11 図書委員長 小抜加夜
詐欺師は人の欲につけ込むと言われている。
欲に目がくらんだ人間は都合の悪いことから目を逸らし、自分の信じたいことを信じるのだ。
「詐欺だ……こんなの詐欺だ……」
つまり、甘い話には気をつけろということだ。
胡桃と付き合っていることを告白したというのに、モテるどころかなんだかわけの分からない展開に。
図書室のカウンターに突っ伏してる俺の後頭部に本が乗せられる。
「犬吠埼、お前か……」
「ほら、図書委員。返却手続き頼むぜ」
犬吠埼はそのまま隣に座る。
本の返却処理を済ませた俺は、犬吠埼が俺をからかうような目で見ているのに気付いた。
「お前、今日当番だったっけ?」
「聞いたぞ。菓子谷とお手手繋いで登校したんだって? ラブラブじゃねえか。ご馳走さん」
うわ、他のクラスにまで話が広まっているのか。
しかも犬吠埼にまでそんな風に言われるとは。
「手を繋いだりとかガキの頃からだし。普通だろ」
「いやいや、お前らの普通は世間じゃ普通じゃねえんだって。まさかまだ一緒に風呂入ってるとか言わないだろうな」
「そんなわけないだろ。俺達を何だと思ってんだ」
「はは、悪い悪い」
犬吠埼は楽しそうに笑いながら髪をかき上げる。
「さすがにそんなの小学生までだろ」
「うわ……本当に入ってたのか。それは引くわ」
ガタガタと俺から椅子を遠ざける犬吠埼。
「え……だってあいつ、何度言っても勝手に入って来たし。流石に中学に入ってからは無理にでも止めさせたんだぜ?」
「しかも小6までかよ」
犬吠埼の奴、いつの間にかカウンターの反対側に回っている。
「お前だって小学生の頃までは父親と風呂に入ってただろ? 同じだよ」
「ちげーよ。家を出るまではオヤジと風呂に入るのは普通だろ。一緒にすんな」
「……え?」
「ん? どうした」
……いや、今のはあまり掘り下げない方がいい。俺のエアセンサーが激しく反応している。
「いや、何でもない。そういや、今日のもう一人の当番って誰だっけ」
「えーと確か……」
壁の当番表に目をやるのと同時、その横の扉が開く。
「ごめんなさい。委員会で遅れてしまったわ」
声の主は図書委員長の小抜加夜。二年生。
すかさず立ち上がった犬吠埼が頭を下げる。
「先輩、ちわっす!」
「あら、犬吠埼さん。今日も素敵ね」
小抜委員長はすれ違いざまに犬吠埼にハグをする。
俺はすかさず舐めるような視線を委員長の身体に這わせる。
年齢 17
身長 158センチ
体重 47キロ
バスト D
……ざっとこんなところだ。
この先輩、いつも眠そうなタレ目が妙に煽情的で色っぽい美人さんだ。
一時期、やっかみ混じりに『愛人委員長』のあだ名がつけられたというのだから、まあそんな感じの人だ。
……そのあだ名も本人が気に入ってしまったので、陰口を叩いていた連中もすっかり降参したというオチ付きだが。
「あなた少し痩せた? でも、こっちの方はちゃんと肉がついてるわね」
「あの、先輩? いや、あの、そこは」
……犬吠埼とのハグ、やたら長いな。そして念入りだ。スマホをカバンに入れっぱなしだったのが惜しまれる。
委員長は名残惜し気に身体を離すと、犬吠埼の金髪を指で梳く。
「ごめんなさい。犬吠埼さんがあんまり可愛いから」
「あ、はい! あざっす!」
……なるほど。委員長ともなると、セクハラできる上にお礼まで言われるのか。
次期委員長、狙うしかない。
「あら、今日のパートナーは市ヶ谷君?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「ふふ……私こそよろしく」
小抜委員長は俺の隣に腰掛けると、見せつけるように長い足を組んだ。
艶めかしく光るリップのグロス。その間から舐めるように赤い舌が覗く。
……誘われてる? まさか、これがモテ期というものか……?
