第6話
『えへへ~♪ イ~オ~♪ イ~オ~♪ だあい好き~♪ ずっとずっとイオといっしょ~♪』
ふたりはブランデンブルク門の下で両手を繋いでグルグル回る。見つめ合う瞳と瞳、溢れる笑顔。こんなにもシアワセな気持ちは初めてだった。世界はふたりを中心に回っている。
(あれ? 会社で閉鎖環境試験を受けてたんじゃなかったっけ?)
イオは一瞬だけ訝しく感じたが、カリストの嬉しそうな笑顔を前にすると、もはや一切の疑念は消し飛んでしまった。半ば自分の意志とは関係なくカラダが動き、言葉を発する。
『カリスト♪ もうずっと離さない♪ 私たち、これからもずっと一緒よっ♪』
やがてふたりの足は止まり、互いに向き合ったまま歩み寄る。カリストはイオに抱き付き、イオもそれを受け止めた。ふたりはギウギウ抱きあう。ギウギウ、ギウギウ抱きしめあう。
カリストの夢のような甘いニオイがイオの意識を占有した。
(あぁ♪ やっぱり私、このコのことが好きなんだー!)
ポカポカと暖かく眩しい日差しに、イオは目を醒ました。ベッドの上で夢から醒めた。
「う……」
上体を起こし、目を擦りながら周囲を見回し、ここが自室であることを確認する。恥ずかしい詞を書いていて夜更かししたため、いつの間にか眠り込んでしまっていたものらしい。
「……なんか夢を見てた気がするんだけど……?」
それはすでに意識の紗の向こう側に遠ざかってしまっていた。何かココロ躍るような内容だった気はするが、ハッキリと自覚できるのはカリストに関する事柄だったということだけだ。
それでもイオは、どこかしら幸せな気分だった。
「ふふふ……ふふ……カリストの夢見ちゃった……」
抱きしめていた枕を脇にどけて起き上がるイオ。時計を見ると午前10時少し過ぎたところだった……そろそろカリストが起きる時間だ。
「……あのコも私と同じ夢、見てるのかなあ……」
そしてふと我に返り、両手を顔の前でパタパタと振る。顔が燃え上がるように熱い。
「なっ!? なに言ってるのよっ!? 今のナシっ! 今のは違うわよっ!?」
『なあに~? なにが違うのかなっ?』
独りで恥ずかしがっているイオの意識にカリストの声が響き渡る。もうこれはいよいよ恋の病も膏肓に入り、アタマが変になってきたのかと慌てるイオだったが、何のことはない、MTにカリストから通信が入っているだけだった。
『イ~オ~♪ オハヨ~♪』
「なっ!? お、驚かさないでよっ! バカっ!」
そして冷静になって怖ず怖ずと問い質す。
「あ、あんた……いつから通信を繋いでたのっ……?」
『さっきからだよ~♪』
「さっきって! だから具体的にどこから聞いてたのよっ!?」
顔を真っ赤にして捲し立てるイオであったが、するとカリストは、カリストにしては珍しく意味深な笑顔で応えるのだった。
『むふ~♪ ヒミツ~♪ えへへ~♪』
「おい、お前さん。今日は普段にも増して浮かれているんじゃあないか?」
カウンタの中で調子外れな鼻歌を歌いながらグラスを磨いているカリストを窘めるオーナー。家事全般を如才なくやってのけるカリストではあるが、さすがに手元がアヤシイ。現に先程から何度もグラスを落としては空中でキャッチするという軽業(?)を披露し続けているのだ。
「そうでなくても客が入らないんだ、グラス1個とはいえ、余計な損失は出したくないぞ?」
「だいじょぶ~♪ んふふん♪ ふふ~ん♪」
カリストは例によって根拠不明な自信を以て作業を続ける。
と、オーナーが先ほど店に届いた封書を目にして小さく声を立てた。
「お。お前さんの会社からだ。迷惑料を返せとかじゃないだろうなあ……?」
「会社ってば、おカネ持ちだから、だいじょぶだよ~♪」
オーナーはゾンザイに封筒を破り、中身を取り出す……出てきたのは何かの招待状のような三つ折りの上質な厚紙で、表面には銀色の塗料で百合の意匠の箔押しまでされている上に、蝋で封印までされてあった。その封蝋の表面にも百合の紋章の打刻が施されている。
「なんだこりゃ? 機密の外交文書か? 結婚式の招待状か?」
「なんだろねぇ?」
カリストも注視する中、オーナーは不慣れな手つきで封蝋を破り、そのたいそう立派な手紙(?)を開いた。
「……なんだこりゃ?」
再び頓狂な声を上げるオーナー。それも仕方がない。その手紙というかメッセージカードの本文は、直筆による達筆なラテン語で書かれてあったのだ。
「コイツは何だ? イタリア語か?」
「……ラテン語みたいだねぇ♪」
横合いから覗いていたカリストが目敏く見取った。
「お前さん、読めるのか?」
「んう……ちょとだけなら……」
オーナーは四の五の言わずにカリストに手紙を明け渡した。カリストはウンウン言いながら少しずつ本文を解読していく。
「えと……親愛なるオーナー様、先日は当社製品……これってば、わたしのコトかなっ……に端を発するトラブルに際し、貴兄の真摯な対応を感激します……えと、違うよねぇ……感謝します。違法に変化……違法に改造され譲渡されたとは言え、貴兄が店舗で使役していた……使役じゃなんか変だよねぇ……店舗で運用していたアンドロイドFG351/17、通称『メアリ』の損失に関しましては、当社により調査を行った上で他社製品ではありますが完全修復を施し、近日中に返還できることをお約束いたします……ふわあ~♪ メアリ還ってくるよっ!?」
「おいおい……大丈夫なのか?」
あんな事件を起こしたメアリをオーナーが訝しく思うのも仕方のないことだが、カリストは意に介さずに嬉しそうに告げる。
「うん♪ それの説明がずっと書いてあるけど……メモリの一部をロールバックして改造されたとこは全部消してあるんだって~♪ 会社の技術スゴイから、絶対だいじょぶだよっ!」
「そうか。なら問題ないな。ははは、労せずして最新型のアンドロイドを貰えるとはなあ」
カリストは声に出さずにメアリの修理や返還に関する本文を読み進めていたが、その最後にオーナーではなくカリスト宛に一文が書き加えられていた。書き加えられていたというのは、その一文だけ明らかに字体やインクの種類が違っていたためである。
「……カリストさまの健やかな日々を陰ながら祈念いたします……コレってば何だろ~?」
空いたスペースに後から書き足したのは明白だった。名乗りも一切の説明もなく、余りにも唐突な短信であった。ただ、得も言われない穏やかな情動がカリストのムネの中に拡がっていく。
「うん♪ えへへ♪」
そしてカリストはオーナーを顧みて言う。
「ねぇねぇ、まいすた♪ このお手紙、もらっちゃってイイかなっ?」
「ん? ああ、そんなもが欲しいなら好きにするといい」
「えへへ~♪ まいすた、だあい好き~♪」
カリストはテレテレと嬉しそうに笑うと、メッセージカードを封筒の中に戻し、それから愛おしげに何度も自分のムネに押し付けるのだった。
過去篇は以上で終了となります。