10 1年3組公認カップル
俺が頭を抱えていると、机の端から小さな頭がひょこりと現れた。
「ねえ、達也。今日の放課後なんだけど―――」
突然顔を出したのは胡桃だ。
大きな瞳をパチクリさせ、俺の顔を見上げている。
「胡桃、なんで俺のクラスに居るんだ?」
「放課後、ちょっと用事があるから先帰るねって言いに来たの。なんかあった?」
静まり返るクラスの空気に、胡桃は不思議そうな顔で立ち上がる。
ふと、馬場園の姿を見ると、テテッと歩み寄る胡桃。
「確か馬場園君だよね? 達也がいっつもお世話になってます」
「え? お、おうふ…………お、お世話してます」
馬場園は顔を真っ赤にしてモジモジ答える。
「こ、こいつのことなら俺に何でも言ってくれ」
「そうなの? ありがと、頼りにしてるね」
屈託なく笑う胡桃に、デレデレ顔の馬場園。
……こいつ、胡桃の50cm以内に近付いたら羽交い絞めにしてやる。
「おい、胡桃。そろそろお前のクラスに―――」
「あー、利根川ちゃん!」
胡桃が次に向かったのは、さっき俺に向かってこそこそ話をしていた女子のグループだ。
そのうちの一人、利根川さんに気安く駆け寄る胡桃。
「すっごい久しぶりだね。達也と同じクラスだったんだー」
「う、うん。そうだけど。……菓子谷さん、私のこと覚えてたの?」
利根川さんはちょっと目つきが悪いせいで、微妙に怖がられている女子だ。
胡桃に真っすぐ見つめられて戸惑い気味な表情をしている。
「小学校で飼育委員で一緒だったじゃん。黒ウサギの飛乃助、まだ元気にしてるんだよ」
「へ? 菓子谷さん、まだ小学校に行ってるの?」
「うん、フツーに出入りしてるよ。こないだなんて先生に『そんなに動物好きなら飼育委員に立候補したらどうだ?』なんて言われて。高校生がなれる訳ないのにねー」
……それ、生徒と間違えられてないか?
そこでようやく、クラス中の視線を集めていることに気付いた胡桃。
「……あれ? 私、他のクラスでしゃべり過ぎだよね。ごめんね、そろそろ戻るよ」
「あ、ちょっと待って」
利根川さんは胡桃を呼び止め、おずおずと小さな包みを差し出した。
「……飴食べる?」
「いいの? わーい、ありがとう!」
胡桃は飴の包みを破ると口に放り込む。
いや、なんでいきなり食ってんだ。今から授業だぞ。
「……ちょっと。あんたらなにやってんのよ」
険しい表情で口を挟んできたのは、クラスの女帝と呼ばれる放虎原玲奈。切れ長の瞳に剣呑な光を宿し、胡桃の背後に迫る。
……これはいけない。胡桃の奴、自分のクラスでもないのに自由にし過ぎたか。俺は思わず立ち上がる。
「……利根川だけズルいじゃない。私もチョコ持ってるんだけど」
放虎原はきまり悪げに胡桃にチョコバーを差し出した。
「はぇー、いいの?」
胡桃は目を輝かせながらも、恐る恐る手を伸ばす。
「も、もちろんよ。先生に見つかる前にしまいなさい」
「ありがと! 大事に食べるね!」
「……どういたしまして」
花のような笑顔を見せる胡桃に、放虎原が照れたように目を逸らす。
それを皮切りにクラスの女子たちが一斉に胡桃を取り囲んだ。
「ねえ菓子谷さん、きのこの山食べる?」
「いや、そこはたけのこでしょ。限定イチゴ味あるよ」
「空気読もうよ、ここはアルフォートだってばさ」
「菓子谷ちゃん、ボンタンアメは好き?」
あっという間に女子の群れにもみくちゃにされる胡桃。
……うちのクラス、どいつもこいつも胡桃のこと好きすぎだろ。
胡桃はキラキラした瞳で、両手いっぱいのお菓子を見せにくる。
