13 弁当テンプテーション
「わー、すげえ。うまそうだな。さっそくたべようぜ」
「達也ったら、つまみ食いは駄目だよ。ちゃんと手を洗ってからね?」
胡桃は笑いながら弁当箱の蓋を閉める。
―――翌日の昼休み。
弁当のサプライズ演出は無事成功。我ながら上出来の演技である。
「俺、演技の才能あるかもな。演劇部とか向いてるかも」
「かもねー。中々のもんだったよ」
並んで廊下を歩く俺達二人。
気を良くした俺はスマホを取り出し台本の続きを読む。えーと次は―――
「じゃー、てんきもいいしナカニワで―――」
言いかけた俺は窓の外を見る。
降水確率90%。朝から本気降りの一日である。
「うん、そうだね! じゃあ、芝生の上で―――」
俺の腕を取り、走り出そうとする胡桃。
「待て待て落ち着け! 今日は諦めろ。な? とにかくどっかで弁当食べよう」
「えー、楽しみにしてたのに―」
「ほら、雨降ってるから! 土砂降りだから!」
胡桃は大きくため息をつくと、俺の腕を頭でグリグリしてくる。
「雨やませろー、全部飲めー」
無茶言うな。
しかし弁当をどこで食べるか。
教室で一つの弁当を食べるのはさすがにちょっと恥ずかしいし。
ぶらぶらと校舎の端まで歩いていると、人気の無い一角に出る。
この辺ならどこか適当な場所が―――
「あ、ここはどうだろ」
「うん、いいかもね」
俺達は顔を見合わせて頷いた。
◇
「―――だからってなんでお前ら、うちの部室に来るんだ」
犬吠埼は糸を前歯でかみ切ると、大きな布を目の前に広げてジッと見つめる。
「よし、こんなもんかな」
俺達が辿り着いたのは手芸部の部室。
犬吠埼は展示会に備えて昼休みも作品作りである。
「悪いな、図書室は飲食禁止だし。助かったぜ」
「犬ちゃんありがとねー」
「いいけど汚すなよ。布を扱ってんだからな」
言って作業に戻る犬吠埼。チクチクと針を刺す指先は意外と器用だ。
胡桃は両手持ちしたおにぎりをパクつきながら、興味深げに犬吠埼の手元を見つめる。
「細かいねー。何作ってんの?」
「キルト刺繍のタペストリーだ。これほどの大作、初めてだから大変でさ」
「うわー、綺麗だね。で、それ何に使うの?」
「そりゃタペストリーだから、壁に飾ったりすんだよ」
「飾って……どうするの?」
固まる犬吠埼。
……胡桃め。言ってはならんことを。
「飾って……それで終わりだよ」
「ほへー。あ、これ鮭だ」
刺繍を感心したように眺めていた胡桃は、おにぎりの残りを口に押し込む。
「こんな綺麗なの飾るだけなんて贅沢だ。凄いね、犬ちゃん」
「……分かるか?」
途端、得意気な笑顔になる犬吠埼。
「服もむしろ裏地に金をかけるのがお洒落だしな。あ、これ裏から見ても模様になってるんだぜ?」
「へー、凄いなー」
……女の闘い、回避されたようで何よりだ。
俺は胸を撫で下ろす。
「菓子谷も手芸部どうだ? あたしは図書委員と両立できてるぜ」
「私、針使うといっつも手に刺しちゃうしなー。それと―――はい、あーん」
胡桃は俺の口元にアスパラベーコンを突き出してくる。反射的に食べる俺。
……あ、割と美味い。
「私が一緒に居ないと達也が寂しがるからなー。束縛系彼氏? みたいな」
「……入部届寄こせ。胡桃を今すぐ入部させてやる」
ったく、変な設定を作るのは止めてくれ。
俺はこう見えても超放任主義だ。
ただ、胡桃が心配だから世話を焼いてるだけで―――って、いやいや。それじゃ本当のカレカノじゃないか。
そもそも異性の好みも犬吠埼みたいなセクシー女子な訳で……。
「はいはい、ご馳走様ご馳走様。お前らさっさと食わないと昼休み終わるぞ」
言いながらも犬吠埼の手は止まらない。呆れたように笑う彼女の手元に、俺の視線もついつい引き込まれる。
「しかし、犬吠埼。お前がこんな繊細なのを作ってるなんて思わなかったよ」
「なんだよ。あたしにはこんな趣味、似合わないってのか?」
「お前のことだから特攻服に刺繍でもしてるのかと思ってた」
「……ぶん殴んぞ」
せっかく褒めたのに相変わらず乱暴な奴だ。
弁当を食べ終えた俺は胡桃にウェットティッシュを差し出す
「ほらお前、口の周り汚れてるって」
「もう構いたがりだなあ。そんなに私の世話やきたいの?」
「……」
……こいつ、調子に乗りやがって。
