17 甘えたガール
「というわけで、週末は釣りに行くことになったんだよ。開けといてね?」
昼休みの教室。俺と向かい合う胡桃がそんなことを言い出した。
俺は牛乳パックにストローを差しながら、キラキラと輝く胡桃の瞳を正面から見つめる。
「まあ週末に予定はないけど……何で釣りなんだ?」
「だってこないだトトちゃんに言ったじゃん。週末に釣りに行くって」
やっぱ俺と一緒に行くつもりだったのか。
それに青イソメまで用意してたしな。
「ああ、確かに使っちゃわないとな」
「使うって……?」
「だって胡桃、こないだ俺んちの冷蔵庫にタッパー一杯の―――」
「タッパー……?」
胡桃はくるりと目を回すと、何かを思い出したように大きくうなずく。
「ああ、あれならもう食べたよ」
「食べたのかっ?!」
菓子谷家にそんな趣向があったとは。今後のお呼ばれ、ちょっと考えなくては。
「お前、あれ食用じゃないだろ」
「えっ?! どういう意味?! DV?! デートDVなの?」
「……意味分かって言ってるか?」
身を乗り出す胡桃の頭上、切れ長の瞳が俺を見据える。
「―――市ヶ谷。あなたさっきからブチブチと細かいわね。彼氏なんだから、ちゃんと菓子谷さんの言うこと聞きなさいよ」
「おー。虎ちゃんいいこと言うな―」
何故か俺と向かい合って座っているのは女帝、放虎原玲奈。
そして胡桃は―――放虎原の膝の上だ。
「放虎原、あんまり胡桃を甘やかさないでくれ。こいつ甘えだすと際限ないぞ?」
「それ、控えめに言って最高じゃない。ねえ菓子谷さん。私にはいくらでも甘えていいのよ?」
「えへへー、虎ちゃん優しいなー」
すれ違いざま、日焼けした女生徒が胡桃にクッキーの箱を差し出す。
「お菓子ちゃん、クッキー食べる?」
「食べる!」
大口を開けた胡桃の口にクッキーが入れられる。
「だからお前ら、胡桃に甘いものやるなって。こら、俺の牛乳勝手に飲むな」
何故こいつは俺の手の牛乳を直接飲もうと思うのか。
「放虎原、お前のせいだぞ。胡桃の甘えた直すのに、毎日凄い苦労してるんだぜ?」
「あら、随分な言い草ね。菓子谷さん。あなたの彼氏、口が悪いわ」
「御免ねー、虎ちゃん。うちの達也、ちょっと失礼系彼氏なの」
「それはよくないねー」
「ねー」
笑顔で顔を見合わせる胡桃と放虎原。
……まったく、厄介な組み合わせが出来たものだ。
しかし、釣りか。自転車で行ける範囲だとどこがいいかな。
「青イソメが無いなら、淡水でもいいよな。迎山公園の大池はどうだ? フナくらいなら釣れるかも」
「おー、いいねいいね。道具ならお父さんに貸してもらうよ」
胡桃はいつの間にか増えたお菓子をパクついている。
お地蔵様じゃないんだから、やたらお菓子をあげるのは止めてくれ。
「なるほど……ピクニックね。高校生のデートとしては悪くないわ」
放虎原は胡桃の頭を撫でながら、思案深げに首をかしげる。
「……放虎原お前、ついてくる気じゃあるまいな?」
「私もそんな野暮じゃないわ。でも、二人のデートを完璧にプロデュースする義務はあるから」
「……ないぞ? そんな義務は無いからな?」
放虎原は俺の言葉を無視して、胡桃の頬をフニフニ触る。
「水辺の公園……でもこの季節、まだ日中は日差しがきつい。菓子谷さんの玉のような肌が傷付いてしまうわ」
「……池の北側に、午前中ならいい木蔭があるかな」
「利根川ちゃん!」
突然話に割り込んできたのは、元飼育委員の利根川だ。
目の前にトマトプリッツを差し出された胡桃は、黙ってポリポリ食べ始める。
「この気候と季節に公園で釣りとピクニック。……ちょうど最近計画したデートプラン№275が役に立ちそうよ。……公園で釣りの後、ベンチでお弁当を食べて午後からはボート遊び。このデートコース、どう思う?」
利根川は使い込まれた手帳から目を上げると、挑発的な視線で俺を見る。
手帳の表紙には『利根川紅葉 初めてのデート大作戦 №5』の文字。
……№1~4、活用されることは無かったらしい。
「利根川、それいいじゃない。じゃあ服装は白いワンピースね。大きな帽子も必要よ」
「任せて。子供の頃買って、結局使わなかった勝負服があるわ」
「いや、俺にも決めさせて……?」
なんだか話がどんどん進んでいくぞ。
「良かったわね利根川。長年温めてきたデートプランがついに日の目を見るのね」
「うん……諦めないで良かった」
手帳を握り締め、はにかんだ様な笑顔を浮かべる利根川。
……あれ、なにこれ。すごい断りにくいんだけど。
「おい、胡桃からも何とか言ってくれよ」
俺の手から牛乳を飲んでいた胡桃は、ちゅぽんと音を立ててストローから口を離す。
ストローにも関わらず、なんで牛乳が口周りの産毛に付いているのか。
「……良く分かんないけど。達也、人の好意を無駄にしちゃだめだよ?」