「達也、なんかみんなに一杯もらった!」
「良かったな。ほら、袋やるから入れておけ。あ、こら。ここでミカンの皮剥くな」
俺はビニール袋にお菓子を放り込む。
胡桃は街を歩いていると、やたらお菓子をもらうのだ。しかもポケットに入れっぱなしにして溶かすことも多い。
そのため俺はビニール袋を常備している。……あとこいつ、松ぼっくりとか拾うし。
「3組のみんな、優しいね。それじゃ達也、私クラスに戻るから」
そのまま教室を出て行こうとした胡桃は、入り口でくるりと振り返る。
そして、にぱりと笑顔を見せるとクラスの皆に向かって手を振った。
満面の笑みで手を振り返すクラスの連中。
……なんだこの集団。
呆れて立ち尽くす俺の肩に、馬場園が手を置いてきた。
「なんだよ、気持ち悪いな」
「市ヶ谷。菓子谷さんのあの笑顔を見せられて、俺は分かった」
「……勝手に分かるな」
「菓子谷さんのあの笑顔……守ってやれるのはお前だけなんだってことを」
何故か一人で納得したようにうなずく馬場園。
「彼女のこと頼んだぞ、市ヶ谷」
「頼むも何も、付き合うのにお前の許可いらないからな?」
「―――馬場園、ちょっとそこどいて」
馬場園を押しのけ、“女帝”放虎原玲奈が俺の前で腕を組む。
その迫力に思わず鼻白みつつ、俺は視線を奴の身体に這わせる。
……クラスの女帝たる放虎原玲奈。こんな機会が無くてはじっくり眺める機会は無い。
年齢 16
身長 162センチ
体重 57キロ
バスト E
……なるほど。
犬吠埼とはタイプが違うが、中々のモノをお持ちである。
アメリカの学園ドラマに出てくるチアリーダーを彷彿とさせる美人である。
「な、なんだよ」
「菓子谷さんの甘やかされ力……想定以上だったわ。お菓子を無限にあげたくなる気持ちが分かる」
「いや、あんまり甘いものばかり食わせるな。虫歯になる」
あいつまだ乳歯あるし。
「不本意ながら……クラス投票の結果、1年3組は全面的にあなた達の交際を認めることになったわ」
「―――投票?」
見れば黒板には『賛成17、反対15、棄権3』の文字。いつの間にこんな投票を。
「えらく僅差なんだけど。お前ら、ホントに認めてくれてる?」
「もちろんよ。ただし、菓子谷さんを泣かすようなことをしたら……分かってるんでしょうね」
「……泣かしたらどうなるんだ?」
「恋人同士とはいえ、高校生らしい節度を持ったお付き合いをして頂戴。1年3組、70個の瞳が常にあなたを見張ってると思いなさい」
「だから泣かしたらどうなるんだってば」
放虎原を先頭に、1年3組の女子達が俺の前にずらりと並んでいる。
思わず後ずさった俺の背後にはクラスの男子どもが並ぶ。
「あのな。俺はあいつの彼氏なんだから泣かすようなことするわけないだろ? はい、散った散った。先生来るから席につけって」
俺は強引にクラスの連中を追い払うと、椅子にどさりと座る。
……まったくどいつもこいつも。たわいもない恋人ごっこくらい、構わずに放っておいてくれないか。
ふと、目に入ってくる黒板の投票結果。
「日直、責任とってちゃんと消しといてくれ―――」
俺は黒板の隅、日直の名前を確認する。……俺だ。
仕方ない。大人しく消すとするか。
黒板消しを手に『賛成17、反対15』の文字を消しかけた俺はあることに気付く。
―――反対15票。
つまりこのクラスには15人のロリコンが―――
素早く振り向くと、俺を見つめていた何人かが視線を外す。
……これは長い戦いになりそうだ。
俺は大きく溜息をつくと、一気に黒板の投票結果を拭きとった。