16 菓子谷家の人々2
「……それじゃ、達也お兄ちゃん。僕ちょっと疲れたから、お部屋に戻るね」
美鶴は遠回りして俺と胡桃の間を通り抜けながら、細い指で姉の髪をからかう様に触れる。
「ねえ、お姉ちゃん。あんまりぼやぼやしてると―――」
すれ違いざま、胡桃の耳元に言い残す。
「―――取られちゃう、かもね……?」
「ふぃっ?!」
寝起きを撫でられた猫のように、ぶるりと震える胡桃。
「み、美鶴っ?! あなた男の子だからね! 達也も男子だからねっ?!」
階段を上る美鶴の背中に向かって、胡桃が手をぶんぶん振りながら叫ぶ。
……いや、なんの確認だ。
「取られちゃうって……胡桃お前」
「はいっ?! いやいや、美鶴が勝手に―――」
「まだ美鶴とおやつの取り合いとかしてるのか?」
「……へ? お、おやつ違う! むしろ……しゅ、主食!」
「主食!?」
主食の取り合い……ひょっとして、俺は菓子谷家の闇に足を踏み入れたのか……?
「胡桃、米とか足りないなら、うちのを分けるぞ? 気にすんな。俺、節約レシピとか得意だから」
「え? いやいや、うちのお父さんちゃんと働いてるよ? 良い社畜だよ?」
社畜言うな。
「じゃあ、家族の悲しい話はないんだな? キャベツをもらっても、胡桃はお腹を空かせた夜を過ごしたりはしないんだな?」
「キャベツ……?」
胡桃の無邪気なキョトン顔。
「キャベツ余ってるから取りに来いって、胡桃が言ったんだろ」
「ああ、キャベツならお母さんが買ってくるんじゃないかな?」
そう言ってソファにダイブする胡桃。
「そうなんだ、おばさんが買ってくるのか」
……いや、待て。なんか話がおかしい。
なにから突っ込もうか迷っていると、玄関からなにやら音がする。
「胡桃、おばさん帰ってきたみたいだぞ」
「完敗だ……連戦連敗だ……今日の私は抜け殻なの……」
ソファでクッションに埋もれてグネグネし始める胡桃。
良く分からんが、知らぬ間に色々負けたらしい。
「おばさん、お邪魔して―――」
仕方なく玄関に出た俺は、靴を脱ごうと片足をぴょこんと上げている女性に言いかけて―――思わず息を飲んだ。
そこに居たのは予想とは異なり、俺と同じ高校の制服を着た小柄な女性。
緩くうねった茶色の長髪に包まれた顔は、かなりの―――美少女だ。
一瞬見惚れた俺は、慌てて表情を引き締める。
「あ、すいません、胡桃の友達ですよね。すぐ呼んでくるから―――」
「大丈夫だよ。達也君、ちょっと荷物持ってくれるかな?」
制服の少女は野菜の詰まったエコバッグを俺に差し出す。
―――俺の名前を知っている?
俺はバッグを受け取りながら、視線を少女の全身に這わせる。
身長 145
体重 39kg
バスト A
年齢――――――37
37っ?!
「ひょっとして、おばさんっ!?」
驚く俺に、制服姿の胡桃母は、してやったりとばかりの笑顔になる。
「あー、達也君騙されたね。じゃーん、これウィッグなの。コンタクトも新しく作ったんだよ」
言って胡桃母は茶髪のウィッグを外す。
ウィッグを外した胡桃母はどう見ても―――黒髪の女子高生だ。
……いや、外す前とあんま変わんないぞ。
「おばさん、なんでそんな格好してるんですか?!」
「胡桃ちゃんと制服デートしたくて着てみたの。どう? おばさんもまだまだ捨てたもんじゃないでしょ?」
捨てるどころか、うちの学校にもちょっと見当たらないくらいの美少女(?)だ。
明日から登校しても違和感は―――いやいや、ちょっと待て。
ツッコミどころが渋滞している。菓子谷家の面々、突込み量産機か。
「お母さん、なにしてるのっ?!」
胡桃が驚きの声を上げる。
よし、胡桃。言ってやれ。いくら俺でも、人の親にこれ以上突っ込むのは心が痛い。
「あ、胡桃ちゃん。どう? 似合ってるでしょ」
「似合ってる―――けど! お母さん、私の制服着ないでって言ったでしょ!」
胡桃母、常習犯なのか。
「―――あれ? それって……」
娘の表情に気付いたのか。胡桃母は満足げな笑みを見せる。
「……分かった? 制服、新調したの」
「なんでっ!?」
間髪入れずに叫ぶ胡桃。
……うん、胡桃の気持ちは良く分かる。
アラフォーの肉親が、自分が通ってる学校の制服を『親の私用に新調』したのだ。
しかも娘より似合って―――おっと、それ以上は言うまい。
「あ、おばさん。そっちの荷物も持ちますよ」
「ありがと。やっぱり持つべきは高校生の息子よねー」
「はあ」
「2軒隣に住んでいて、胡桃と同い年の義理の息子がいればなー」
「なんでそんなに具体的なんですか」
……胡桃がなんだか見たことない表情で俺達を見ているぞ。
荷物を運んだら早々に退散しよう。菓子谷家の家族会議を邪魔するわけには―――
「ねえ、折角だからおばさんと制服デートしない?」
胡桃母は明るく笑うと、俺の腕をとる。
「ちょっ?!」
「お母さんっ!? お父さんに言いつけるよ!」
「じゃあ胡桃には達也君の反対側をあげるね」
「……うん、それなら」
人の身体を勝手に配分しないでくれ。
胡桃と胡桃母、二人に引っ張られて再び室内に引き込まれる。
……なんか胡桃母、香水のいい匂いがするな。
いやいや、見た目は完全にJKとはいえ、人の親だぞ。
俺は心の中で繰り返す。
「そういえば達也君、玉ねぎもっていかない?」
「いいんですか? せっかく買ってきたのに」
「それがね、キャベツと間違えて玉ねぎ買ってきちゃって。ちょっと待って、袋に分けるから」
なんというミラクル。
いや、単に買い過ぎた玉ねぎもらうだけで、キャベツ要素関係してないな。
胡桃母は袋に入れた玉ねぎを俺に差し出す。
「お母さん、いなくて大変でしょ。いつでもご飯食べに来ていいんだよ?」
「ありがとうございます。ただ、俺とトト子でやれるだけやろうと思います。じゃないと、おふくろも心配するから」
両親不在の市ヶ谷家―――別に深刻な理由があるわけではない。
おふくろの奴、親父の単身赴任先に遊びに行ったまま全然帰ってこないのである。
「分かった。何かあったらいつでも言って」
「ありがとうございます。その時は甘えさせてもらいます」
「でもおばさん、ちょっと自信出たなー。現役高校生の達也君に女子高生に間違われたんだから」
にこりとポーズをとる胡桃母を、グイグイと押す胡桃。
「ねえ、お母さん! そろそろ着替えてきて! ホント、マジで!」
「えー、メイクも今風にしたんだよ? 近所の奥さんに挨拶してもバレなかったし」
「ご近所さんに会ったの!? しかも挨拶って何考えてるのさっ!」
「えー、挨拶は大切だよ。それに達也君お墨付きで、女子高生に見えてるしー」
ウキウキではしゃぐ母を、無理矢理引っ張る胡桃。
……でも、おばさん。ルーズソックスは最近の女子高生は履いてないと思います。
読んで頂いてありがとうございます。
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