第23話
どうしてカリストの身にばかりロクでもないことが降りかかるのか、その理由をヴァレンタインから報された今、イオは会社に対して初めて明瞭な不信感と憤りを覚えていた。詳しい状況は判らないが、ヴァレンタインの言っていたことが真実だとすると、やはりまたカリストは「エサ」にされたのだろうか。
「会社は……!」
怒りに燃えた瞳をディオネに向けるイオだったが、ディオネは指で「しー」のゼスチュアをして遮る。
「待って……それ以上は上司として言わせない。あんたがどこまで知っているかは判らないけど、それでもあんたは会社に楯突くことはできないわ。それは私たち同胞を裏切ることになるもの……それはバイオロイドにとって絶対に赦されないことよ?」
「そ、そんなの判ってるわよっ! でも、こんな理不尽なことが……!」
判っているからこそ口惜しいのだ。いま会社に異議を唱えたところで、カリストを取り巻く状況が好転するとは思えないし、互いを引き離すことになるのは必至だ。それ以上に、やはり会社と同胞たちを裏切れる気がしない。
イオは自分の不甲斐なさに歯噛みして、握りしめた拳をデスクに叩き付けようと振り上げたところで、誰かが室長室のドアをノックした。振り返って見れば戸口に知らない美少年が腕組みして立っている。少年は皮肉っぽい微笑と共に自らの到来を告げた。
「お取り込み中のようだけど、ドアが開いていたから勝手に入らせてもらったよ」
「誰?」
イオが訝しげに問うと、ディオネがフフンと鼻を鳴らす。
「ああ? もしかしてガニメデ?」
「その通り。ええと……イオ?」
「私はディオネ。イオはこっち……あんた、判ってて訊いてるんでしょ?」
ディオネは少し面白そうにガニメデを一瞥する。ガニメデはその視線に気付いていないようなフリをして、イオをマジマジと見る。
「君がイオね……あのカリストの?」
「“あの”って何よ“あの”って!? っていうか、あんた、カリストを……!」
ヴァレンタインが言っていたことが本当ならば、このガニメデも会社の思惑に一枚噛んでいるはずなのだ。敵愾心を露わにするイオだったが、意外にもガニメデは少し慌てたような表情を見せ、言う。
「待って。そんなことは後回しだよ。それに僕は君が思っているほど事情通でもない。僕だって同胞を謀るようなことはしたくないし……そんなことより、カリストを助けたいなら一緒に来てほしいんだけど」
「どこの誰が得体の知れないあんたに黙って着いて行くと思ってるのよっ!?」
なおさら激昂するイオであったが、ガニメデも心苦しいような苦笑いを続けるばかり。
「あ、いや……気持ちは判らなくもないけど、カリストを……」
「カリストの正確な状況と居場所を知ってるなら、黙って教えなさいよっ!」
イオは今にもガニメデに飛びかからんばかりの剣幕で、まったく取り付く島もない。ガニメデもガニメデで、自分の真意がイオに伝わらないことに嫌気が差してきたのか、苛立たしげに表情を曇らせた。さすがに見かねたディオネがムネを揺らして立ち上がり、イオとガニメデの間に割って入る。
「(“黙って教えろ”ってのも何だか変よね)……イオ、たぶん、このコは何も企んでなんかいないと思うわ。どうせ私たちだけじゃ状況も見えないし手詰まりになるのは目に見えてる。時間も無いし、ここはカリストのためを考えて、ガニメデの言うことに従ってみたら?」
「んん……」
ディオネから冷静に諭され、少しはアタマの冷えるイオ。時間、確かに時間が惜しい。こんな押し問答をしている間にもカリストは大変な目に遭っているかもしれないのだ。
「……わ、判ったわ……そうする」
イオはバツが悪そうにガニメデに向き直り、伏し目がちに謝る。
「ちょっと気が立っていて……ごめんなさい。あんたの言うとおり、一緒に行くわ……行かせてほしい」
「うん。判った。もう手配は済んでるんだ」
急にしおらしくなったイオにガニメデも居心地が悪いのか、取って付けたような笑顔を浮かべて頷き、それからディオネに向き直り軽くアタマを下げる。
「信用してくれてありがとう」
「もちろん、立場上は信用はしてない。私の管轄で部外の誰かが勝手に動き回ってたり、こっちに累が及んだりすることは気分のイイもんじゃないわ……でも、個人的には信じてるけどね」
「それで充分だよ……じゃ、行こう」
ディオネとガニメデは互いに皮肉っぽい笑顔を交わし、それからガニメデはイオと連れ立って室長室から出て行った。後に残されたディオネは、ふうと溜め息を吐いて自分の安楽椅子に戻る。
「さて……これで少しは“片付け屋”の正体が掴めるかしら?」
アストラル技研のすべての設備と工廠はベルリンの地下深くに秘匿されている。地上にあるのは人間社員が務めている形式的な社屋だけで、その外観は世界有数の企業のそれにしては非常に質素なものだ。地下設備の大半は無人化されており、人間の社員は滅多なことでは出入りできない。また、地下という閉塞された空間にあること、そして非常に重要な機密が多いことから、そのセキュリティチェックは嫌気が差すほど厳重で、執拗なものだった。
そんな厳重なチェックを何度も受けながら、ガニメデとイオは大急ぎで地上を目指す。行き先は社有車を置いてある表層に近い地下駐車場だ。
「クルマで行くの?」
「そう。カリストは手酷いダメージを受けている可能性があるから緊急車両を使うよ。もう準備はできているから、すぐに出られる」
手短に説明しながら最後のチェックを通り抜け、ふたりが広い屋内駐車場に出ると、そこには何人かの整備アンドロイドと共に1台の救急車が停まっているのだった。
「あんたの言う緊急車両って……まさかこの救急車?」
「そう。これなら信号無視できるし」
『しっかしバイオロイドってのはヒトクセもフタクセもあるのが多いわよね』
「イオだって、ちょと変わってるトコあるよ~♪」
『ぜんっぜん無いわよっ!』
「そっかなぁ?」
『んー……まぁ、ちょっとクチうるさくて文句ばっかり言ってるかもしれないけど……で、でも、それはあんたのためを思ってのことでっ!?』
「ツンデレちゃんだからねぇ♪」