33 協力は惜しみません
「すいません、部長はいらっしゃいますか?」
ガラガラガラ。
小抜委員長がボランティア部の扉を開ける。
中に居たのは三つ編み眼鏡の女生徒が一人。
少し驚いた顔をしながら、胸に抱えたファイルをテーブルに置いた。
「はい、部長は私ですけど」
眼鏡越しに突然の来訪者を見つめる女生徒に向かい、委員長は柔らかな笑みを浮かべる。
「私、図書委員長の小抜加夜と言います。今度の学園祭の件でお願いがありまして」
「お願いですか……? どうぞ、座ってください」
勧められるまま椅子に座りつつ、視線を女生徒の身体にまとわせる。
年齢 17
身長 154センチ
体重 45キロ
バスト D
……さすが小抜委員長が興味を持つだけはある。
この2年の女生徒、数字だけでは表せない攻守に優れた肢体をお持ちである。
三つ編みメガネの飾り気のない格好が、委員長の琴線に触れたのか―――
いつの間に淹れたのか。湯気の立つお茶が俺達の前に差し出される。
「部長の新潟華子です。お願いとは一体なんでしょうか」
言って、向かいに座る部長さん。
……この人、地方タレントみたいな名前だな。
我らが委員長は早速資料を差し出す。
「今度の学園祭、図書室をキッズスペースにしようと思うんです。それで是非、ボランティア部の皆様にもご協力いただきたくて」
「キッズスペース……ですか」
新潟部長は資料を手に取ると、真剣な顔で読み始める。
「例えば子供を集めるとなると、安全対策や手続きの問題があります」
「安全対策……ですか」
思わずオウム返しをする俺に、新潟部長はこくりと頷く。
「子供は思わぬ行動をとりますからね。それに子供が怪我した時にこれが『通常の学校の活動』と認められないと保険が下りない場合があります」
資料を読み終えた部長は静かに資料を机に戻す。
「単体で保険に加入するか―――私たちボランティア部との共催にするかですね」
「だからというわけではありませんけど。今回の図書館での計画、ボランティア部の皆さんと協力できたらと思いまして」
小抜委員長のとっておきの笑顔に、新潟さんは困ったような笑顔を浮かべる。
「面白い提案ですけど……我々は今回の学園祭、部としては不参加の方針なんです。クラスの活動に力を入れようと思ってまして……」
「あら、素敵。クラスではどんな展示をするのかしら?」
「私のクラス、ケモミミ喫茶をするんですけど……そ、その……うちの学園祭では、ウェイトレスが他校の殿方に声を掛けられる事例が多数発生する……との噂を」
顔を赤らめ、モジリモジリと資料を端からちぎり始める新潟さん。
つまり……この人、こんな真面目そうな見た目でナンパ待ち……?
まあ、出会いの一つと言えば言えるけど。
「……新潟さんは殿方との交流に興味が?」
怪しく目を光らせる小抜委員長。
……まずい。新潟さん、あなた委員長に狙われてるんですよ。性的に。
「え?! た、他校の情報とか、その、きょ、興味がありまして―――」
「ええ、分かりますわ。交流……大切ですもの」
小抜委員長は何故かテーブルの下で、俺の足をつついてくる。
「ちなみに殿方をお探しなら……うちの市ヶ谷君をお貸しすることもできますけど」
「……いや、できませんよ? 人をDVDみたいに言わないでください」
「彼を……?」
新潟部長は眉根を寄せ、俺の顔をまじまじと見つめる。
しばしの沈黙。新潟さんは静かに溜息をつく。
「……いよいよの時はお願いします。でもまだそこまで逼迫してはいないので」
いよいよの時……
俺以外の男が絶滅したとか、そんな状況だろうか。
「そういうことなら仕方ありません。新潟さん、突然無理を言ってごめんなさいね?」
「いえ、こちらこそお役に立てずに」
「それと、パネルカーペットをお貸しいただけると先生に聞いたんですけど。一度見せてもらえませんか?」
「それでしたら倉庫にあります。案内しますね」
立ち上がる小抜委員長と新潟さん。続いて立ち上がろうとする俺を、委員長が手で制する。
「市ヶ谷君はそこの活動報告を読んでてもらえるかしら。参考になると思うから」
「はあ……」
ボランティア部の活動報告。さっき新潟部長がテーブルの上においたやつだ。
俺は一番上の冊子を手に取った。
「結構本格的だな……」
この部の主要な活動の一つに、慰問がある。
保育園や学童、老人ホーム等に出向いては人形劇や紙芝居、演劇などを行うのだ。
歴史も長く、ノウハウも十分。
確かにこの部の協力を得られたら申し分ないが、本人達が嫌というなら仕方ない。
それに……あの部長がウエイトレスをするのって、ケモミミ喫茶だったな。
ケモミミ喫茶って……猫耳とかウサギ耳とか付けたウェイトレスがいるのか?
