第18話
数日が経った。
カリストは朝早くに起きてシャワーに入り、イオから送ってもらった会社の内勤制服(実質的には女子学生用ブレザーだが)を少し手直ししてから身に付け、髪を丁寧に梳いた。それからコロンの類を買っていないことを思い出し、例によってバニラエッセンスを数滴ばかり首筋に擦り込んで良しとした。
『ね、ねえ、カリスト……あ、あの、あ、明日……ベルリンに遊びに来ない? あのその、明日、休みを取るから、その……こっこの前の約束……ふっふたりでベルリンで、ででででデー……』
カリストは身支度を万端整えるとニコニコしながら部屋を出る。
「えへへ~♪ デ~ト~♪ イオとデ~ト~♪」
カリストは震えがくるほどシアワセだった。イオと1日中いっしょにいられるのだ。いっそのことベルリン観光なんかせずに、朝から晩までお部屋デートでもイイとさえ思えるほどに、カリストはハッピーだった。
その頃、イオもカリストと同じように身支度を整え終えていた。カリストの黒のヘアバンドに揃えて前もって用意しておいた黒いリボンでツインテールを結わえる。観光ルートも事前にチェックしたし、会社系列のレストランディナーも予約した。
鏡に向かって何度も笑顔を作る。自分の目から見ても硬い笑顔だ。
「カ、カリスト……す、すすすす……! もっかい! カリスト……すすすすk……!!」
練習は明らかに成果を上げていない。そうこうするうちに次第に羞恥心が沸き上がってくる。
「む、無理っ! 絶対に無理っ! 独りでやってても死ぬほど恥ずかしいっ!」
どうにもカリストを目の前にして「好き」と言える気がしない。あんなに容易に素直に「大好き~♪」と連呼できるカリストの神経を疑ってしまう。だが、ココロのどこかではカリストに改めて言葉で伝えなくても大丈夫な気がしていた。きっとカリストに私の想いは伝わっている。
「……とは言っても……やっぱり……」
自分から告白して、笑顔で「うん♪」と頷くカリストが見たい。判りきっていることであっても可能な限り感じたかった。せっかく相思相愛のヒトがいるんだから、それを願うのは決して悪い事じゃないはず……。
それは格下相手の消化試合を全力で勝ちに行くような、大人げない自己満足を満たすための欲求なんだろうな……と、イオは少しだけ浅ましく、少しだけワガママな自分に苦笑いする。
「一番大切なモノは目には見えない、か……。子供よね、私も」
でも、その「一番大切な存在」が、目の前に見えて、触れることができる。これからだって多少の齟齬や擦れ違いはあるかもしれないけど、私は願う限りカリストと一緒にいられる。カリストが私のことをどう思うようになるか今は判らないけれど、私はずっとカリストを想うことができる。人生において、これ以上の幸福があるだろうか。
そんなことを考えている鏡に映ったイオの表情は、輝くばかりの笑顔なのだった。
昼の11時、ふたりは約束の場所だったブランデンブルク門の下で落ち合う。
「せ、制服、着てきたんだ?」
「えへへ~♪ 似合ってるかなっ?」
「うん、似合ってる。か、かかかカワイイわ……とっても」
願ったように制服姿を披露してくれたカリストに、イオは切ないくらい嬉しさを感じた。
それにしてもカリストは思い切ったもので、恐ろしくスカートの丈を詰めていた。元から幼児体型にしては素晴らしく脚が長いこともあり、少し大きめのブレザーと相俟って、ほとんどスカートがブレザーのスソに隠れてしまっているほどだ。
「……随分と短くしたのね、スカート」
「えへへ~♪ 短いのがカワイイんだも~♪ それにいっつもスパッツ穿いてるから、あんましフトモモのトコでヒラヒラするの好きくないんだよねぇ……えへへ。あとねぇ、おパンツ穿くの初めてだから、ちょとヘンな感じがするよっ♪」
「ふうん……って、ええ!? パパパパンツ穿くの初めてっ!? そ、それって何よっ!? ええ!? もしかして……そ、その、今までスパッツの下に、ななな何も……?」
「そだよっ? ヘンかなっ?」
天真爛漫というか非常識というか、相変わらず独自路線を行くカリストに肝を冷やすイオ。会社支給の特殊素材製のスパッツとはいえ、見た目も手触りもペラッペラの薄布だ。前々からスパッツを穿いたカリストのお尻に何のラインも浮いていないとは思っていたが、そういうことだったとは……。
「も、もうっ! 今度からスパッツの下にパパパパンツ穿きなさいよっ!?」
「んえ~? おパンツ穿くと、おマタとかおシリがヘンな感じするからイヤだよぉ」
そんな少しのやりとりの後、ふたりはベルリン観光という名のデートに繰り出した。お互いに生まれて初めてのデートだ。カリストは例によってそれほど意識はしていないようだったが、イオは歓喜のあまりに飛び跳ねたい気持ちを必至で押し込んでいた。
「そっ! それじゃあ出発するわよ!? 勝手にウロウロして迷子とかになっても知らないからねっ!?」
「えへへ~♪ イ~オ~♪ おテテつなご~?」
何の気なしにカリストはニコニコ笑いながらイオに手を差し出す。
「なっ!? こ、こんな人通りの多いところで、なに言って……!」
どうしても素直になれず反射的に否定しかかったイオの手をカリストはサッと握り、さらにそのウデにしがみ付く。プラチナブロンドの跳ねた毛先がイオの頬を撫で、甘い匂いを振りまいた。
「あ……♪」
「えへへ~♪ いこっ?」
心底から嬉しそうに微笑むカリスト。その愛おしい明るい笑顔に送られるのなら、イオは今ここで死んでもイイとさえ思えてしまう。踏み出した足は雲の上を行くかの如くなのだった。
「もうしばらくエピローグは続くわ」
「もうオハナシ進まなくっていいよ~♪ ずっとイオとデートしてる~♪」
「そ、そういうワケには行かないわよっ!?」
「そっかなぁ?」
「……あ、あんたが、そうしたいって言うなら、そ、その、私も、それでイイけど……」