30 黄昏のテクニシャン
放課後。
今日は久しぶりに図書委員の全体会議が開催される。
HRが少し長引いたので、そろそろ会議が始まる時間だ。
俺は時計を確認すると、急ぎ足で図書室に向かう。
「すいません、遅くなりました―――」
図書室の扉を開けると、図書委員達が顔を並べて―――
「市ヶ谷ぁ! 遅いぞ、お前!」
転がるように飛び出してきた犬吠埼が俺の背後に隠れる。
「え、おい、どうした」
このヤンキー娘が恐れる程の何が起きたのか。
図書室に視線を向ける。
そこには―――小抜委員長が一人だけ椅子に座っている。
「委員長と二人切りなんて聞いてないぞっ!」
「あれ? 今日来てるのって委員長だけですか?」
確か今日は図書委員は全員集合。
2,3年の先輩も全員来ているはずだが。
「来てるわよ。ほら、2年生は全員ここに」
小抜委員長の指さす先にはiPad。
『こっちは全員そろってるよ~』
画面の中で2年生の先輩が手を振っている。
「で、3年生はこっちよ」
小抜先輩はスマホを見せてくる。
<お疲れ様>
<3年も全員そろったよ>
映っているのはLINEのトーク画面。
「……委員長、なんで先輩たち全員遠隔参加なんですか?」
「それがね」
委員長は物憂げに指先で髪をいじる。
「何故か最近、みんな私の半径2M以内に近付いてくれないのよねえ……」
「へえ……なんででしょうね……」
あえては触れまい。
俺は目測で委員長から2M離れた椅子に座る。
「あら、もっと近くに座ったらどう?」
「いえ、このくらいがちょうどいいかと思います」
「あ、あたしもここで……」
なんか犬吠埼も俺の陰で身を潜めている。
「どうしたんだよ、お前」
「だ、だから、あの先輩苦手なんだよ……」
俺の背中から犬吠埼の囁き声。
「お前の腕力なら、先輩になんかされても逃げられるだろ」
「だってあの人に触られると、なんか身体に力が入らなくなるんだぜ? ヤバいって。先輩、なんかすげー技を持ってんだよ」
凄い技……要約するとテクニシャンということか。
委員長は少し困り顔で首をかしげる。
「犬吠埼さん、ごめんなさいね。開始時間をあなたにだけ10分早く伝えたけど、悪気があってのことでは無いのよ?」
「え……委員長、悪気が無ければ許されるってもんじゃないですよ?」
いや、悪気どころか邪気に溢れている気がするのは俺だけか。
そういや胡桃はどうした。先輩の手の届く範囲に入れないように気をつけないと―――
「おーい、先輩見えてますかーっ!」
『胡桃ちゃーん、見えてるよー!』
いつの間にか来ていた胡桃が、iPad越しに先輩と話している。
「ねー見て達也、テレビ会議ってなんかカッコ良くない?」
「そうだね、胡桃もこっち座って。……膝の上じゃなくて椅子に座ろうか」
さて、ようやく全員揃った。
委員長は改まって話し出す。
「今日集まってもらったのは他でもありません。この間、皆さんに出してもらった推薦書を元に、後期の購入図書の一覧を作成しました」
俺は渡されたリストを見る。
……あ、俺が推薦した『ちくわぶの世界』が入っている。推薦しといてなんだけど、予算も少ないのにこんなん買ってていいのだろうか。
「あれ、前期より随分少ないですね」
スマホで一生懸命メッセを打っていた委員長が顔を上げる。
「え? なに? 文章打つのに忙しくて……」
「通話しちゃダメなんですか?」
「でも、私からの電話を3年の先輩達、取ってくれないのよ」
「……俺のスマホで掛けますから、スピーカーモードで話しましょう」
……この人、どういう経緯で委員長になれたんだ……?