ふむ。あの人なら、三つ編み眼鏡タヌキ耳といったところか……悪くない。
「あの部長のクラス、どこだっけ……?」
帰ったら学園祭のパンフレットを確認しないと。
もちろんこれは邪な心からの興味ではなく、あくまでもうちのクラスのライバルを知るためだ―――
自分に言い聞かせながら2冊目の活動報告に手を伸ばした俺は、二人の消えた倉庫に目をやった。
「……それにしても二人遅いな」
借りられそうな備品、そんなにたくさんあるのだろうか。
俺も追いかけようと腰を浮かしたところに、二人が戻ってくる。
締め切った倉庫の中が暑かったのだろうか。
委員長は軽く上気した首元の汗をハンカチで押さえつつ、にこりと笑う。
「委員長、ずいぶん長かった―――」
「今回の企画、ボランティア部との共催が決まったわ」
「え?」
突然どうして?
思わず視線を向けると、ずれた眼鏡を直しながら委員長の背中に隠れる新潟部長。
……一体何があった。
委員長の制服のリボンが解けているのと何か関係が……?
「えっと……その……カーペットは使えそうでしたか?」
「カーペット? ああ、寝心地は良かったわよ」
「……それ、本番で使いますからね?」
俺の向かいに座った小抜委員長は、コホンと咳払い。
この人、なんで部長と並んで座ってるのか。しかもテーブルの下で手を繋いでないか……?
「さて、これから打ち合わせの続きをしましょう」
「……すいません。俺、クラスの方の手伝いがあるんで失礼しますね」
「あら、残念。私は三人でも構わなかったのに」
「え、ちょ、ちょっと小抜さん!」
「三人って……打ち合わせの話ですよね?」
嘘はついていない。利根川に試食に呼ばれてるし。
スマホを見ると、胡桃からの着信がいくつも並んでいる。
本当にそろそろ行った方が良さそうだ。
「どうぞ、ごゆっくり」
俺はそう言い残すと、部室を後にした―――
――――――
―――
俺は何気なく家庭科室の扉を開く。
その途端、パイの焼けた香ばしい香りが鼻を―――ついた途端、魚介の生臭さが全速力で追いかけて来る。
……何だこの匂い。
「やっときたーっ! 遅いぞ達也ーっ!」
勢い良く俺の腹に突っ込んでくる胡桃。
なぜか涙目で俺の顔を見上げて来る。
「え、なに? 料理の試食じゃなかったっけ?」
「魚が……魚が……私を見てる……」
ガクブルしながら俺にしがみつく胡桃。
魚が見てるって……胡桃、焼き魚とか好きなのになぜ今更そんなこと。
「ほら、魚のパイって魔女宅に出てた奴だろ? 胡桃、楽しみにしてたじゃないか―――」
ガチャリ。いつの間にか背後にいた利根川が家庭科室の扉に鍵を掛ける。
「……ようやく来たわね。残らず食べてもらうわよ」
「利根川か。なんで胡桃がこんなに怯えてるんだ?」
利根川は黙って部屋の奥を指差す。
そこに置かれていたのはキツネ色に焼けたパイ。実に良い焼き色がついている。
……問題はただ一つ。
無数の魚が顔を上にした状態で、パイの表面に突き刺さっているのだ。
控えめに言って、始めて見るタイプの地獄だ。
「……なにこれ?」
「スターゲイジーパイ……。荒天の中、村のために魚を取ってきた漁師への感謝を表したイギリスの伝統料理よ」
