22 隠し事
「おーい、お兄ちゃん帰ったぞー」
学校帰り。
頼まれた買い物をぶら下げて部屋に入ると、トト子はさり気なく何かのプリントを教科書の間に挟み込む。
「お兄、セールの豚ミンチ、ゲットできただろうな」
「おう、バッチリだ。キロで買ったぜ?」
「さすがお兄。やる時にはやる男だと思ってた」
袋にガサガサと手を突っ込んでいたトト子の表情が曇る。
「……お兄には餃子の皮をお願いしたはずだ」
「入ってるだろ?」
「ではこれは何だ」
トト子の取り出した小袋には『もっちりワンタンの皮』の文字が。
……間違えた。だって似てない?
「じゃあ、餃子じゃなくてワンタン作ればどうだ」
「ワンタン……スープ……?」
「ああ、どんぶり一杯の具沢山ワンタンスープだ」
「ワンタンがみっちり……」
トト子の脳内議会が審議を開始したようだ。
ここはもう一押しだ。
「冷凍庫のミックスシーフードから、海老だけ抜いちゃおうぜ。……海老ワンタンもできるぞ?」
……俺の悪魔のささやきに勝敗は決した。
トト子の目が欲望に鈍く輝きだす。
「お兄……今日はワンタンに溺れるぞ」
トト子が冷凍庫をゴソゴソやり始めたのを確認すると、教科書に挟まれたプリントをこっそり抜き出す。
……あの行動。
きっと先生から親宛のお叱りのお手紙とかを隠したのだ。俺が良くやっていたから間違いない。
「保護者授業参観のお知らせ……?」
盗み見たプリントは授業参観のお知らせだ。
……なるほど。お兄ちゃんに来て欲しいが、恥ずかしくて言い出せない———
ツンデレ妹には良くある話だ。
俺はばれないようにプリントを戻すと、冷蔵庫を漁るトト子の背後に歩み寄る。
「邪道を承知でチーズを入れるのは———」
「トト子―――」
「うわっ! なんだお兄。背後霊にジョブチェンジしたのか」
俺はトト子の肩に手を置いた。
「―――これまで悪かったな」
「……お兄、今が謝罪が必要な感じだぞ」
「お兄ちゃん、お前が寂しい思いをしないよう頑張るから」
「そうか、じゃあこれ」
トト子は俺に冷凍のシーフードミックスを押し付ける。
「寂しがり屋の海老さんを助け出してやってくれ」
――――――
―――
「溺れた……私は人間ワンタンだ……」
どんぶり一杯のワンタンスープを平らげたトト子は、呻きながらソファに転がった。
俺は食器を片付けながら、ソファの背もたれに乗ったトト子の生足を横目で眺める。
手足が伸びきったとはいえ、まだ中2の子供である。
授業参観に家族が誰も来ないのは寂しいに違いない。
「ここはお兄ちゃんとして一肌脱いでやるか……」
「お兄、なんか言ったか?」
「何でもない。安心して生足を晒すがいい」
「……今のキモさはアウト寄りのアウトだぞ。反省しろ」
まったく、トト子め。照れ隠しに兄貴に暴言を吐くとは可愛い奴め。
……なんかその割にはセリフが真に迫ってたが。
―――
――――――
市立籾山中学校。
……俺はおろし立てのシャツの襟を整えると、久しぶりの母校に足を踏み入れた。
約半年ぶりとはいえ、既に懐かしさを感じている。
高校という次のステージに旅立った俺にとっては、この中学はすでに過去のものということか―――
浸っている俺の耳に、すれ違う女生徒たちの気になる会話が入ってくる。
「ヤッバ、さっきの極妻じゃない? マジもん?」
「高そうな着物だしガチでしょ、あれ」
……極妻?
公立中学の保護者参観でなんでそんな岩下志麻が。
俺は女生徒達の来た方に足を運ぶ。
俺が卒業した半年の間に、この学校に何かが起きたのだろうか。
まさか中学生が異能バトルで世界の命運を左右したりするのか……?
