32 男の子には色々あるんです
「はい、背中伸ばして。息止めて」
後ろから俺の肩にメジャーを当てると、放虎原はノートに数字を書き込む。
……学園祭も二週間後に迫り、段々と準備も本格化してきた。
今日はレンタル衣装の採寸ということで放課後の居残りである。
「次は両手を真横に伸ばして。はい、そのまま」
放虎原の腕が背後から俺の胸に回される。
首筋に放虎原の髪が触れ、化粧品と汗の混ざった甘い香りが鼻をくすぐる。
漫画みたいに背中に胸を押し付け――られはしないが、触れるか触れないかのところを女子がもぞもぞ動いているのはなんかこう……その……何と言うか……なんである。
「次は腰回りね。力抜いてまっすぐ立って」
放虎原は俺に回した腕をそのままに、ゆっくりとしゃがむ。
時折、背中に触れる感触は制服のリボンか、服越しの身体なのか―――
「だから市ヶ谷、まっすぐ立ちなさい。なんで腰が引けてるのよ」
「え、あ、はい……」
だってほら、その……男子には色々あるんだよ?
「よし、これでおしまい。あんた結構、いい身体してるじゃない」
「しかし何で俺のサイズを測るんだ?」
学園祭当日は図書委員の当番もあるし、役割は事前準備を希望していたはずだけど。
「だってあんたウエイター候補よ。衣装の用意をしないと」
「……え、俺が?」
待て待て。確かウェイターはクラスのイケメンを前面に押し出して、女性客にアピールする計画じゃなかったか?
「つまり俺は……クラスのイケメン枠ってことか?」
知られざる真実。実はクラス女子にイケメン評価を受けていた……?
輝く俺の顔から、放虎原は申し訳なさそうに視線を逸らす。
「え、違うの?」
「私もクラスメートに辛い真実を伝えるのは心苦しいんだけど」
「……俺に辛い話が始まるんだ」
「クラス2トップの速水と成宮に合わせて衣装を手配したの。で、それを使い回せそうな男子を適当に見繕ってるのよ」
……俺、イケメン枠では無くて適当枠だ。
「でも、凄いじゃない。見立て通り、あんた速水の衣装がぴったり合うわ」
「凄いって……一応褒めてくれてるの?」
速水はサッカー部の爽やかイケメンで、女子人気もかなり高い。
ただ一つ気になるのが―――
「あいつ、俺より背が高くないか。ホントにサイズ合うのか?」
「大丈夫。裾を折り返したら、あんたにピッタリよ」
「……」
……なにこれ。イジメ? 俺、さっきからイジメられてる?
「あ、一箇所測ってなかった。市ヶ谷、もう一回そこに立って」
あーもう、好きにしてくれ。
無抵抗に突っ立っていると、後ろから俺の胴体に力一杯しがみ付いてくる。
「おまっ?! なにやって―――」
放虎原の奴、人前で何を……って、子供に抱きつかれたようなこの感触。
がっかりしたような、ほっとしたような気分で振り返る。
「……胡桃、なにやってんだ?」
「こっちのセリフだよ。さっきから私の浮気センサーがビンビンに反応してるぞー」
「安心しろ。浮気とかとは違う他の何かだ」
それにビンビンではなく、半分くらいの仄かな反応だ。
男子高校生としては日常と言ってもいい。
「菓子谷さんいらっしゃい。ハイターッチ」
「ターッチ!」
胡桃と放虎原、なんかハイタッチしている。放虎原の方はロータッチだが。
「それより胡桃、なんかあったか。今日は特に約束無いだろ?」
「利根川ちゃんが料理の試作してるから家庭科室に食べにおいでって」
「ああ、そういや俺も呼ばれてたな。用事が済んだら追っかけるから、先行ってて」
「分かった。早く来ないと全部食べちゃうよー」
すれ違うクラスメートたちとハイタッチをしながら出ていく胡桃。
最後に俺の身幅を測ると放虎原は納得したようにうなずいた。
「じゃああんたウエイターに決定ね。衣装届いたらトレーニング始まるから」
「トレーニング? お茶運ぶだけなのに、えらく大げさだな」
「……市ヶ谷君……英国喫茶と言えば……執事は外せないんですよ……?」
この、震えがちで不安定な声音は。
音もなく俺の背後を取っていたのは、衣装責任者の夢咲春香。
「うお。夢咲さん、後ろにいたのか」
「……執事はお嬢様の手となり足となり、見返りを求めずお仕えするものなんです……」
「見返りでお給料はもらってるんじゃないかな。無給はブラック過ぎない?」
夢咲は伏し目がちに指をモジモジさせながら、俺にすり足でにじり寄ってくる。
「執事は使用人でありながら、時には父親でもあり兄でもあるんです………そして時には………恋人」
じゅるりと涎を啜る夢咲春香。
「すいません……ちょっと興奮して涎出てきちゃいました……」
……この人、なんでいきなり欲情してるんだ。
執事ってなにか劣情をもたらす概念だっけ……?