利根川はパイにナイフを突き立てると、ゆっくりと切り分け始める。
「現地では主にピルチャードと呼ばれるイワシを使うのだけど、手に入らないので近海産のマイワシを使用したわ」
「それは分かったが……なんでこんな猟奇的な見た目をしてるんだよ」
「それは当時のイギリス人に聞いてちょうだい。はい、あんたと菓子谷さんの分」
差し出された皿を受け取った。白く濁ったイワシの目が俺を見つめる。
「ほら、胡桃。中身はイワシのパイだから、味は問題ないはずだぜ?」
「でも見た目怖くない? 達也は人懐っこいアシタカグモと仲良くなれる?」
……うんまあ、見た目は大切だよね。
俺は魚を抜いて身をほぐすと、身だけパイの穴に戻す。
「ほら、魚の顔を取ったから。これなら食えるだろ?」
「あ、これなら食べれる!」
ようやく笑顔の戻った胡桃は椅子に座ってパイを食べ始める。
さて、俺も食べるか。
フォークを握った俺の前に、次の皿が差し出される。
「で、こっちがウナギのゼリー寄せ」
再び、胡桃の顔から笑顔が消える。
灰色のウナギのぶつ切りが、煮凝りの様にゼリーで固められている。
「……昔良く博物館に行ったけど。ホルマリン漬けがちょうどこんな感じだったな」
「あんたいい加減失礼ね。かつてイギリスの庶民はこれをしょっちゅう食べてたのよ」
「でもほら。匂いも大体、博物館と同じだぜ?」
「そりゃ、18世紀のレシピと味を完全再現したからね。ある意味食べる博物館みたいなものよ」
博物館、食べちゃ駄目。
「そういや試食係って他にもいただろ。俺達だけで食べちゃったら悪いかなーって」
「……他の連中、見た途端に帰ったのよ」
利根川は俺の肩に腕を回す。ウナギの生臭い匂いが漂ってくる。
「まさかあんたまで帰るって言わないでしょうね……?」
「えーと……胡桃も食べるか……?」
恐る恐るウナギの皿を差し出すと、胡桃は青い顔をフルフルと振る。
俺は思い切ってウナギを口に放り込んだ。
生臭い匂いが口いっぱいに広がる。
……これはキツイ。
黙って肩を震わせていると、隣で利根川も無言で悶絶している。
「……大丈夫か?」
「やっぱビネガーとレモンをかけないと、そのまま食えたもんじゃないわね」
「そんな攻略法があるなら最初から教えろよ」
「最初は本物の味を知るべきよ。……二口目は勘弁だけど」
利根川は米酢とクエン酸粉末のボトルを取り出す。
「なんか思ってたのと違うんだけど。このクエン酸なんて掃除用じゃないのか?」
「じゃああんた、そのままで食べなさいよ」
「ごめんなさい。俺にもください」
「しゃーないわね、このくらいでいい?」
酢とクエン酸をかけてウナギと格闘していると、横から出てきたフォークがウナギを突き刺す。
「っ?! これ、生臭い上に骨っぽい! しかもなんか酸っぱいの一杯かかってる!」
何故か胡桃もウナギ攻略に参戦だ。
「お前……この惨状を見て、良く食べてみようと思ったな?」
「だって……達也と利根川ちゃんだけで楽しそうにしてるしー」
「……楽しくないぞ?」
俺と胡桃と利根川。三人でウナギを口に放り込み、揃って無言で顔をしかめる。
そんな放課後。
―――学園祭まであと2週間。