俺のスマホをテーブルに置き、会議は再開。
「今お配りした一覧への意見は来週までにお願いします。さて、これを見てもらって分かるように―――」
言葉を切り、ここで委員長が真面目な表情になる。
……ひょっとして俺、この人の真顔を初めて見たかもしれない。いつもは潤んだ瞳で、やたら口元をアピールしてくるし。
「———図書室の予算が大きく減らされています。今後は予算だけではなく、図書室の存在そのものが問われることになりそうです。ある筋から聞いた話によれば、市町村ではその動きが水面下で動き出しているそうですわ」
委員長はここで何故か俺に流し目を送ってくる。
それを見た胡桃が、何故か俺の膝に座る。
「次の資料を見てください。全国の市町村で図書館を単なる書庫としてではなく、住民の交流の場、生涯教育の場、イベントスペースと位置付ける流れが広まっています。説得力という点では―――」
『でもでもだねー』
ここで2年生の権藤先輩が口を挟む。
『静かに本を読みたいニーズもあるんじゃないかにゃー。たまり場みたいになっちゃったら、私はやーだなー』
「はい、権藤さんの意見に完全に同意します」
iPadに大きく映し出された権藤先輩の右目に向かって、委員長は大きく頷く。
「ただ、単に無料で本が借りられるというだけでは、現在の有り余るスペースに説得力が生じないということです。その証拠に、図書室を縮小して、自習スペースにする案があるそうです」
『何でそんなこと知ってるんだにゃ?』
「学年主任の三ノ輪先生から“個人的に”教えていただきました」
意味あり気に微笑む委員長。
……委員長、裏で変なことやってないよね……?
「だから今度の学園祭で“図書室”の存在をアピールする必要があります」
『い、いま、いまも、学園祭で、図書室をかっ、開放して、してるよね?』
今度はスマホから3年の多々良先輩の声が聞こえる。
「はい。ただ、むしろ生徒のサボリの場となっているのが現状です」
『たっ、た、確かに……』
この先輩、喋り方はおぼつかないが、やたら声が可愛い。
凄く可愛い。
「それで皆様にお願いがあります―――」
……おっといけない。
頭の中で多々良先輩の新キャラデザを考えてる場合じゃないぞ。
委員長は真面目な態度にこれ以上我慢できなくなったのか。
見せつけるような大きな仕草で足を組み替える。
「―――来週のこの時間までに、学園祭での図書室の利用方法について案を考えてきてください」
―――
――――――
……胡桃は俺の手元を身じろぎ一つせずに凝視する。
コーヒーフレッシュの口を開けるパチン、という音に一瞬ビクリとする。
珈琲の表面を渦巻く白い模様を眺めながら、胡桃は眉をひそめた。
「……砂糖は?」
「ああ、俺は入れない派かな」
一年生3人で帰り道に寄ったファストフード。
珈琲を飲もうとする俺に、何故か胡桃が執拗に絡んでくる。
「一口ちょうだいからの間接キスって、付き合い初めには大事なイベントじゃないかなー なんて言うかその先に進むステップ的な———」
「回し飲み位は今更だろ。飲みたいならいいぞ?」
「だって珈琲苦くて飲めないし」
「だよな」
「こないだ頑張って飲んだら、良く眠れなかったし」
「遅くまで電話付き合わされたよな。飲まない方がいいんじゃないか?」
「だからね、砂糖沢山入れたら私でも飲めるかなーって」
「砂糖入れても眠れなくなるのは一緒だぞ? あ、こら、勝手に砂糖入れるなって」
胡桃の絡みに抵抗する俺を、犬吠埼が呆れたような目で見てくる。
「お前ら、公衆の面前でイチャついてんなよ」
「いやこれ、イチャつきの内に入るのか?」
あ。胡桃の奴、2本目の砂糖を入れやがった。
「当たり前だろ。完全にバカップルだぜ」
「待てよ、本物のバカップルなんてこんなもんじゃないぜ? 例えば―――」
横からポテトを掴んだ胡桃の手が伸びてくる。
「はい、あーん」
「あー、うん。ってゆーか俺のポテト勝手に食べるなよ」
「じゃあ食べさせて。あーん」
「なんでだよ」
仕方なく胡桃の口にポテトを入れる。
「……えっと、何の話してたっけ」
「バカップルがどうとか」
「そうそう。バカップルってのは……そうだな……例えば人前で男が女を膝に乗せたり―――」
「いつもやってんじゃないか」
「あ、あれは勝手に乗って来るんだからノーカンだろ? 他にはだな……お互いに食べ物を食べさせ合ったり、相手の飲み物を勝手に飲んだり―――」
じるじると俺のコーヒーを啜り、思い切り顔をしかめる胡桃。
「にがっ!」
「あーもう、砂糖入れたらちゃんと混ぜないと。ほら、貸して」
珈琲を混ぜながら、俺は何かに思い当たる。
……あれ? いやまさか。俺と胡桃に限ってそんなこと―――
「犬吠埼……ひょっとして―――」
緊張のあまり喉が渇く。
珈琲を一口飲むと、自分を落ち着かせるように胸に手を当てる。
念のため、だ。
そんなことは無いと思うが、一応聞いておかないと。
俺は改まって犬吠埼に向き直る。
「―――俺達って知らない奴から見たら、バカップルみたいに見えてるのかっ?!」