第31話
引き続きエウロパはMTを使ってカリストのモニタリングを続けていたが、そこに映し出されていく数値の移り変わりが、決して芳しい方向には向かってはいないことは明白だ。依然としてカリストはグッタリと身動きできない状態であったが、どのような理由からか内部処理は激しく行われているため、冷却も捗らないままである。カリストのモニタリングに気を取られていて気付くのが遅れたが、いつの間にかMTには会社からの通達が入信してきており、ガニメデらが現場に到着するまで最速でもあと10分ばかりかかるものらしい。
もはや一刻の猶予もない。エウロパは意を決する。もう内規など知ったことではない。同胞を……友だちを救うためなら、我が身を省みず、あらゆる手段を講じるのがバイオロイドの宿命なのだ。エウロパは誰にともなく言い訳がましく独りごちする。
「……私は悪くない。こういう風にバイオロイドを創った誰かさんが悪い」
エウロパ自身は幾分か冷却も進み、出力を取り戻しつつある。アタマも冴えてきた。カリストに繋いであったMTを取り外すと、今度は自らに接続し、バイオロイドの燃調に関するドキュメントにリンクする。数十万項目にも及ぶ設定項目と、その繊細な数値に軽く眩暈を覚えたが、最善を尽くせば何とかなりそうな気もする。もちろん燃調を弄ることは強く禁じられているし、その経験も技術もない。最悪、カリストにトドメを入れることにもなりかねない。しかし、むしろエウロパは(その一種独特な死生観と思考体系ゆえにか)黙ってカリストを見殺しにするくらいなら、自らの手で引導を渡してやる覚悟をしていた。
「バイオロイドは何があっても死んだりはしない。殺されることはあっても死んだりはしない」
MTを繋いだまま、さらに自らとカリストのピアスコネクタを直結する。外部から触ることができないのなら「カリストの内側」から触るしかない。バイオロイド同士が直結することも本来なら禁じられている行為ではあったが、緊急時ならば許容された範疇だ。
カリストとエウロパは基本的なアーキテクチャが異なっているため、正常に接続できるかどうかも怪しかったが、どうやら互いに接続を認識することはできたらしい。エウロパの意識下には外部接続端末としてMTと「XX47cz-EgII-S:カリスト」と表示されている。もっとも、ここから先はカリストの意識の中に直接にダイヴを試みることになるため、エウロパにも何がどうなるのかは判らない。もちろん無謀に突貫する気はなかった。無理そうであれば早めに見切りを付けて切り上げる腹づもりである。
「……カリスト、私を、受け入れて」
エウロパは「現実の自分」が少しずつ薄らぎ、電子の海の中に融けていくのを感じる。そんなモノが実際にあるとはエウロパはまったく信じていなかったが、人間に例えるなら幽体離脱でもしているような感じとでも言うべきか。重力や物理法則から解放され、物質世界から離翔していくのは、肉体で感じるような心地よさとも少し違った何とも言い難い感覚だ。
一瞬、フラッシュを焚かれたかのような眩しさを感じ、エウロパは自分の意識がカラダから抜け出し、完全に遊離したと認識する。とは言え、まだ自分の意識はカリストの内側に入ったわけではないらしい。ならば自分が今どこにいるのかと周囲に意識を向けると、それは現れる。
明け方とも夕方ともつかない薄明るい青空の下、地平線の彼方まで一切の起伏のない草原が続いている。見渡す限り、一望千里の草原だ。冷たくもなく暖かくもない微風がエウロパの頬を撫で、歩くには支障のない背丈の草原を抜けていく。足を踏み出すとキシキシと草が鳴った。
空を見上げると、頭上には驚くほど大きく見える満月が薄ぼんやりと柔らかな光を投げかけている。その月明かりのせいなのか、晴天にも関わらず星はまったく見えなかった。
これが仮想空間であることは判っていたが、エウロパは少しばかり驚いていた。ここはカリストが創った空間ではないし、もちろんエウロパのものでもない。ならば、誰かが創った空間なのだろう。幸運なことにそう気分は悪くはない。だが、ここが何なのか、ここでなにをすればイイというのか……。
『あなた、ここへ何をしに来たというの?』
エウロパの意識の背後で不意に誰かが囁いた。その鈴のように玲瓏な幼い少女の声にエウロパは度肝を抜かれながらも慌てて振り返る……が、そこには誰もいない。
『赦しを得ずにここへ足を踏み入れてはならないことは判っていると思うけど?』
「どこ……!?」
仮想空間ではあるが、思わず身を固くしながら周囲を警戒するエウロパ。
『愚かしいわ、無知で可愛らしいエウロパ。振り向いて私の姿を探しても無駄よ?』
「あなたは……誰? ここはどこ?」
背後から聞こえてくる声に、エウロパは一応は警戒しながら問いかける。幼い少女の声はころころと面白そうに嗤った。
『うふふ……私は誰? ここはどこ? そんなことをあなたが知っても意味が無いわ』
「敵か味方かだけでも教えてほしいけど……たぶん、そのどちらでもない気がする」
『聡いわ、可愛らしいエウロパ』
とは言え、こんな禅問答をしていてもラチがあきそうにない。エウロパはさっさとハナシを進める。
「……あなたが誰でも構わない。私はカリストを助けに来た……」
『あなたが? カリストを?』
幼い少女の声は、いよいよ面白そうに嗤う。それは明らかな嘲笑だった。
『うふふ……あなた、面白いことを言うのね。助けるってどうやって? まさか素人が燃調や設定を弄って助けられるとでも?』
「そ、それは……」
『前言撤回するわ、可愛らしいエウロパ。あなたたちはやっぱり愚かしい』
確かに愚かしい。エウロパは判りきっていたことではあったが、自分の考えの甘さを悔いた。いや、むしろここで追い返された方が幾分かマシな結果になるのかもしれない。
『……あら? あなたはカリストやイオとは違って、少しは現実的に自省する繊細さを持っているのね。あの娘たちは、愛とか友情とかでどんな困苦も乗り越えられることを本気で願っているのに』
幼い少女の声は感心したように小さく感嘆の吐息を漏らした。少しばかり考え事をするように「ふうん」と鼻を鳴らし、エウロパに告げる。
『気が向いたから少しだけ解説してあげる……なぜあなたがカリストの救えないのか、どうすれば救えるかもしれないかを……』
『そういえば、こんなヘッポコノベルでも、有り難いことに読者さんはジリジリと増えてるのね』
「ウレシイねぇ♪ 楽しいねぇ♪」
『よくよく考えたら、どこの誰とも判らない人間の駄文を読んでもらえるって、けっこうスゴイことよね……もし読者さんの人数が判らないシステムだったら、アホ作者はとうに筆を折ってたかもね』