第16話
イオとカリストは互いを庇うように抱き合いながら、美幼女メイドの様子を窺う。そこへヴァレンタインも駆け寄ってきて、リリケラとカリストらの間に立った。リリケラは芝草の上に伏したまま憎々しげに呟き、地面に爪を立てて震えている。
「……赦せない……この私を辱めるなんて……!」
「なっ!? 何が辱めるよっ! 私の方がよっぽど恥ずかしかったわよっ!」
思わず反射的に切り返したイオだが、このまま終わるとは思えない。今のウチに逃げようかとも思ったが、根本的な解決を図らずに、このリリケラとかいう得体の知れない娘の追跡から逃れられるとは到底思えなかった。
ところがヴァレンタインは横顔でイオを顧みて言う。
「イオ、今のウチにカリストを連れて逃げるんだ」
「で、でも、ヴァレンタインは?」
「大丈夫、リリケラはオレを殺すことはできない……と思う、たぶん」
「たぶんって何よっ!?」
思わず突っ込むイオ。それに、どうにもヴァレンタインを独り残して逃げ出すのが気に食わない。それを聞いたヴァレンタインは苦笑したが、リリケラもくすくすと笑い始める。
「……ヴァレンタイン? 確かに私はあなたを殺すようなことはしないわ。でも、手足の腱を引きちぎって動けなくすることぐらいならできる」
そしてリリケラは腕のチカラだけで自らのカラダを跳ね上げて、その場に立ち上がった。先刻までの悔しそうにしていた様子は今は微塵も無く、再び悪戯っぽい酷薄な笑みを浮かべている。
「ねえ、ヴァレンタイン。それとも今ここで私をいつものように愛してくれない? 私を満足させることは絶対にできないとは思うけど……そうね、あなたが果てるまでカリストたちに逃げる時間を与えるわ。これでどう? 悪い条件ではないと思うけど?」
「つまらない冗談を言うんじゃない……そうでなくてもイオに誤解され……」
「最っ低っ! ヴァレンタイン、あんた本物の変態ロリコンよっ!」
「??」
イオは吐き捨てるように叫び、カリストは首を傾げるばかり。
「……もう頑張ってカッコ付けても名誉挽回できなさそうだな……それでもオレはオレの務めは果たさないと」
イオの蔑みの眼差しを後頭部に感じながら苦笑するヴァレンタイン。いずれにしても何とかしてリリケラを押し止めて、カリストらを逃がす腹積もりであることに変わりはないらしい。
「ほら、早く逃げるんだ、イオ! カリスト!」
ヴァレンタインに庇われるようにして抱き合っていたイオとカリストだったが、ふたりとも聞き分けは悪くない。ここで出しゃばったところで先ほどの二の舞は明らかである。ヴァレンタインが大丈夫だと言っているなら大丈夫なのだろう。
「ほ、ほら、カリスト、逃げるわよっ!?」
「う、うん……」
イオらが逃げ出そうとするのを察し、いよいよリリケラの機嫌が悪い。
「ヴァレンタイン! そんな娘たちに手を貸して何が楽しいのかしら? 私よりもアスタルテやサイベルの方が良いというのね?」
「そうに決まってるだろう。君と違って彼女らは品があるし、何よりムネが大きい」
薄笑いでリリケラを挑発するヴァレンタイン。それを聞いたリリケラは表情ひとつ崩さない。
「愚かしいわヴァレンタイン。私が欲しいのはあなたじゃなくてカリストなの。私は怒りで思考を曇らせるようなことはしない。精一杯の挑発も空振りね」
「……そうかな? 時間は稼げたよ」
その時、対峙する4人の頭上にフワフワと小気味良い音をたてながら1機のティルトロータ式の小型ヘリが飛来し、ホバリングを始めた。排気音の無いリニアエンジンと静音プロペラゆえに接近に誰も気付かなかったのだ。黒塗りの機体には機体番号も認識記号も描かれておらず、見たこともない型式の小型ヘリである。
「あ~♪ ヘリコプタ~♪」
「んぶっ! 風がっ!」
カリストとイオは巻き起こる風に目を細めて上空を見上げているが、リリケラはここに至ってついに明らかな狼狽の色を垣間見せる。
「ヴァレンタイン、あなた、さんざん大きな事を言っておきながら何よ? 結局は……」
「手段は関係ないよ、目的さえ果たせれば。悪かったね、リリケラ」
ヘリのサイドハッチが開き、一瞬だけ誰かが顔を覗かせる。女性なのだろうか、風に煽られて銀色の長い髪が靡くのが見えたような気がしたが、すぐにそれに代わって昇降用のワイアタラップが降ろされた。
「時間切れだ、リリケラ。このまま今日は黙って帰るんだ……良い子だから」
ヴァレンタインの言葉にリリケラは一瞬だけ怒りの色を見せ、それから観念したように表情を崩した。何か憑き物が落ちたかのように妙に穏やかな声で応える。
「……そうした方が良さそうね。少し疲れたわ。もう飽きてきたし今日は帰る」
そして目の前に垂らされた縄ばしごを掴み、足を掛け、それからイオとカリストに向き直る。硬い表情で成り行きを見守っていたふたりに、蠱惑的な笑みを投げかけ告げた。
「今日は有り難う、それなりに愉しめたわ。続きはあなたたちでお好きなようにするといい……イオ、今ならカリストも“その気”になってくれるんじゃないかしら? ……それではごきげんよう」
「なっ!?」
「??」
赤面するイオと相変わらず意味が良く判らずに小首を傾げるカリストへ意味深な微笑みを投げかけて、リリケラは作法正しくスカートのスソを手で抑えながらヘリコプターに連れられて天へと昇っていった。
かくして嵐のように訪れた脅威は、やはり嵐のように唐突に去っていった。ヴァレンタインはヘリが遠くまで去っていくのを見送り、振り返ってイオとカリストを見ると、ふたりは言葉もなく黙って、ただただ互いを強く抱きしめているのだった。
「な、なんとか巧く切り抜けたわっ!?」
「いやまったくオレのお陰だよね」
「出たわね真性ロリコンっ! だいたい、もっと早く止めに入りなさいよっ!」
「いや、なんかタイミングを逸して」
「さては、わ、私が、へへへ変なことされるの見てたんでしょっ!? 変態っ!」
「…………独りでしてるの?」
「なっ!? ばっ! そんなことあqwせdrftgyふじこlp;……!!」