第15話
若干ですが卑猥・性的な表現が含まれます。
ご注意下さい。
乱暴されかかっているカリストを認めるや否や、イオはアタマが真っ白になる。なぜカリストがとか、誰が何のためにとか、相手が何者なのかとか、そんなことさえ気にしなかった。思うよりも早くリミッタが解除され、100mを5秒台で走り抜ける加速力でもってダッシュする。
ヴァレンタインが何か叫んだような気がしたが、何を言っているのかイオには判らない。あらゆる音声や映像に意味はなく、ただカリストだけが今のイオにとって有意の存在だった。カリストを手に掛けようとしている人物が非常に幼い容姿をした美しい娘だということも判ってはいたが、手加減とか説得とかを考慮する余地も余裕も無い。
「そのコから離れなさいよっ!!」
一瞬で詰まった間合いから全身のバネを生かして流れるように横蹴りを放つ。掠っただけでも生身の人間ならアタマが飛ぶだろう。が、もう相手のことを気遣うような猶予もない……カリストを解き放つことこそが唯一至上だった。
人間の常識では理解できない速度で放たれたローファーを履いた足刀が、美幼女の側頭部を捉え……ようとした刹那、美幼女は僅かにイオに向き直った。その冷たい輝きを放つ深紅の瞳が微かに嗤ったように見えた。
「…………!?」
次の瞬間、イオは全身が泥にぬかったように重くなっていくのを感じた。重力が何十倍にもなったように感じられ、1秒を理論値1億5000万単位にスレッディングしていた時間が一気に速度を取り戻す……外れたはずのリミッタが再び掛かったのだ!
そう理解した時には美幼女の姿はイオの視界から消えていた。いや、正しくは視界の中に収まってはいたが、美幼女の動作はイオの意識が追従できる速度を遙かに超えていたのだ。まるで悪い夢の中にいるような気分だった。気が付くと蹴り出した足首を美幼女に掴まれている。
「……あなたがカリストの懸想の人、イオね? ふうん……」
スラリと伸ばされたイオの脚を、爪先から「その根元」まで、舐めるように品定めするように視線を動かしていく。
「会社支給の制服なのにスカートの丈を自分で詰めたのね? こんなにも脚を露わにして愚かしいほど嗜みのない娘。バイオロイドは清楚清廉を佳しとするというのに……可愛らしい下着が丸見えよ?」
そしてイオが何事かを言おうとするよりも早く美幼女は足首を掴んだ腕を大きく振り上げる。イオは激しい突風にでも衝かれたようにカラダを回転させ、地面に叩き付けられた。
「あ、うっ……!?」
凄まじい衝撃に絶句するイオを美幼女が神速で組み敷く。片手を首に掛け、もう一方の手をイオのフトモモの内側に沿わし、カリストにしたようにその耳元にくちびるを寄せる。
「……あのコには少し劣るけど、あなたも綺麗な顔とカラダをしているわね。同性同士で愛し合っているなんて、主の御心に反した愚かな情愛だと思わない? それに……“おイタ”をした“ご褒美”をあげないと」
「あっ……!?」
イオのフトモモの内側に這わした美幼女の手が、その肌を舐めるように制服の短いスカートの下へ潜っていく。イオは全身が痺れたように感じられ自由が利かない。抵抗しようにもチカラは萎え、その意志さえ沸き上がらない。
「愛し合っているとはいえ、もちろんまだカラダを交わしてはいないようね。折角だから私が手ほどきしてあげるわ」
幼稚なカリストとは違い耳年増なイオは、美幼女が何を言っているのか理解できたし、何をしようとしているのか想像が付いた。イオにとってそれは……実行するには考えも及ばない次元の話だったが、ただ、もし許されるならカリストを置いて自分に相応しいと思える存在は他にない。なのに、こんな所で、こんな得体の知れない相手になんて……!
「あ……やめ……あぁ!」
「そんなに厭がらなくても良いのに……あのコのことを想いながら独りで“イケナイこと”していたのはどこの誰かしら? それを私が手伝ってあげると言っているの。ほら、あなたが独りで何をしてるのか、あのコにも詳しく見せてあげましょう?」
「!! ……そっ、そんなコトっ……してないっ……!」
恥ずかしさと悔しさでイオの瞳に涙が滲む。カリストの前で、よりにもよってカリストの前で、そんな姿を晒されるとは悪夢以外の何者でもない。そんなことをカリストに知られるわけにはいかない。だが、イオの手足はただ虚しく地面を掻くだけだった。
「あなたのことなら何でも知っているわ。どんな情景を思い描いてるのかとか、どこをどういう風にするのが一番“イイ”のかとか、ね?」
「!! ……い、イヤっ……イヤぁ!」
イオは目を固く閉じアタマを振る。まるでココロを鷲掴みにされ引き千切られているようだった。
「うふふ……“初夜権”って知ってる? 愛し合うあなたたちのために、私がふたりを祝福してあげる」
その時、ヴァレンタインの声が聞こえてきた。
「リリケラ! いい加減に止めるんだ! それに初夜権は都市伝説だよ」
どこかしら間の抜けたヴァレンタインの呼びかけに、美幼女は興を殺がれたとでも言いたげに大きく溜息をつき、顧みる。
「……ヴァレンタイン、邪魔をしたらこのコを縊り殺すわよ? それとも……このコ、少しあなたに好意を持っているみたいね。何だったら……あなたが悦ばせてあげたら?」
「バカなことを言うんじゃない。いいかい、あの女の言うことなんか素直に聞く必要はないんだよ。適当に調子を合わせていればそれで……」
何とかしてリリケラを説得しようとするヴァレンタインだったが、一方、組み敷かれているイオはリリケラの言葉に激しい憤りを感じる。
(なっ! バカなこと言わないでよっ! なんであんな変態のことを私が好きだっていうのよっ!? 絶っ対に有り得ないっ! 私はカリストが……!)
その時、イオを支えるのはカリストへの想いだけだ。ブランデンブルク門の下、別れを交わした時に握った手の感触、触れ合ったオデコとオデコ、カリストの嬉しそうな笑顔……それだけが今のイオを支え、自分を連れ戻す。
『他のヒトのことなんて知ったことじゃないっ!』
イオはカリストへの想いを全うしたいという望みを思い起こす。
『カリスト! 私は、カリストに会いに来たのよっ!』
イオの両腕にチカラが蘇る。リリケラの意識も少しばかりヴァレンタインに向かっていたということもあり、その隙を衝いてイオは自らの首に掛けられていたリリケラの手を捕り、これを外そうと試みる。
「愚かな悪足掻きを……」
イオが気力を取り戻したことを悟ったリリケラが端正な顔を歪めて笑い、いよいよ手にチカラを加えようとした瞬間。
「ふわあああ~!!」
気の抜けた叫び声と共に、息を吹き返したカリストが腰の引けたタックルをリリケラに放ち、これをイオから引き剥がすことに成功した。さすがのリリケラも、まさかカリストに奇襲されるとは考えてもいなかったらしく、無様に地面に伏す。
「イオ! イオっ!」
「カリストっ!」
カリストは泣き声で叫びながらイオの上体を抱き起こし、イオもそれに応えるように腰を上げようと膝を立てる。だが、何をどうすればこの危機から逃れられるのか、まったく方途が見出せなかった。