第37話
ガニメデはカリストの背中のハイドポートに接続した冷却ユニットから伸びるフレキシブルパイプを外す。冷媒が液体から急激に気化蒸散したため、冷たい蒸気が音を立てて一瞬だけ噴き上がった。
「電源はどうしようもないけど、こっちの冷媒ならまだ少しは役に立てると思うよ」
ガニメデが思い付いたのは、やや強引というか原始的な手段ではあるが、冷媒、すなわち冷却ユニットが送出する液体の希ガスを直接にカリストに呑ませるなりして、体内から物理的に冷却を行うという作戦だった。カリストの組成抽出炉が稼動していない現状、冷媒としての希ガスそのものを取り込むことができないため効率は非常に悪いが、それでも冷却を多少なりとも促進し、機内温度を下げることができるかもしれないし、最悪でもしばらくは現状を維持してくれるはずだ。
「ちょっと惨たらしいと言えば惨たらしいけど、やらないよりはマシだと思う」
ガニメデの提案にエウロパが即座に賛同する。カリストのクチの中にフレキシブルパイプを捩じ込むような蛮行など想定外だったイオだが、もはや猶予もないため、特に反対することもなかった。
「そ、それじゃあ、私が挿管するっ!」
ガニメデが持つフレキシブルパイプに手を延ばしたイオだったが、エウロパがそれを制する。
「待って。挿管は私がやるわ」
「なっ!?」
カリストに何事かを為す場合、それが何でも自分の役目だと思っているイオにしてみれば、エウロパの独行は憤慨モノであった。その真意を計りかね険しい表情でエウロパを睨み付けるイオであったが、当のエウロパは涼しい顔で言う。
「代わりに、あなたにやってもらいたいことがある」
「はあ!? カリストがこんなになってるのに、雑用なんてゴメンよっ!」
一も二もなく拒絶の意思を示すイオに対して、なおも諭すように告げるエウロパ。
「はやとちりしないで……雑用なんかじゃないわ。それは私たちにはできない、あなただけができるかもしれない大事なこと」
落ち着いた真摯な声色で言葉を継ぎながらも、エウロパはグッタリしているカリストを仰向けにして手際よくアゴを上げてクチを開き、イオの承諾を待つことなく挿管作業を開始しようとする。何かと聡いガニメデは段取りを先読みして救急車から挿管キットを持ってきたが、特に何も言わず、黙ってエウロパにそれを手渡した。
「ちょ、ちょっと!? あんた!?」
まさか話し合いもないまま断行するとは思っていなかったイオはギョッとして声を荒げたが、エウロパはそれを黙殺し、スタイレットにフレキシブルパイプを取り付け、喉頭鏡を展開する。もはやエウロパを押しとどめることはできないようだった。
「……ガニメデ、組成抽出炉はどちらのライン?」
「バイオロイド共通で細い方のラインってことになってるよ。確か白と青の縞模様のマークが付いてる」
「……見えたわ。ありがとう」
アタマ側から覆い被さるようにして、エウロパは喉頭鏡のガイドをカリストの喉奥に入れチラリと覗き込み、サッと引き抜くと挿管作業はもう完了していた。素晴らしい手際の良さだ。それを見計らってガニメデが冷却ユニットを作動させると、ポコポコというマヌケな音と共に、カリストの半開きのクチから気化した冷媒が作る白煙が上がり始める。3人が反射的にカリストに繋いだモニタを見ると、機内温度を示す数値の上昇が即座に鈍り、反転し、ジリジリと下降し始めたのが確認できた。
「や、やったわ! 温度が下がってる!」
思わずガッツポーズして歓声を上げるイオと、ひと安心といった面持ちで頷きあうガニメデとエウロパ。カリストが依然として危機的状況にあることには変わりはないが、これで内熱で燃え尽きてしまうような事態だけは防げるだろう。
「野蛮な方法だけど、これであなたに納得してもらえる説明ができる時間くらいは稼げる」
「……もうイイわ。何でもやるわよ」
済んでしまったことは仕方がないという顔でエウロパの提言を聞く姿勢を見せるイオ。カリストの機内温度が下がり、また、挿管の手技も見事だったので文句の付けようもなかった。
「イオだけにできることって……どういうことかな? カリストを救う手立てが他にある?」
必要以上の摩擦を防ぐためにふたりの間に割って入るガニメデだったが、エウロパが回答するより先に、3人の後ろに控えていたテティスが咳ばらいして告げる。
「お前たち、言っておくが残り時間は1分だ。冷たいようだが、あと1分でカリストの意識が戻らなければ、生死に関わらず回収させてもらう」
思わず顔を見合わせてから一斉にテティスを顧みる3人。テティスが与えてくれるであろう時間は決して長くないだろうと考えてはいたが、それが現時点で僅か1分だとは、想像だにしていなかった。
「た、たったの1分で何ができるっていうのよっ!?」
「だから急げと言っている!」
噛み付こうとするイオを一喝のもとに一蹴するテティス。見れば「片付け屋」の作業班は隠蔽工作の大半を終え、すでに撤収準備に入っているようだった。ほぼ「カリスト待ち」とさえ言えそうな雰囲気だ。そんな作業班を振り返りもせずに号令するテティス。
「3号車、4号車は先行して撤収しろ! 2号車は現場の最終確認を終え次第、3号車、4号車に続行! ……1号車は待機!」
それからイオを真っ向から見据えながら言う。
「これでも充分すぎるほどの温情はかけてやっているつもりだ。何度も同じことを言わせて時間をムダにするつもりか!? 早くカリストを連れ戻せ!」
「エウロパの気管挿管手技はスゴイねぇ♪ ERみたいだねぇ♪」
『ま、まぁ、今回の場合はバイオロイドに冷媒を送り込むだけだから、人間の気管挿管とは毛色が異なるわね。実際に人間に気管挿管を行う場合は、医師や資格を取得した救急救命士じゃないとダメね(日本では)』
「気管にチューブを入れるだけだから一見すると簡単そだけど、事故が起こりやすいムツカシイ作業なんだよねぇ」
『食道に挿管しちゃったり、挿管位置が深すぎて片肺になっちゃったりね。気管挿管をする場合は患者は昏睡していたり意識レベルが低下しているケースが多いから、誤挿入しても不調や不具合を訴えることができないのよね』