「あのさ、俺がするのって執事じゃなくてウエイターだよね? それにお嬢様でなくてお客さんに給仕をするんだし」
「え……今更そんなこと言われても困る」
「困るって……学園祭のプログラムでも英国喫茶になってると思うけど」
「私の中ではウエイターはすべて執事だし……既に個人サイトで学園祭を舞台にした夢小説の連載始めてて……市ヶ谷君も本名で出演してるから……」
え? やめて。本名やめて。
「何で俺が夢咲さんの小説に登場してんの? なんか恨みかったっけ?」
「私……市ヶ谷君の執事力には……人知れず注目してきたの……」
執事力……現実に変な設定を導入するのは止めてくれないか。
そんな俺の想いを無視して、夢咲さんは遠くを見るような瞳で蛍光灯を見上げる。
「悪魔の呪いで子供の姿のままの美少女にお仕えする、ちょっと毒舌で幼馴染の執事……想像するだけでみなぎってくる……」
「あいつの場合、呪いというより血筋だし。それに俺、幼馴染―――彼氏だからね? 執事じゃないからね?」
「呪われた血筋……。ひょっとして憧れの吸血鬼……?」
……まあ、当たらずとも遠からず。
さあ、夢咲さんの意識があっちの世界に飛んでいる内に退散しよう。
こっそり教室を抜け出そうとすると、入り口に立つ小抜委員長の姿に気付いた。
「……あら、取込み中だったかしら」
「あ、いえ。もう終わったところです。なにかありましたか?」
「じゃあ一緒に来てくれないかしら。学園祭の相談でボランティア部に行くところなの」
……ボランティア部?
不思議に思っていると、俺達一年生が出した企画書を取り出す委員長。
「あなた達、一年生の出してくれた企画書がとても興味深かったわ。去年まで休憩所になっていたことを反対に利用してのキッズスペース。他の学年が出してきたイベントとの親和性も高い」
委員長は手慣れた仕草で俺の腕を取る。
俺の頭が追いついた頃には、既に委員長と腕を組んで廊下を歩いていた。
「……あの、なんで腕を組んでるんですか?」
「だって私の周りの人、何故かみんな私から逃げようとするもの」
……うん、まあ。俺も逃げれるものなら逃げたいし。
「うちの学園祭には毎年、新聞やテレビ取材が入ることを利用して、メディア進出を狙うというのも面白いわ。取材を受ければ、図書室のアピールとしてこれ以上ない形だわ」
「子供と動物は固いと言いますからね」
「硬い……?」
それは分かったけど、人目もあるし離れてくれまいか。
無理矢理に身体を離そうとすると、委員長はその勢いを利用して反対に俺を壁際に追い詰める。
「え、いや、ちょっと、委員長っ!?」
「……あら。硬いとか言うから、そういうことかと思って。そうでもなかったわ」
残念そうに言うと、俺の足の間に押し付けた膝を名残惜し気に離す委員長。
「人前で変なこと止めてくださいって」
「あら、人前でなければいいの?」
「そういうことじゃないですよ? 分かって言ってますよね」
この人の前では、迂闊に口も開けない。
俺は委員長から2mの距離を取り、部室棟に向かって足を速める。
「それで貴方たちのアイデアを、2、3年生達の提案と合わせて、形にしたいと思うの」
「……あ、話は普通に続けるんですね」
「でも、私達だけでは実現は難しいわ。ボランティア部は活動に定評がある上に、今回の学祭では出展の予定はない。力を貸してもらえる余地があるわ」
俺達の出したアイデアは、図書室中央スペースのテーブルを片付けてカーペットを敷き、広いキッズスペースにすることだ。
周りの本棚の本は全て倉庫に移し、借りてきた児童書や絵本を並べる……
しかし、子供が集まる以上は安全性に考慮した運営のノウハウが必要だ。
幼稚園や学童保育でのイベントを頻繁に行っているボランティア部なら、協力を仰ぐにはもってこいだ。
「あそこの部長とはあまり話したことはないけど、前から少し気になってたの」
気になるってどういう意味で……?
俺の不安そうな表情に気付いたか。委員長は面白がるように笑って見せる。
「いやだ。気になってるといったって、変な意味じゃないわよ」
「そうですか。安心しました」
「単に性的に狙ってるだけだから」
変な意味だった。
……正直帰りたい。助けを求めるようにスマホを取り出すと、胡桃からLINEの着信がある。
そういや胡桃、一足先に家庭科室に行ってたはずだな。料理の写真でも送ってくれたのか?
『達也ああひあへうらあもえうあさ好きにらえたたた』
アプリを開くと謎のメッセージ。
……何? 文字化け? 全くなんにも分からない。
今日の試作メニューは何だっけ。スコーンは昨日作ってたし、今日作ってるのは確か……
「英国の伝統的な魚のパイとウナギのゼリー寄せ……だっけ」
文献を基にして、当時の味と見た目を完全再現するとかなんとか。
どんなんか良く分かんないけど、利根川の料理の腕なら安心だ。
「あら、ゼリーがどうかしたの? そっち方面なら、私がいいのを紹介しましょうか」
「なに言ってるか分かりませんけど、そっち方面じゃないです。それとあんまり近付かないでください」
「つれないわね。さっきのは単に硬さの確認をしただけで―――」
言いかけて、委員長の足が止まる。
部屋の表札には『ボランティア部』の文字。
……ここに委員長に狙われている生徒がいるのか。
「すいません、部長はいらっしゃいますか?」
俺は小抜委員長が扉を開けるのを、同情の気持で見守った。