14 今日うち誰もいないの……
「―――21世紀初頭。白いの黒いのだの言っていたのは、陰陽二元論を示したものだ。光の戦士でもある彼女達は、闇をまたその身に宿す……悲しい運命だとは思わないか?」
馬場園はそう言うと興奮気味に眼鏡を押し上げる。
―――放課後の教室。
俺は熱弁をふるう馬場園と向かい合わせに座り、色鮮やかな雑誌の記事を眺めていた。
「ほう……なるほど、分かる分かる」
……俺はたった今、友人に嘘をついた。
正直、こいつが何を言っているのか全然分からんぞ。プリキュアの新作の話題を振られたはずなのに、何故陰陽思想の話になっているのか。
やたら始祖だとか白とか黒とか言っているが。プリキュアの主人公って名前は知らんがピンクの髪の女の子じゃなかったっけ。
最初は黒かったのが長年の酷使にグレてピンク髪になった設定なのか……?
「この雑誌だと、三色のプリキュアがいるみたいだが」
「うむ、俺が思うに陰陽五行思想にのっとった構成だ。つまりあと二人の追加戦士が期待できる」
馬場園のメガネが怪しく光る。
「―――俺は断然“黄色推し”だ。ちなみに市ヶ谷はどうだ?」
……え? 誰か推さないといけないの……?
「俺は―――」
俺は赤、青、黄……三人の愛の戦士をじっくり見比べる。
「―――青、一択だな」
俺の回答に馬場園は笑顔を浮かべる。
よし、何か分からんが正解だったようだ。
「同担は避けられたようだな。市ヶ谷、参考までに聞いておこう。白と黒では」
「じゃあ、白かな」
「黒だろ」
再び張り詰める緊張感。ここは担当違いは駄目なのか? 難易度高いぞ。
「え、だってこっちの方が髪が長くて白くて主人公っぽかったから……。黒い方ってサブキャラっぽくない?」
「なに言ってんだ。黒の中にピンクを配したあのコスチュームは、一見がさつなキャラの中に見え隠れする乙女心を示したものだ。俺達が応援してやらずに誰が応援するんだ?!」
誰が応援するかって、そりゃ―――
「女児じゃないか?」
思わず冷静になってしまう。
「……だよな」
同じく冷静になる馬場園。なんか悪かった。
思春期真っ只中の高校一年生。プリキュア談議に花を咲かせている場合だ。
「―――おい、市ヶ谷」
「え?」
馬場園が指差す先、教室の入り口から胡桃がパタパタ手を振っている。
「おーい、達也。一緒に帰ろう」
「おお。えーと……」
なんか馬場園が笑顔で親指を立てている。
「俺のことは気にするな。……行ってやれ」
「悪いな。じゃあまた明日」
なんだよ。今日のこいつ、やけにカッコいいな。
プリキュア談義は男を磨く―――馬場園の格言、馬鹿にはならない。
◇
学校から俺達の家まで、歩いて20分。適当に話しながら帰るにはちょうど良い距離だ。
しかし今日はいつもと少し胡桃の様子が違う。
いつもはマシンガントークで喋ったり何か拾ったりしてる胡桃が、何故か黙って神妙に俺の隣を歩いている。
「……どうした? 具合悪いなら担いでいこうか?」
ここからなら担いでも問題の無い距離だ。
それにこないだの休日デートで、胡桃の担ぎ方のコツがつかめた気がする。
俺の肩のラインに合わせて胡桃の身体を折り曲げれば、体重が分散されて楽に持ち運びができるのだ。この時大切なのは思い切って鋭角に畳むことで―――
「―――あのさ、今日ちょっとうちに寄ってかない?」
沈黙を破り、胡桃が思いつめたような口調で俺に言う。
「あー、悪い。今日は俺が夕飯当番―――」
言いかけて俺は言葉を止める。
……なんだろう。やっぱりおかしい。家で一人になりたくないみたいな事情があるのだろうか?
