……かつて菊池寛は言った」
「……え?」
「ギャンブルは、絶対使っちゃいけない金に手を付けてからが本当の勝負だ……と」
「はあ」
「つまり受験は、絶対に使っちゃいけない時間に手を付けてからが本当の勝負なんだよ!」
池澤先輩は右手のパンダを高く突き上げる。
「……本当に受験勉強大丈夫ですか?」
「市ヶ谷よ、それを言うな。私は勉強したくない……したくないんだ……」
パペットに包まれた両手で頭を抱える池澤先輩。
「ま、まあ、気分転換も必要ですしね。高校最後の学園祭だし」
「……だよな? やっぱ、今は書くべき時だよな?」
「も、もちろんです。はい」
俺、他人事だと思って無責任だ。
「よし、学園祭が終わるまでは受験のことは忘れるぞ! 大学に入ったら、4年間、書いて書いて書きまくってやる!」
「いいと思います。頑張ってください」
その場合、4年後にまた頭を抱えることになると思うけど。
「それで、人形劇ってどんなことやるんです?」
「ボランティア部と案を練っていてね。君らにも手を借りたい」
池澤先輩はぬるりとナマコのパペットを突き出してくる。
「ここに書いてある絵本とか、児童書をかき集めてくれないか」
「へえ、本を集めるんですか」
俺はナマコの口からぶら下がる紙に目をやる―――
「ねえ、何が書いてあるの?」
俺の首にぶら下がる胡桃が顔を覗き込んでくる。近い。
「えーと……」
「ねえねえ」
……俺の視界は胡桃の顔に塞がれている。近い上に邪魔い。
「いや……俺、さっきから胡桃しか見えないんだけど」
「なに突然っ!? 倦怠期脱出?! チューするの?」
「しない。ちょっと降りなさい」
色めきだつ胡桃を掴んで床に降ろすと、ナマコの口から紙を取る。
「シンデレラや白雪姫にあかずきん……他に、王子様や狼が出て来る本、ですか」
「うちの司書の先生に、いくつかの図書館や小学校に口利きしてもらってるけど。うちら借りる側だから、直接行って探さないと」
「なるほど。そういや、ナマコに口なんてありましたっけ」
「尻から腸を出すくらいだから、口もあるんじゃない」
集める本のリストの下、協力先の司書さんや事務員さんの名前が並んでいる。
その中の見慣れた名前に目が留まる。
―――韮澤六実
市立籾山中学校のやさぐれ司書が、なぜ公民館の図書室に。
ついに中学校を馘になったのか……?
「あれー、韮澤先生がいる。やっぱ馘になったのかー」
横から覗き込む胡桃も同じことを考えたようだ。
まあ、転職先が決まったのなら良かった。
「先輩。昔お世話になった先生がいるので、まずはそこから当たってみます」
「お、そうか。頼んだぞ」
池澤先輩はパペットの口をパクパクやりながら、今度は2年の図書委員に絡みに行く。
俺はスマホを取り出すと、電話を掛ける。
1コール鳴り終わる前に繋がった先、余程慌てていたのかガシャガシャと何かが落ちる音がする。
『パイセーン、どうかしましたか~? フラれましたか~?』
「なんでだよ。西原、なんか忙しそうだけど大丈夫か?」
『西原は常にパイセン予約済みなので~ のべつ幕無しいつでもOKですです~』
相変わらず言ってることがよく分からんが、いつもの西原だ。
「じゃあ、ちょっと聞きたくてさ。韮澤先生、そっち馘になったのか? 他のところで名前を見かけて」
『馘はまだですよ~ 先生、今年からうちは週3で~ 今日も他の施設に行ってるんすよ~』
「なるほど。それで公民館の図書室に―――あ、ちょっと待って。おい胡桃、どうしたんだよ」
なんか胡桃が頭をぐりぐりと俺のスマホに押し付けて来る。
……なんで胡桃、いきなり荒ぶってんだ。
「こら、口に髪の毛が入るって」
「達也はあれなの? 倦怠期脱出に刺激とか必要なタイプなのっ?!」
「……なにその大人な質問」
高校生の俺ににそんなこと言われても困るぞ。そういう質問はお父さんにしなさい。
『その声は~ くるちゃん先輩ですか~?』
聞こえてくる西原の声。胡桃はスマホに齧りつく。
「そう! 達也とラブラブの私だよっ!」
『ですよね~ 倦怠期に負けないでくださいね~』
「けっ?! 倦怠期とか、大人なカップルにとっては盛り上がるためのスパイスみたいなものだからっ!」
……だから何の話してんだ。
俺は胡桃からスマホを引き剥がす。
「悪い西原、胡桃が暴れてるんで手短に。韮澤先生に繋いで欲しいから、今度居るときに教えてくれ」
『がってん承知のお任せあれ~』
「それじゃ、また」
通話を切ると、胡桃が俺の腕をちみちみとつねってくる。
……なんでこんなに不機嫌なんだ。
「さっきからどうしたんだよ。こんなことやってると、またバカップルって呼ばれるぞ?」
「バカップルでいいもん。この浮気者」
「浮気も何も無いだろ。ほら、仕事が山積みに―――」
……あれ。
さっき台車を押して行ったはずの枯木先輩が図書室の出入り口で膝を付き、立ち往生している。
台車が敷居のわずかな段差を越えられなかったらしい。
「……先輩、マジですか」
助けに寄ろうとした俺の手を胡桃が掴む。
「どうしたんだよ、胡桃」
「ほら、あれ」
見れば枯木先輩に一人の女生徒が近寄っていく。
「枯木君、大丈夫?」
「ああ、君か」
先輩は寂しそうに微笑むと、差し出された女生徒の手を取る。
「僕はつくづく、さびしく無力なんだ。他になんにもできないのだから、せめて皆の手伝いくらいは誠実こめて、やろうと思っていたのだが」
「いいよ。このくらい私にさせて。枯木君は貴方にしかやれないことをすればいいの」
女生徒が台車を押し始めると、先輩は自嘲気味に笑って見せる。
「それでは甘えさせてもらおうかな。辰子君、このあいだ言っていたサルトルの原書の件はどうなっただろう」
「それなら昨日届いたばかりよ。帰りに私の部屋に寄りなさいな」
「いつも甘えてばかりですまないね」
笑顔で返そうとした女生徒は、ため息をつきながら首を振る。
「……ああいけない。私はいつでも枯木君を甘やかして、いけなくしてしまうのよ」
「なに。甘やかすのは相手のためではなく、自分の心の滋養のためさ。君も自分を甘やかすことを覚えて来たと見える」
「ヘリクツはおやめなさい。さあ、運んでしまいましょう」
台車を押す女生徒の後ろ、ポッケに手を突っ込み歩いていく枯木先輩―――
……久々にじっくり見たが、あの人の周辺は中々に見ごたえがある。
それにあの女子、前に見た時と違う人だし。
「あれは……ダメ男だ」
俺と並んで後ろ姿を見送っていた胡桃がしみじみと呟いた。
「ああ……そうだな」
―――枯木果。
死んでないのが惜しまれる。図書委員随一のモテ男である。
感慨深く先輩を見送る俺に向かい、胡桃は不安げな視線を向けて来る。
「どうした、胡桃?」
「いざとなったら……私が働くよ?」
いざって時は……頼みます。
―――学園祭まであと10日間。