12 サプライズの向こう側
「ただいまー」
……実に濃い一日だった。
朝からクラスメートに詰められ、授業後はあれな委員長とあんな感じの放課後だ。
俺が玄関で靴を脱いでいると、リビングから誰かの話し声が聞こえる。
今更聞き間違えるはずもない二人の声。
俺は思わず肩を落とす。
まだ楽をさせてくれないのか……
覚悟を決めて扉を開けると、キッチンで胡桃とトト子が並んで料理を作っている。
「お兄、今日も生きて帰ったか」
「おかえりー、達也」
お揃いのエプロン姿の妹と彼女(偽)。
俺は制服のネクタイを緩めながらキッチンに近付く。
「胡桃、夕飯作りに来てくれたのか?」
「達也にサプライズで明日のお弁当を作ってあげようと思って。楽しみにしてろよー」
「サプライズって事前申告制だっけ」
言いながら胡桃の手元を覗き込む。
並んだ弁当のオカズは、いんげんの胡麻和え、マカロニサラダにプチトマト。
そして―――アスパラベーコン
「お前、アスパラ苦手じゃなかったっけ?」
「うん、ちょっと苦手かなー」
言いながら、弁当箱にアスパラベーコンを詰めていく胡桃。
ひょっとして……俺が好きだから入れてくれるとか?
胡桃の奴、可愛いところあるじゃん。
「無理せずにお前の好きなのも入れたらどうだ。ハンバーグとかソーセージとか、茶色いの好きだろ」
「ふっふっふ……甘いね、達也。弁当箱は女の子の小戦場だよ?」
ほほう、なるほど―――
「―――って、意味分からん。料理対決でもしてるのか?」
胡桃は溶き卵を雑にフライパンに注ぎながら、なぜか得意げな上目遣いを見せてくる。
「周りに料理上手をアピールする為だよ。なんか“それっぽい”でしょ? アスパラベーコンとか、鶏肉でなんか巻いたやつとかパプリカとか入ってたら料理上手っぽくない?」
なんだよ。俺のためじゃなかったのか。
……そもそも俺、別にアスパラ好きでも嫌いでもなかったな。雰囲気に騙された。
「なんでそんなアピールを始めるんだよ。お前、そんなキャラだっけ」
「最近ちょっと気になっているんだけど―――」
胡桃は不本意そうに小さな眉を寄せる。
「私の女子力が―――疑われてる気がしてならない」
「胡桃の……女子力……?」
今更なにを言い出した。熱でもあるのか。
「だって私、クラスで……」
ふと、胡桃が目を伏せる。
それを見た俺は思わず身を乗り出す。
「まさか、イジメられてるのか!? 相手は誰だ!」
「え? みんな優しいよ。黒板が見えにくい時はクラスの女子、膝に乗せてくれるし」
いや、それはそれでおかしい。
「それがね。クラスで私は女子ではなく、マスコット的な扱いを受けてんじゃないかなーって微かな疑惑が生じつつあって」
微かな疑惑……
いや、突っ込むのはまだ早い。俺は言葉を飲み込む。
「ついにこの前、担任の先生から『私を甘やかすな令』が発布されたの」
……なるほど。こいつのクラスのことは良く知らないが、大体の様子は分かった。
1年3組と同様、馬鹿ばっかりだ。
「だから、おしゃれな手作り弁当と素敵な彼氏を周りに見せ付けて、私の女子力をアピールする!」
なるほど。料理で女子力アピールというのは分からんでもない。
それに彼氏の存在をアピールするのも、高校生女子的にはありなのだろう。
ただ―――
「素敵な彼氏って……俺の事か?」
「ふぁっ?!」
プライパンが大きく揺れて中身が飛び散る。
「もう、何やってんだよ」
「す、素敵というか、そういう設定だから! 設定!」
「設定は構わんが、勝手に俺の変な噂流したりすんなよ?」
幼稚園の頃だ。
隣の組だった胡桃が、俺が絵本に出てくる白馬の王子様にそっくりだと主張し、非常に迷惑したことがある。
俺を見に来た女児達がガッカリしながら帰って行ったのを今でも覚えている。
布巾でコンロ周りを拭いていると、手にザルを持ったトト子が邪魔そうに身体で押してくる。
「お兄……料理の邪魔。ソファで深夜アニメでも見てて」
「何でそれ指定なんだよ。最近は見てないぞ」
「ちょっとエロイの録画して番組名変えてるだろ。私にも見せろ」
「……さて、なんのことだろうな。ニュース見るぞ、ニュース」
ソファに座った俺に胡桃が声をかけてくる。
「あー、そういえばさ。お弁当イベントの台本をスマホに送っといたから覚えておいて」
「……台本? 弁当食うのに台本がいるのか?」
「達也はいまいち、ラブラブカップルってのを分かってないみたいだからね。演技指導をしてあげる」
……また面倒なことを。
俺はスマホをチェックする。胡桃からなんか長々としたメッセが届いている。
「えーと、まずは昼休みになったらおもむろに伸びをして―――」