胡桃は顔を伏せながら、じっと俺の様子を窺っている。
「トト子も帰ってるだろうし、うち来るか? 飯くらい食わせてやるぜ」
いつもなら一も二もなく食いつく誘いに、胡桃は何か言いにくそうにモニョモニョしている。
「どした?」
「えっとね、キャベツが」
「キャベツ?」
「うん、玉ねぎと間違えてキャベツ買っちゃって」
「……それは間違えないだろ」
思わず突っ込んだ俺に、胡桃が身体ごと突っ込み返してくる。
「あーもう! キャベツ余ってるから、あげるって言ってるの!」
「最初からそう言えよ。じゃあ、ありがたくもらってくぜ」
「もう、これだから私の彼氏は困ったもんだよ!」
胡桃は俺を置いて小走りで家に向かう。
俺は足を速めながら、胡桃の様子を窺う。
胡桃のおかしな行動は今に始まったことでは無いが、今日は何か企んでいそうな気配がする。
……俺は気を引き締めて胡桃の背を追った。
◇
「達也、お茶でも入れようか。貰い物のお茶かどうか良く分かんないのがあるんだよ」
「何だか分かんないの人に飲ませるなよ……」
勝手知ったる菓子谷家というべきか。
俺は急須を取ろうと背伸びする胡桃の頭上に手を伸ばす。
「急須、これでいいよな。湯呑はこれか?」
「うん、そっちが達也専用の奴」
俺はお茶っぽい飲み物を淹れながら、過去の記憶を掘り起こしていく。
このパターンはあれだ。おばさんとケンカでもして、一緒に謝って欲しい時のあれではなかろうか。
「そういや、おばさんいないの?」
湯呑をテーブルに置きながら部屋を見回す。
胡桃はそれには答えず、いつの間にか俺の隣に寄り添うように立っている。
「どうした胡桃」
「えっとね―――今日うち、誰もいないの……」
顔を赤めた胡桃が潤んだ瞳で俺を見上げる。
これは―――
―――やはりそうだ。おばさんとなにかあったな?
仕方ない。ここはちょっと世話を焼いてやるか。
「じゃあ、オバサン買い物か?」
「うん、買い物かな。でもお母さん、一回買い物に出るとなかなか帰ってこないんだよ? 美鶴も今日は習い事だし。だから今、私と達也二人切り―――」
「ここからだとスーパー結構遠いもんな。散歩がてら荷物持ちに行かないか?」
「え」
「ケンカした時は、とにかく早く謝った方がいい。俺も一緒に謝ってやるから」
俺の提案に、胡桃はポカンと目を丸くして見上げてくる。
「……お母さんとケンカなんてしてないよ?」
「あ、そうなの……? じゃあ、誰も居ないと何か問題でもあるのか?」
そもそも、おばさんから俺一人で留守番頼まれることもあるくらいなのに。
「えーと、あの、達也? ちょっと待って。すごく待って」
何故か不思議な混乱した表情を見せる胡桃。
……さて、なんだこの反応。俺の胡桃データベースに無い反応だぞ。
「達也、落ち着いて? 私の話をよく聞いて?」
「俺、さっきから落ち着いてるぞ……?」
「最初から話を整理するよ?」
胡桃は大きく息を吸うと、勢い良く言い放つ。
「だから今! うちには! 私しか! 居ないの!」
言い終わると余程疲れたのか。ゼイゼイと肩で息をする胡桃。
「ああ……さっき聞いたよ」
「で、お母さんはしばらく帰ってこないし! 美鶴は今日習い事で遅いし!」
「ああ、それも聞いた」
「……あれぇ?」
胡桃は腕を組み、天井を見上げる。深い思索の世界に突入したようだ。
「何か……俺が家に上がっちゃいけなかったか?」
「……そっか。うん。よーし、分かった」
すっかり冷めた湯呑の中身を飲み干した頃、ようやく再起動した胡桃は膝をポンと叩いた。
「私が悪かった。選択肢間違った」
「そうか。なんか分からんが気付いて良かったな」
「もう一回玄関からやり直そ? セーブポイントからやり直す!」
「……どゆこと?」
胡桃は俺の腕をグイグイと引っ張り出す。
「え、なに。出てけってこと? ちょっと落ち着けよ」
「大丈夫、ここから挽回するから!」
いかん。流石の俺もこれはなにがなんだか分からない。
「おい、出てくから引っ張るなって」
胡桃に引かれるままドアに向かっていると、階段の上に誰かの気配。
……あれ、誰もいないんじゃなかったっけ。
俺が視線を上げると、そこには胡桃を更にちっちゃくしたような、小柄な人影。
人影は、前髪の間から覗く瞳で俺を見つめながら、囁くような声で呟いた。
「……達也お兄ちゃん、いらっしゃい」