28 枯れた花園
笛峰さんは俺に指を突き付ける。
「聞くところによれば! あなたは菓子谷さんという彼女がいるにも関わらず、西原先輩の心を掌で転がしたそうね!」
……へ? 西原の心が何だって?
ポカンとする俺の目の前、笛峰さんの頭から麻袋が被せられる。
『ふがっ?!』
「笛ちゃ~ん! いまなにを言いかけたのかな~?」
西原だ。
麻袋の上から笛峰さんをロープで縛ると、力任せに担ぎ上げる。
こいつ、こんなパワーがあったのか。
『ふがふがっ!』
「え、おい、西原。いったい何が―――」
「パ、パイセン! 今の聞きました?!」
「え? いや、良く分かんなかったけど」
「で、ですか~ ちょっと私は後輩に教育的指導を~ でわでわ~」
笛峰さんを担いだまま、フラフラと部屋の奥に姿を消す西原。
……さっきから一体何が起こってるんだ。
この図書委員会、どうしちゃったの……?
「……達也。今のどういうことー?」
また次の面倒ごとだ。何故か胡桃が口を尖らせて俺を見上げている。
「どうもこうも……どういうことか俺が知りたいよ」
「西ちゃんの心を弄んだとかー 聞き捨てならないんだけどー」
「知ってるだろ。俺にそんな浮いた話、全然なかったじゃん」
言ってて少し悲しくなるぞ。
……俺も女子に興味がなかったわけではない。
だが俺が中学生の時、彼女なんてのは想像上の存在で現実味が無かったのだ。
「なんていうかさ。俺達の年代で実際に付き合うとか、考えるのは早いかなーって思ってたんだけど―――」
「?! は、早くはないんじゃないかなっ?! 最近は小学生でも付き合ったりするっていうし!」
食い気味に詰め寄ってくる胡桃。
……なんでそんなに必死なんだ。
「そんなもんかな。じゃあ、最近は中学やそこいらでも、気が合えば付き合うのは普通なのか?」
「うんうん! 中学はもちろん、高校生ともなればなおさらだよ!」
「そうかー。じゃあ西原もああ見えて、本気で彼氏欲しいとか思ってるのかな」
「……え?」
何故かシリアス顔になる胡桃。
お前、そんな顔出来たのか。
「……ど、どういう意味……?」
「ほら、中学時代は図書室で毎日一緒にいただろ? だから却ってあいつらの気持ちとかに全然気付いてなかったなって」
「……あ、あの、達也?」
何故か顔を青ざめさせ、ぶるぶると震えだす胡桃。
「おい、大丈夫か?」
「…………早いんじゃないかな?」
「はい?」
「ちゅ、中学生が付き合ったりとか、早いんじゃないかなっ!」
「さっき小学生でも付き合うって―――」
「それはバブルの頃だし! いまは令和だし!」
バブルって……そうなのか?
まあ、俺らの祖父母の時代だし、そんなんだったかもしれないが。
「まあ、西原もあと半年で高校生だから―――」
「来年から、高1もお付き合いが禁止されます!」
「なんでだよ」
「でも今年までは大丈夫だから急いだほうがいい!」
今日はどうしたんだこいつ。
俺は色めきだつ胡桃の頭を撫でて落ち着かせる。
「まあ、俺も古い考えを直そうと思ってな。中学生を子ども扱いしすぎちゃいけないよな」
「……す、少し考え直してみない?」
いやだから、考えを直すと言ったばかりなんだけど。
「胡桃は気付いてたか? 椎丈の奴、やっぱ西原のこと好きだと思うんだ」
「……へ?」
胡桃の奴、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
……やっぱり気付いてなかったか。
俺は思わずニヤリとしてしまう。
何故かどいつもこいつも俺の事を鈍感だとディスってくるが。
意外と後輩の事をちゃんと見てるんだと主張したい。
「俺もこう見えて男女の心の機微とかに敏感なんだぜ?」
「……お? それ、自分で言う?」
「だから椎丈の気持ちを応援してやれたらなーって」
「それって……西ちゃんと?」
「ああ。俺の話聞いてた?」
胡桃の顔に笑顔が広がる。
「最高じゃん、それ!」
「お、分かってくれるか。彼氏が出来たら、西原も少しはまともに―――」
―――いや、待て。
扉という扉が開かれまくる椎丈の姿しか思い浮かばない。
「あ、胡桃ちょっとタンマ。先輩としてあいつの身も案じないと」
「大丈夫、いいと思うよ! ね、先生もそう思うでしょ?」