俺は思わず背筋を伸ばす。
「聞いたわよ、市ヶ谷君。菓子谷さんとLOVEでポーションな関係になったんですって?」
ポーションが何かは分からんが、付き合いだしたってことだろうか。
なんで2年生の間にも広まってるんだろう。うちの学校にはロリコンネットワークでもあるというのか。
「ポーションかどうかは分かりませんけど。まあ一応、付き合ってるということで」
「素敵ね。LOVEは魂のステージを一つ上の段階に連れて行ってくれるわ。ポーション的な意味でも」
「はあ……」
だからポーションって何なんだ。
不審げな俺の顔を見て、委員長はクスクス笑う。
「あら嫌だ。変な意味で無くてよ? 単純な肉欲ではなく、イデア論の観点から見た精神的な愛の話よ」
……ますます分からん。
戸惑う様子を見て、委員長は面白がるように爪先で俺の膝をつついてきた。
「愛とは精神的なものが本質なの。例えばこの本とでも、例えばこの回転印とでも、愛の語らいは出来るわ」
「回転印……ですか」
なんだろう、『平成最後の日の日付がたまらない』とかそういうフェティシズムの話だろうか。レベル高過ぎやしないか。
「それに文具は愛を語らうには初心者向きよ。私も昔はスティック糊との語らいに興味があったのだけど、蓋の構造に致命的な欠陥が」
「……それって、図書室で話しても大丈夫な内容ですか?」
「もちろん。神聖な図書室は下ネタ禁止よ」
どの口からそんな言葉が。
いやしかし。最初から下ネタと決めつけるのは良くない。最後まで聞かないと。
「結論から言うと、色々あってこの図書室の糊はスティック糊でなくて、スクリュー蓋の液体のりを使っているの」
「……え。ここの備品、触っても大丈夫ですよね? 割とマジな質問ですよ」
それには答えず、なぜか俺に見えるようにゆっくりと足を組み替える小抜委員長。
細い指で艶めかしく液体のりの容器を撫で回す。
……いつの間にか犬吠埼は書棚の裏に姿を消している。
あいつ、逃げやがった。
「あら、犬吠埼さんどこに行ったのかしら。そういえば知ってる? 欧米でも生まれつきの金髪は意外と少なくて、染めてる人が多いから―――」
「図書室、下ネタ禁止ですけど大丈夫ですか?」
「あら、私としたことが。危うく退場になるところだったわ」
クスクスと笑う小抜委員長。
……今こいつ、下ネタって認めやがった。
「すでに3回くらいは退場食らってると思いますけど」
「あら怖い。要するに愛の語らいに立場の違いはもちろん、人間なら性別なんて関係は―――いえ、むしろ私は女の子の方が」
「……4回目ですね」
この人、何回目で本当に退場してくれるんだろう。
怪しく光る委員長の瞳が俺を捉える。
「菓子谷胡桃……まだ開き切る前の硬い蕾。どうかしら。私にしばらく預けてくれたら満開の花弁に―――」
「退場です。一刻も早く退室してください」
……この人の狙いは胡桃だったのか。モテ期、気のせいだった。
「それは残念。でも退場する前に話しておきたいことがあるの」
委員長は俺の頬に手を伸ばしてくる。
「えっと、委員長……?」
「ふふ……怖がらなくてもいいのよ?」
いえ、正直怖いです。
畜生、誰か客が来てくれないか。こうなったら胡桃でもいい。
助けを求めてさまよう俺の視線の先、犬吠埼がこっそり部屋を出ていこうとしている。
「あ! 犬吠埼、お前どこ行くんだよ!」
「あたし、ばーちゃんと約束あるから……先輩、お先っす!」
え、嘘。委員長と二人にしないで?
「お待ちなさい。犬吠埼さん、あなたもそこに座って」
「え? あ、はい!」
犬吠埼は椅子に飛び乗り、小さく身を屈める。
委員長も真っすぐ座り直すと、俺達の顔を見渡した。
「二人にこれを渡しておこうかと思って」
「はあ」
委員長に渡された紙には『図書推薦書』の文字が。
「後期予算で購入する図書の推薦をお願いしたくて」
「はあ、もうそんな時期ですか」
ここにきてまともな話。なんだこの温度差。
「あれ、でも前期に比べて推薦できる冊数が減ってますね」
「良く気付いたわね。少子化で生徒数が減少傾向。予算も減らされてるってこと」
「そんなこと生徒会報誌に書いてありましたね」
「そうなの。それに伴い―――」
委員長の潤んだ瞳に憂いが混じる。
「テストの点数も減少傾向で……これから補習なの」
「全然伴ってないと思いますが、早く補習行ってください」
委員長は不満げに図書カウンターにしなだれかかる。
「数学の田澤先生、厳しいの。ここであなた達にセクハラしてた方が楽しいわ……」
……やっぱセクハラだったのか。
俺は図書室の扉を開けて、廊下を指差した。
「じゃあ、先輩。正式に退場ということで」