『あー、今日は寝坊して弁当作れなかったぜー』
―――と周りに聞こえるように独り言を言わなきゃらしい。
「俺、昼はいっつも購買のパンとか食ってるけど」
「達也ぁ、そういうことじゃないぞっ、と」
胡桃は両手で力いっぱいフライパンを振る。
明後日な方向に吹き飛んだオムレツを、トト子が皿で受け止める。
「えっと次が……『やべえ、パンとかもう売り切れてるぜ。昼飯どうしよう』」
「そう、それで自然に次のシーンに繋がるんだよ」
「うちの購買、別に売り切れないぞ?」
「……達也、そろそろ教育的指導入るからね?」
再び両手でフライパンを握る胡桃。
トト子はその手を押さえて、ゆっくりと首を振る。
「で、次に出てくる『クラスメイトA』って何のことだ?」
「その名の通り、クラスメイト役だよ。役名はないけど、セリフがあるだけいい扱いじゃないかな」
「よーし、色々おかしいんでちょっと話し合おう」
俺はスマホをソファに投げ捨てると、頭をかきながら立ち上がる。
「弁当作ってくれるんなら、普通に明日持っていくからそれでいいだろ?」
「え? でもほら、私の分も一緒に詰めてるし……その……」
「やたらデカい弁当箱だと思ったら二人分なのか。うち、一人用の弁当箱いくつかあるから出してやるよ」
食器棚に近付く俺の頭に、トト子の投げたオクラが当たる。
「……お兄。そんなものは無い」
「え? だって、たまに使って―――」
「無いといったら無い。黙ってクルちゃんの弁当を一緒に食うがいい」
「いいけど、それじゃ弁当の中身アピールできなくね? クラスの友達と一緒に食べないと―――」
「あのね! 最近気候がいいし、中庭の芝生の上で食べよっかなって! それなら周りにもちゃんとアピールできるし!」
胡桃が食い気味に被せてくる。
「まあ……弁当食わせてくれるならそれでいいけど」
俺はオクラをトト子に返すと、彩り鮮やかな弁当箱を覗き込む。
「苦手なアスパラベーコンね。なんか料理上手な女の子が男に作ってあげる料理って、肉じゃがのイメージがあるよな」
「あ、肉じゃがなら今日―――」
胡桃が途端に顔を輝かせる。
「……お兄。肉じゃがと言ったか」
それを遮るようにトト子が瞳に暗い炎を灯す。
「お兄、女が男に肉じゃがを作るのは料理上手をアピールする時じゃない―――」
トト子はお玉を片手、唇の端に大人びた笑みを浮かべる。
「―――男を落とす時だよ」
「っ!」
……こいつ、いつの間にそんな男女の駆け引きを!?
子供だとばかり思っていたら、トト子もすっかり大人になっていたってことか。
「トト子、お兄ちゃんに恋バナとかしても……いいんだぜ?」
「構うな。私もそこまで追い詰められてない」
トト子は鍋の火を止めると味噌を溶かしだす。
「そういや胡桃、なんか言いかけてなかったか?」
「え、えーと……何でもないかなー」
ついっと目を逸らす胡桃。
「ふーん? まあいいけど、夕飯どうなってる?」
「今、味噌汁できた。それとクルちゃんがオカズ持ってきてくれたから3人で食べよう。冷蔵庫にタッパー入ってる」
そうなのか。じゃあ、温めて盛り付ければ―――
冷蔵庫の扉を開けると、胡桃が力任せにバタンと閉める。
「待った待った! 間違い! さっき持ってきたのオカズと違う!」
「……へ? じゃあなんだよ」
「えっと……その……毒?」
「毒っ?! しかも何で疑問形なんだよ」
いやホント、こいつ何持ってきたんだ。
「じゃあ……餌! 週末、釣りに行こうと思って買ってきた釣り餌!」
「―――餌っ!?」
やり取りを黙って聞いていたトト子が、悲鳴にも似た声を上げる。
「クルちゃん、餌って何買ってきたのっ!?」
「えっと……青イソメ、かな。ゴカイより、ちょっといい奴だよ?」
「そんなの冷蔵庫に入れないでっ!」
俺は冷蔵庫に飛びつこうとしたトト子の腕をつかむ。
「待て、トト子。冷蔵庫に入れておかないと週末まで持たないぞ?」
「だよー、外に出してたらすぐ駄目になっちゃう」
「それならクルちゃん、自分の家の冷蔵庫にしまってよ!」
……正論だ。
「トトちゃんの言う通りだね! ちょっと家の冷蔵庫に入れて来るから待ってて!」
胡桃は冷蔵庫からタッパーを取り出すとリビングを飛び出していく。
パタパタと走り去る胡桃の足音を聞きながら、俺は大切なことに気付く。
「あれ。夕飯のおかずは?」
「……」
トト子が黙って取り出したのはレトルトのパック。銅座カレー(辛口)だ。
俺は棚の奥から『森のお姫様カレー 甘口』を取り出すと、トト子に手渡す。
胡桃、辛いのは駄目なのだ。
……一体、胡桃の奴は何がしたかったのだろう。真相は闇の中、である。