あ、ヤバ。先生に聞かれてたのか。
慌てて振り返ると、韮澤先生はタバコと酒に擦れた声で呟いた。
「みんな違ってそれでいい……」
言ってニヒルに笑うと、タバコ代わりのシャボン玉のパイプを咥える。
「……先生、そういうのも有りだと思うよ」
「そんな雑にまとめないでくださいよ」
「見てごらん」
先生が顎をしゃくる先に目を向ける。
「ちょっ、みんな落ち着いて―――」
スカートをなびかせ逃げ出そうとした椎丈が、何本もの白い手に引きずられて書棚の陰に連れ込まれる。
……ちょっと見ない内にこの図書室、とんだディストピアに変貌してる気がするのは俺だけか。
「サナギが蝶に羽化しようとしているんだ。見守ってやるのが教師の仕事じゃないか?」
「これ以上、椎丈の変な扉を開くのは止めましょう」
「……この先は教師としてでなく、一人の大人としての言葉だと思ってくれ」
韮澤先生は意味あり気にほほ笑んだ。
「個人的にはこれもギリ守備範囲……かなと」
「……そうですか」
俺は諦めた。
椎丈、強く生きてくれ。
さあ、とばっちりをくらう前に早く帰ろう。
そう決めた俺の肩に、やたら馴染みのある腕が回される。
「お兄、ここにいたか」
「!」
……忘れてた。
今日の本番はこれからだ。
トト子は目を細めながら俺の顔を覗き込む。
「今日は……やらかしてくれたね?」
……俺のせいだっけ?
俺の記憶だと、授業に紛れ込んだのも先生につまみだされたのも胡桃のはずじゃ……?
いやしかし。
腕から伝わるトト子の殺気。そんな言い訳が通用するとは思えない。
「あの……小さな不幸と偶然が重なっただけでね? 決して悪気があったわけじゃないんだよ」
「不幸と……偶然ねえ……」
俺にとっては不幸しかなかった気もするが。
そして不幸はまだ継続中だ。
「私も鬼じゃない。美術部でちょっとばかり手伝ってくれたら許してやる」
……え、それでいいの?
良かった、そのくらいで許してくれるとは。
いつもなら割り箸一本渡されて玄米を30kg精米させられたり、バレンタインに鼻血が出るまで手作りチョコの試食係をさせられたり、トト子の執事として着替えまで手伝わされたり―――と、まあちょっとばかりSっ気の強いお仕置きをされているのだ。
「ああ、分かった。力仕事でもなんでも任せてくれ」
「助かった。男手が欲しかったんだ」
なるほど。模様替えでもするのだろうか。
そういや、ここの美術部は女子が多めだった気がする。
「美術部、男子部員少なそうだもんな」
「安心しろ。今の美術部は女子部員しかいない」
……女子しかいない?
俺は思わず図書室を見回す。
ここにいるのは11人の女子部員と1人の男の娘―――
「……え、全然安心できない。何で女子しかいないの?」
「ちょっと無茶をしたら……男子部員、全員逃げた」
男子部員が……全員逃げる無茶……?
「え? 男子になにしたの? なあ、トト子。お兄ちゃんに言えることだよな?」
「大丈夫―――」
不敵な笑みを浮かべて首を振るトト子。
「すぐに分かる」
トト子に連れられて行く俺の前に胡桃が立ち塞がる。
「ああ、クルちゃんもここにいたんだ」
「ねえ、達也をどこに連れてくの?」
「……いいとこだよ」
トト子の眼が、獲物を狙うそれになる。
「クルちゃんも……一緒に来る?」
「いいの?」
「お、おい、胡桃は駄目だって! 胡桃、逃げろ!」
トト子の唇が三日月の様に弧を描く。
「お兄、いけないなー。クルちゃんだけ仲間外れにして、自分だけ楽しもうなんていけないな―」
「え?」
……トト子、なに言ってんだ?
戸惑う俺の目の前、胡桃の顔が期待にキラキラ輝きだす。
「え? なに? なんか楽しいことあるの?」
「うん、これからあるんだよ。とっても―――楽しいこと」
「馬鹿! 胡桃、騙されるな!」
「ねー、クルちゃん。お兄を美術室に連れてくの手伝ってくれない?」
「分かった! 達也、独り占めはいけないな―!」
胡桃はニヤニヤと俺の反対側の腕をつかむ。
……まずい。
俺の頬を汗が伝う。
ポン、と俺の背中を誰かが叩く。
藁にもすがる思いで振り向くと、韮澤先生が俺に向かって小さく頷いて見せる。
「大丈夫。思い切って飛び込んでみると―――世界が広がるよ」
……だから雑にまとめないでください。