23 授業参観
「それでは2年1組にと~ちゃく~」
西原は、くてんと俺の腕にぶら下がるようにして、一つの教室の前で立ち止まる。
2年1組、トト子のクラスである。
「案内ありがとな。西原も早く教室戻れよ」
実のところ、半年前まで通っていたので案内の必要は無かったのだが。
西原の奴もそれは分かっちゃいるわけで、彼女なりに歓迎の意を示したのだろう。
「授業後は忘れずに図書室にきてくださ~い 驚きますよ~」
「驚くような何かがあるのか?」
西原は左手を制服の袖にすぽんとしまい込む。
「我が図書室に来るものは~ さらにおぞましきものを見るのです~」
……図書室に何が起こった。
ふんにゃりした足取りで立ち去る西原を見送っていると、犬吠埼が俺の肩を小突く。
「お前もここじゃ先輩してんな」
「つーか先輩だし。こう見えても割と……あれだ。割とあれだったんだぜ?」
「……見栄張るなら、なんか考えとけよ」
確かに。慣れないことはするもんじゃない。
「あ、来てくれたのですか!」
突然の声の主は細身の女生徒。胸の前で手を合わせて、キラキラした瞳でこちらを見ている。
長い黒髪のストレートヘアーに華奢な肢体。飾り気のない正統派美少女である。
……誰だこの子。もしかして俺の隠れファン?
いいぜ、俺の横はいつでも空いて―――
色めきだつ俺の横をすり抜け、犬吠埼の胸に飛び込む少女。
「お姉様! 今日は来れるか分からないって言ってたから」
「お前の晴れ舞台、見に来ないわけ無いだろ。ほら、リボンが曲がってるぞ」
え。犬吠埼の妹? なんで? こんなに可愛いのに。
俺はぽかんといちゃつく二人を眺める。
「ほら、そろそろ授業が始まるぞ?」
「はい、お姉様。榛名から目を離さないでくださいね」
犬吠埼の胸から身体を離すと、教室に戻る黒髪少女。
帰り際、俺に一礼していくことも忘れない。
「お姉さまって……つまり、そっち側?」
「そっちってどっちだよ。あたしの妹だよ。見りゃ分かんだろ」
「見て分かんないから言ってんだよ」
なんでこの姉からあんな正統派美少女が。
いや、犬吠埼が生んだわけじゃないけどさ。
「……お兄、この姐さんは誰なんだ」
「お、トト子」
おっと、ついに見つかったか。
教室の扉から、トト子が驚き顔でこちらを見ている。
こちらに近付いてきたトト子は俺と感激の抱擁―――をするかと思いきや。
手を広げた俺を押しのけ、犬吠埼の前でしおらし気に指をモジモジ。
「初めまして。私、市ヶ谷トト子と申します。愚兄がいつもお世話になっています」
目を輝かせ、花開いたような明るい表情で犬吠埼を見上げるトト子。
こいつのこんな顔を見たのは―――5年前、俺が転んで顔からドブにはまった時以来だ。
「市ヶ谷の妹か。よろしくな。ひょっとしてこのクラスか?」
「はい。もしかして榛名ちゃんのお姉さんですか?」
「おう、榛名のことよろしく頼むな」
「はい! 榛名ちゃんとそっくりですね」
「やっぱりか? よく言われるんだよ」
……誰だ、無責任にそんなこと言う奴は。
「じゃああたしは場所取りすっから、教室入ってるぞ」
教室に向かう犬吠埼の背中をぼうっと眺めるトト子。
「いかしてる……」
「お、おい、トト子。お兄ちゃん、極妻はちょっとお勧めしないぞ……?」
ようやく俺を思い出したのか。
ジロリと俺を見るトト子。
「お兄、そういえばなんで居るんだ」
「え? だって授業参観じゃん」
「……妹の荷物、漁ったな」
トト子のジロ目がジト目に変わる。
「えっと……驚かせようと思って。うん、ごめん」
「驚いたのは確かだが。私は義務教育にサプライズは求めない」
「悪かった……兄ちゃん帰るな」
……確かにちょっと悪趣味だったか。
まあ、トト子が元気そうなのは分かったし。
俺が立ち去ろうとすると、服のすそを掴んでくるトト子。
「……折角だから見ていくがいい」
「え? いいのか?」
「私のノート取りはその精度に定評がある。見て盗め」
……なんだよ。可愛い奴め。
後についていこうとする俺に、ピッと指を向けるトト子。
「でも、恥ずかしいから……授業始まってからこっそり入って来い」
――――――
―――
俺はトイレで時間を潰してから、こっそりと2年1組の様子を窺う。
授業は始まっている。
どうやら古典の授業のようだ。
担当の田所先生は柔道部顧問の屈強な大男で、生意気盛りの中学生たちもちゃんと授業を受けている。
さて、どこか良い場所は空いてるかな―――
……犬吠埼の周り、何故かやたらと空いている。
俺は有難く、その隣に並ぶ。
「遅い、もう授業始まってるぞ」
小声で呟く犬吠埼が取り出したのはオペラグラス。
赤く塗った爪で持ち手を摘み、目に当てる。
「……お前、妹のどこ見ようってんだよ」
「全部だ全部。決まってんだろ」
全く、犬吠埼もとんだシスコン野郎だ。高校生にもなって妹離れをしてないなんて。
……お、トト子の奴、真面目に授業を受けてるな。
なるほど、あいつ授業中はあんな真剣な顔をしているのか。
「ちょっと犬吠埼、オペラグラス貸してくれ」
「ふざけんな。自分の使え」
……全く、けちな奴だ。
しかし、自分が通っていた時には気付かなかったが。中学2年生って、こんなに子供っぽかったっけ。
隣の席の友人とクスクス話をしている姿は、まるで子供だ。
立ち振る舞いだけではなく、見た目も全然幼く見える。
中学生だと発育の違いも差があるから、中には高校生みたいなの奴もいるが、小学生と変わらないようなのもいる。
あの席の小柄な女子なんて、小学校の中学年でも通用しそう―――
どこかの悪ガキが振り返って手を振りだした。
田所先生がドン、と教卓を叩く。
「お前ら! 保護者の方が来てるからって、叱らないと思ったら大間違いだぞ!」
先生の怒声が響く。
小柄な女子が、ビクッと身を屈める―――
「……ん?」
鉛筆も持たずにオドオドと挙動不審に怯えている女生徒にはどこか見覚えが―――
犬吠埼が慌てた様子で俺の背中を叩く。
「おい市ヶ谷、あれって―――」
犬吠埼の視線の先は俺と同じ。所在無げな小柄な少女。
ひょっとしてあれって……
「―――胡桃っ?!」
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