中庭に出ると、そこには視線を集めながら悠然と歩く女性の姿が。
目立つのはその服装だ。黒地に緋牡丹をあしらった訪問着に身を包んでいる。
簪でまとめた髪は金髪で―――
金髪……
何かを感じた俺は女性の後ろ姿に視線を這わす。
年齢 16
身長 165センチ
体重 55キロ
バスト F
……どことなく覚えのあるこの数値。
「ひょっとして犬吠埼か?」
俺の呼びかけに極妻―――もとい、和装の犬吠埼が振り返る。
いつもより大人っぽい雰囲気なのは、いつもはしてない化粧のせいか。
「……市ヶ谷。なんでお前ここにいるんだ?」
「妹がここの2年なんだよ。いや、待て。お前の方がツッコミどころ満載だぞ?」
「どこにツッコミどころがあんだよ。こっちもウチのがここ通ってんだよ」
「……良かった。お礼参りじゃなかったんだな」
「お前の顔面に参ってやろうか?」
やだ、ヤンキー怖い。
「でもお前、この中学出身じゃないだろ」
「まあ、あたしは国立附属出身だからな」
「頭いいじゃん。なんで高等部行かずにうちの学校に来たんだ?」
「それが面接で先生がフザケタこと抜かしやがってさ―――」
犬吠埼は眉をしかめると、苛々と下駄で地面をコツコツ叩く。
「校則だから頭黒く染め直せとか」
「そりゃ校則だしな」
「ふざけんなって思って、うちの学校来たんだ」
「……うちの学校も金髪禁止だぞ?」
しかしまあ、こうして見るとこいつ本当に極妻だ。着物の柄も狙っているとしか思えない。
俺はもう一度、犬吠埼の全身を見下ろして―――
「お前……最近、少し太った?」
「……」
無言で俺の胸ぐらをつかむと、力任せに持ち上げる犬吠埼。
「犬吠埼! 浮いてる! 浮いてるって!」
「浮かせてんだよ。懐かしの母校を特等席から見せてやるぜ?」
ヤバイ、ヤンキー切れた。
……あ、でもちょっと眺めがいい。
新鮮な気持ちで周りを見ていると、ひとりの女生徒がふにゃふにゃした笑顔で、俺を見上げているのに気付く。
「あれぇ~、あれあれぇ~ 市ヶ谷パイセンじゃないですか~」
ふにゃんふにゃんの喋り方で俺達にまとわりついて来たのは、後輩の西原真琴。
思わず力が抜けた犬吠埼の手から抜け出した俺は、西原の後ろに身を隠す。
「くるちゃん先輩が居ぬ間に浮気ですか~ 隅に置けないですな~」
「そんなんじゃないって。西原、お前図書委員長になったんだって?」
「ですよ~ うちの学校の図書室は私が制圧しときました~」
まっすぐ立っていられないのか、クラゲの様にふらつく西原の姿に、犬吠埼は毒気を抜かれたように目を丸くする。
「こいつ、お前の後輩か」
「ああ、中学の図書委員時代の後輩で西原」
「初めまして極妻さ~ん くるちゃん先輩からパイセンを奪ったって本当ですか~?」
「こら、お前何言って―――」
西原を注意しようとした俺を、素早く手で制する犬吠埼。
「男が女に手を上げるな。……代わりにあたしがちょっとシメとこうか?」
「鯖じゃないんだから気楽にシメるな。つーか手なんて上げないって」
西原はふにゃふにゃの笑みを浮かべると、俺にまとわりついてくる。
「やっぱ市ヶ谷パイセン優しいな~ くるちゃん先輩いないなら私と遊びませんか~?」
「いや、遊ばない。これから授業だろ?」
「ありゃりゃ、ふられちった~ じゃあ、教室にごあんな~い」
俺を引っ張り歩き出す西原。
「おい、市ヶ谷」
その背中に犬吠埼が声をかけて来る。
「なんだ?」
「……やっぱあたし、シメとこうか?」