第20話
食事を終えレストランを出たふたりは、パリ広場の一角のベンチに並んで座る。もうすっかり西日も落ちきりブランデンブルク門は美しくライトアップされていたが、いまだパリ広場は観光客やベルリン市民が多く往来していた。こうして考えてみると、進歩することをやめ頽廃して久しいと言われる人類であるが、のんきで気楽な生活なように思える。何も眉間にシワを寄せてスネを蹴り合うような激しい競争社会だけが人類を動かしていたわけではない。
そんな現代社会の権化とも呼べるカリストは上機嫌でテレテレ笑っている。
「とってもとってもオイシかったよっ♪ イ~オ♪ ゴチソーサマでしたっ♪」
「う、うん! また連れて行ってあげる」
と、そこまで言ってから、イオは少し勇気を出して続ける。
「ねえ、カリスト……時間があったら、その、また、い、一緒に……あ、遊びに行こうね?」
「うんうんっ♪」
コクコクと頷き、満面の笑顔で応えるカリスト。更にイオは現状で出し切れる上限一杯の勇気を振り絞る。カリストへの想いは揺るぎはしないが、すべてを賭けて打って出ることができるほどには、イオの人生経験は足りていないので、これは仕方がない。
「カ、カリスト、あのその、てててて手……っ!?」
何とかそう言いきって、上向きにした左手をぶっきらぼうにカリストに差し出す。カリストは一瞬だけ驚いたような顔をしていたが、素晴らしい反射速度で躊躇うことなく右手を重ね、握った。自分から手を差し出しておきながら思わずカラダを強張らせるイオであったが、どうにか気を落ち着かせて握り返した。
「カ、カリストっ!? あの、そ、そのっ!?」
「う、うん。イオ……♪」
「ねえ、えっと、ねえ、カリストっ!?」
「うん、えへへ、イオ……♪」
とても間の抜けた遣り取りだった。イオは言うに及ばず、カリストも言葉を継げずにいる。そのままふたりは黙り込み、ただ遠慮がちに互いの瞳をチラチラと覗き込んでは外すを繰り返す。
(あんたが先に言いなさいよっ!)
(イオから先に言ってイイよっ?)
無言で相手側から切り出すのを互いに待っていた。何と言えばいいのか、何と言われたいのか……まったく同じ意味の言葉を用意し、同じ意味の言葉を期待しているのに、ただ3歩進んで3歩下がるような時間だけが過ぎていく。それは数日前の気まずい行き違いとは正反対の、もどかしくも心地良い空白時間だった。
そんな躊躇いの気持ちに先に打ち勝ったのは……カリスト。
カリストはイオの手を握ったまま、ゆっくりと立ち上がる。イオが少し驚いてカリストを仰ぎ見れば、カリストは可哀想なくらい顔を真っ赤にして微笑んでいた。少し瞳が潤んでいる。
「ねぇ、イ~オ♪ えとねぇ……」
「う、うん」
思わずイオも立ち上がった。傍目には年頃の制服美少女が恥じらいながら見つめ合ったり微笑み合ったりしていたため、元よりある種の奇妙な光景として捉えられていたのだが、それによって明確に周囲からの視線が集まった。だが、そんなことはイオもカリストもまったく気にならなかった。すでに世界はふたりの意識の外にある。
カリストがイオの瞳を覗き込み、イオが小さく頷いた。そんなやりとりが何となく合図になって、どちらからともなく手を離し、互いの腰に緩く両腕を回す……それは今までに何度かした抱擁とは明らかに趣が異なるものだった。
フトモモからお腹の辺りまでがピッタリと密着する。互いの体温と鼓動が伝わってくる。ふたりは互いの瞳を見つめたまま、ベルリンの街の中心、ブランデンブルク門の真下で、無言のまま気持ちを交わし始める。
(……なんて言ってイイのか判んないよ……不思議な気持ちだよっ……?)