俺は無言で胡桃の口周りをガシガシ拭いてやる。
「イタタ! もうちょっと優しくしてよ!」
「ケチャップで作品が汚れたらどうすんだよ。はい、綺麗になった」
「口取れたーっ! 口取れたらチューできなくなるんだぞ!」
「ちゃんと付いてるって。取れたらご飯粒で付けてやる」
「じゃあ、チューする?」
「しない」
飯を食ってテンション上がりまくりの胡桃をあしらっていると、犬吠埼が流石に呆れ顔で俺達を眺めているのに気付く。
「……付き合ってもこれまでと変わんねーな、お前ら」
まあ、本当は付き合ってないしな。
犬吠埼は作りかけのタペストリーを丁寧にしまうと、改めて俺達に向き直る。
「……で、お前らどっちから告ったんだ?」
「どっちからって―――」
……あれ。その辺のこと決めてないよな。
俺と胡桃、同時に相手を指差す。
「なんだよ、本当はどっちだよ」
「もちろん達也が―――」
俺は手を上げて胡桃を制する。
「まあ待て、胡桃。最初は俺の番だ」
「……順番とかあるのか?」
「とりあえず聞いてくれ。きっかけは胡桃が下駄箱にラブレターを―――」
「えっ?!」
犬吠埼が思わず声を上げる。
「菓子谷。なんでお前らの仲で今更、下駄箱スタートしたんだ?」
「……ホント、なんでだろ」
胡桃がジト目で俺を見る。
あれ。俺、間違った?
学生同士の交際って、ラブレターで校舎裏に呼び出して告白するところから始まるんじゃないのか。
……そうか今は告白もLINEとかの時代だよな。
俺は咳ばらいを一つ。
「ごめん、勘違いだ」
「この話題で勘違いとかあんのかよ……」
「実はLINEのスタンプで告られた。俺もスタンプで返した。まあ、今風って感じだな」
決まった。今風のクールな感じが良く出ている。
……あれ、クールなのは犬吠埼の視線だ。
「市ヶ谷……それはそれでどうかと思うぞ。LINEの上、お互いにスタンプってのはいくらなんでも」
「……そうなの?」
また間違えた。
畜生、俺にはこれ以上の引き出しは無い。
「……悪い胡桃。バトンタッチだ」
「分かった」
胡桃は余裕の表情で頷くと、椅子の上で小さい脚を組む。
「犬ちゃん、ごめんね。達也最近、幸せ過ぎて妄想と現実の区別がつかない系彼氏なの」
「……マジか。市ヶ谷お前、病院行った方がいいぞ」
え、そうなの? 心配されると本当にそんな気がしてきた。
「実際にはこうなの―――」
胡桃は頬っぺたにご飯粒を付けたまま話し出す。
「高校に入ってからずっと、私の生活は荒れてたの……」
しんみりと顔を伏せ、低い声で話し出す胡桃。
「誰も私を分かってくれない……学校にも家にも居場所が無い……家にも帰らず、夜な夜なネットの掲示板で出会った男達のところを渡り歩く……そんな生活をしていたの」
「いや待て何の話だ。菓子谷お前、皆勤賞だろ。夏休みはラジオ体操も来てたじゃねえか」
「……その晩は運悪く、誰もつかまらなかったの」
この話、続くのか。
「日付も変わる頃、雨も降りだした。お金もなくコンビニの軒先で震える私に、そっと上着をかけてくれたのが達也だったの……」
「あ、そろそろ昼休み終わるな。犬吠埼、邪魔したな」
「気にすんな。いつでも来いよ」
俺は弁当箱を包み直すと、手提げに納める。
「達也は何も言わなかった。ただ温かい珈琲を差し出して、朝まで一緒にいてくれたの……」
胡桃がなんか、感極まって天井を見上げてる。
んー、そろそろ終わったかな?
犬吠埼が不思議そうに尋ねる。
「……で、告白はどうなったんだ?」
「ん……あれ? どうなったんだっけ」
それはこっちのセリフだ。
しかし何故か機嫌良さそうに立ち上がる犬吠埼。
「良く分かんねーけど、お前らの気持ちは伝わったぜ」
……伝わったのか。お前の気持ち受信機、感度良すぎないか。
「大事な瞬間はお前ら二人だけの物にしておきたいってことだよな。野暮言って悪かったぜ」
「え? ああ、そんなとこだ。分かってくれて嬉しいぜ」
よし、なんとか話はまとまった。
胡桃もこれで納得―――
「つまり……どゆこと?」
ポカンと俺の顔を見る胡桃。
俺は胡桃の頬からご飯粒を取ってやる。
「つまり俺達はラブラブってことだ」
合点がいったのか、胡桃の顔がパッと晴れた。
「だね! ちゅーする?」
「しない」