第27話
ビスマルク通りをカイザーダムまでブッ飛ばし、ポツダムへ続くアウトバーンA100号へと昇る。ヴェストクロイツでA115号に乗り入れて、そのまま走り、ニコラス湖を右手に眺めながら22世紀になって新しく作られた新しいアウトバーンNA1号(ケーニッヒ通り・旧国道1号)に乗り入れ、あとはポツダムまで一直線だ。この間、何者もガニメデとイオを遮る者はなかった。夕方の太陽が次第に斜陽を投げかけるにつれイオの気は逸るが、それ以上にガニメデは飛ばしに飛ばした。ベルリンを出てポツダム市街に入るまで、時間にして僅か18分である。
「とんでもなく飛ばしてるけど、バイクで走るよりは安心して乗ってられるわ」
「バイク? 君は二輪に乗るの?」
「ん……前にちょっとした事情があって便乗しただけだけど……正直、できることならもう二度と乗りたくないかも」
イオはヴァレンタインの背で味わった恐怖と羞恥を思い出し、しかめっ面をする。こともあろうに変態男の背中にしがみついて悲鳴を上げるなどというのは、そう長くもないイオの人生の中でも屈指の恥態であった。
そういえば、あの時もカリストを救うためにポツダムへ急行していたのだ。まったくカリストには世話を焼かされ通しだ。もっとも、カリストが危機に瀕しやすいということが会社の策謀というか、思惑であるということが暴露された今、もちろん全面的にカリストを責めても仕方がない(多少は責めることができるだろうが)。ヴァレンタインの言うように、カリストはそういう策謀にまんまと引っかかるに適した性格と性質であり、もしカリストが危機回避に適した性格……もっと慎重で疑い深く細心な性格だったとしたら、間違いなくイオはカリストに対して想いを寄せるようなことはなかっただろう。
自分が何かと気苦労が絶えないのも、カリストを想い、カリストに想われる代償……そう考えれば、(損得勘定で計れる物事ではないが)安いモノだとイオは思う。そして、天真爛漫すぎるカリストと、それに付随する諸々の気苦労に耐えられるのは、古今東西、世界中で自分だけだと本気で思っていた。さらに、イオは、そんなふうに考えられる自分に対して、胸を張って幸せ者だと言える自信があった。
「ああ~! まったくホントに世話が焼けるっ!」
「……何だか知らないけど気苦労が絶えないね」
ガニメデは心底から同情しているようであったが、忌々しげな中にも明らかに暖かな気持ちの感じられるイオのボヤキの真意を測りかね、なんとも微妙な表情だ。やはり、誰かに好意を持ったり持たれたりすることはイロイロとデメリットがあると見なして間違いなさそうだが、そんなことは当のイオも判っているにも関わらず、どこかしら楽しそうなのがガニメデにしてみれば不条理に思えて仕方がない。
先にも述べたようにガニメデはバイオロイドが恋愛感情を持つことには懐疑的であるし、自らそれを得たいと思ったこともない。突っ込んで言うならバイオロイドが「真の恋愛感情」と呼べるモノを得ることが倫理的にも技術的にも可能なのだろうかと疑念してさえいる。もしそれが可能だったにしても、そんなモノは、人工の、擬似的な、いわゆる「プログラムされた感情」なのだ(そうでなければ、バイオロイドはロボットなどではなくて、もはや完全な新しい人類と呼ぶしかなくなるだろう!)。
そもそも、バイオロイドは恋愛感情に限らず、そういう類の人間的な感情(に酷似した擬似的な感情)を得ているのだろうか? いつから? ……などという考えに至るのはガニメデに限らず、バイオロイドにとっては永遠のテーマであり、こういう疑問を感じることは普遍的なことで、もっぱら自己撞着して結論が出ない。ちょうど人間が「私が死ぬと世界は消えるのか?」「この赤という色は本当に赤いのか?」などというクオリア的というか、存在哲学的な疑問を抱くことに似ている。
だが、現実は冷たいのだ。バイオロイドが誰かを真に愛することができるとは思えない。これからも愛することはないだろう。そこには希望も失望もない。「ロボットが愛するココロを得ることはない」のは揺るがしがたい事実なのだから仕方がない。
イオとカリストは、そんな当たり前の事実を判っているのだろうか。判っているはずだ。カリストはいざ知らず、聡いイオならば判っているはずなのだ。どのようにしてイオが「その気持ち」に向き合っているのかを問いただしてみたいが、それはあまりにも馬鹿馬鹿しい質問に思える。
だから、ガニメデはイオに対して何も言わなかった。イオが(そしてカリストが)恋愛感情を持ち、互いに想い合っていると言うのならば、それが思い込みや、一瞬の熱狂であったにしても、それで結構だ。そう思っている限り、その通りなのだろうから。それが実在しようがしまいが、現にその気持ちがイオをカリストの元へと向かわせている。ならば、それは実在する。まったく理屈に合っておらず、ガニメデは少しも納得できないのだが、そういうことになる。
ガニメデは僅かに望みを持っている自分に気がついた。もしかしたら、あるいはもしかすると、カリストとイオが何かを標してくれるかもしれない。たとえ僅かでもいい。ハッキリとした答えすら要らない。漠然とでも何か手がかりを探し当ててほしい。そうすれば、こんな他人の面倒事に巻き込まれてアレコレと気を煩わされている自分自身の不条理な境遇にも、多少は納得いくような理由付けができるだろうから。