カリストは夢見るような想いでイオの瞳を見つめた。
大好きだという気持ちには変わりはない。今までだって何回も大好きだと言っては抱き付いたりしていた。だが、いま感じている気持ちは、そんな表面的な行動や態度で示せるようなものではなく、だからといって言葉で説明できるような気もしない。
それは方向性は真逆ではあったけれども、リリケラに迫られた時に感じた衝動に近いものだったが、やはり幼稚なカリストには何なのかは判らない。
(ドキドキが止まんないよっ……この気持ち、イオに伝えたいけど……どやったらイイんだろ……!?)
(……カリスト……すごいドキドキして……震えてる……)
夢見るようなカリストの瞳を見つめながら、互いの気持ちが一点に収束しつつあるのをイオは感じていた。今なら大丈夫だという確信がある。きっとカリストも望んでいるはずだ。それでもイオは余りにカリストが愛おしすぎて、前に踏み出すことを躊躇ってしまう。
重ねたココロとココロ……これ以上ないほどに気持ちが通い合っているのは感じる。でも、ふたりは精神体でも天使でもない物質界の住人だ。カラダとカラダを重ね合わせることを望むことは罪悪だとは言えない……そう考え自分の背中を後押ししても、それでもイオは踏み出せない。何かが変わりそうで怖い?
(良く判らない……私、どうしよう……?)
やがて唐突にカリストは瞳を閉じる。それからふうっと小さく息を吐いて、少しだけ、本当に少しだけ顔を上げ、緩く閉じた桃色のくちびるを微かに突き出し、そのまま静止した。
それが、何なのか、何の意味を持つのか、何を待っているのか、もちろんイオは即座に理解する。幼いカリストが精一杯の覚悟を決めて臨んでいることが痛いほど判った。こうする以外に、気持ちを、想いを伝えることができないという結論に達したであろうことも。
頬を染めながら健気にキスを待つカリストは、イオが今までに見聞きしたあらゆるものの中で最も美しく穢れ知らずで……その幼気な決心にムネが熱くなる。
そこにあったのは、ただ純粋な愛情、互いを愛おしむ想いだけだった。
イオの手が少し上に動きカリストの背中を抱く。腰に回されたカリストの小さな手が、ぎゅっと制服を握りしめるのを感じた。
「カリスト。私ね、カリストが、好き」
明るいイオの声と共に、カリストは自分のおでこに柔らかく暖かな何かが触れるのを感じ、そっと目を開ける。カリストのおでこからくちびるを離したイオは、恥ずかしそうに、少しだけ申し訳なさそうに微笑む。その瞳は涙で濡れている。
そしてカリストは全身がぽおっと熱くなるのを感じた。とても大事なことを聞いたから……キスの申し入れをスカされたとか、そんなことは既に記憶の彼方に吹き飛んだ。
イオが、わたしに、好きって言ってくれた……!
「うん……うん♪」
穏やかな虚脱感と達成感。それ以上、カリストは言葉を継げない。緊張していたヒザがカクンと抜けて、そのままイオに抱き縋り、ただただムネに顔を押し当てて頷くばかり。暖かな涙がポロポロ零れた。
イオは優しくカリストのカラダを揺すり、ブランデンブルク門の見える位置に向け、言う。
「ねえ、カリスト。あと100年経っても200年経っても、ここで一緒にブランデンブルク門を見上げようね」
「うん……うん♪」
カリストはイオのウデの中、何度も何度も頷くのだった。
KallistoDreamProject その2 了
「えへへ♪ イオ♪ だあい好き♪」
「なっ!? ちょっ!? は、離れなさいよっ!? さ、さっきのアレは、ネタよっ! 冗談よっ!?」
「えへへ~♪ イオってば、恥ずかしがり屋さんだもねぇ♪」
「あ、あんただって、なんかモニョモニョしてたじゃないっ!?」
「わたしってば、なあんも恥ずかしくないも~♪」
「……で、でも、これからもずっと……」
「いっしょだよ~♪」
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さて、取り敢えず第2部は今回で終了となります。
ここまでお読み頂き、有り難うございました。
「KallistoDreamProject」は、まだまだ続きます。