第10話
陽の眩しさを感じ、イオは瞬間的に目を覚ました。寝過ごした、と思って飛び起きたが、昨日は徹夜明けのまま日中の勤務もしたため、今日は代休が出ていたことを思い出す。時計を見ると昼近くになっていた。
「これじゃカリストのこと寝坊ばっかりなんて言えないわ」
なぜか少し嬉しそうに苦笑し、それからカリストのことを思い出して起きがけ早々に気持ちが沈んだ。思い切ってカリストに連絡を入れようかとも一瞬だけ考えたが、そこまでの勇気は出ない。そんな自分に再び気分が沈んだ。
こんなにカリストのことを想っているのに、なんで巧くいかなかったんだろう。良く考えたら、あんな苦言を言ったって、もう済んでしまったことなのだから仕方がないのに。
イオは会社からカリストを護りたかったのだ。試験やサポートを打ち切られるということはバイオロイドとしての存在意義を揺るがすことだと思った。それはカリストのサポート業務を担当しているイオにとってはカリストとの別離を意味する。でも、だからといってカリストの気持ちや想い、その人生を抑制することはイオの本分ではない。カリストの人生はカリストのモノだ。そしてカリストはそれを望んでいるのだ。
もっと素直に言うべきだった。
『私はあんたのことがとても心配なの』
届かなくても、気持ちを素直に伝えることができたはずだ。もうしばらくはイオには言えそうにない言葉だが、それはカリストになら言うことができた、伝えるべき言葉だったはずだ。
だが実際はその勇気を出し惜しみ自分に素直になれず、結局はカリストに追従できない自分への苛立ちから八つ当たりのようにカリストを論破しようとしてしまった。何でも話せる友だちはカリストしかいないはずなのに、そのカリストにさえ気持ちを伝えることができなかった。
しばらくベッドに伏していたイオだったが、ふとテーブルの上に置いておいた「星の王子さま」を手に取る。変態さんが貸してくれたものだが、有名なオハナシだし、きっと素晴らしい内容なのだろう。
ページをパラパラと捲ってみると、挿絵が多く字も大きめだ。ヴァレンタインも言っていたが、確かに子供向けなのだろう……絵本とまではいかなくても、ヴォリュームは児童文学くらいでしかない。小一時間もあれば読了できそうだった。
イオは下着姿のまま、ベッドの上に寝転がって「星の王子さま」を読み始めた。
30分ばかりが経ち、本の半ばまで差し掛かった頃、イオはいつのまにか起き上がってテーブルに就いている自分に気付いた。この物語は尋常ではない。これほどまでに「気持ちで感じる」ような物語が存在するとは信じられなかった。なぜ長きに渡って「聖書の次くらいに支持者の多い物語」なのか、少し理解できた気がした。
1時間が過ぎ、やがて物語は淡々と幕を下ろした。少し、いや、とても切ない。でも単に哀しいだけじゃない。イオは自分の中の世界が明らかに色彩を取り戻しつつあるのを感じた。
ああ、そういうことだったんだ! 私がカリストに感じていたことは、こういうことだったんだ!
イオは胸の奥を衝く暖かい衝動に気付く。イオにとって、カリストは星に咲く一輪のバラであり、キツネであり、星の王子さまそのものだった。
ほんの少しだけ距離が離れているだけで、まだ何も終わったワケじゃない。まだ始まってさえいない。僅かな勇気さえも要らない。自分の望むようにすることができる。カリストが言っていたように、自分の望むように生きることができる! 会社とか常識とか世間体とか、そんなものは些末なことだ。何の本質でもない。誰かを愛おしく想う気持ちは何者も遮らない! 一番大切なモノは目には見えない。形が無く目に見えないモノだからこそ、願うままの姿で存在しうる!
イオは涙……それは歓喜の涙……を拭くと敢然と立ち上がり、ひとつ大きく息を吐く。今したいこと、それはカリストに会うことだ。きっとまだ素直に想いを伝えることはできないだろうけど、仲直りしたい。元から誰かに引き裂かれたわけじゃない。私が望めば仲直りなんて簡単にできるし……それをカリストも望んでいる確信がある。カリストは誰よりも私のことが大好きだろうし、私も誰よりもあコのことを……。
「カリスト、今から会いに行くわ……私はカリストに会いたい」
イオはすぐさまシャワーに入り、制服を着る。長い亜麻色の髪をカリストが大好きだというツインテールにキッチリ結わえる。少しお腹が空いている気もしたが、そんなのは後でもイイ。いますぐにポツダムに行きたい。ポツダムに行ってカリストに会いたい。
恐ろしく落ち着いた気分でマンションから出ると、そこに待っていたのはバイクに跨ったヴァレンタインだった。イオを見るなり少し笑顔を見せる。イオも気恥ずかしそうにはにかむ。
「こんな昼間に制服を着て、どこへ?」
「ちょっとポツダムに行こうと思って」
「それは奇遇。オレも今からポツダムに用事があってね」
そしてヴァレンタインは少し真面目な顔になって言う。
「良い勘だ。少し面倒なことになりそうだから、載るなら後ろに載るんだ」
ポツダムで面倒事といえば、これはもうカリストのことに決まっている。どうしてカリストには面倒事ばかりが降りかかるのだろう。
「カリストに何かあったのっ!?」
「正しくは、これから何か起こる……今の時点ではカリストは何ともなってない」
「じゃ、じゃあ連絡を……!」
慌てて部屋に戻ろうとするイオだったが、ヴァレンタインは制止する。
「事前に連絡を入れてもカリストじゃ防ぎようがない。カリストひとりじゃ対抗することなんてムリだよ。それに今から急げば余裕で間に合うだろうし」
「そ、それってどういうことよっ!?」
「そのためにオレがいるんだ」
相変わらず要領を得ないヴァレンタインの言い草に少し腹を立てながらもトライアンフT120の後席に飛び乗るイオ。
「……その短いスカートで大丈夫?」
「なっ!? ば、バカっ! そんなのイイから、早く!」
「大丈夫、まだ猶予は充分にあるよ。ちゃんとスカートをお尻の下に巻き込んだ? そんな乗り方だと、その可愛らしいライムグリーンと白のストライプ柄のパン……」
「なっ!? なに言ってるのよっ!? こ、この変態! いいからさっさと出しなさいよっ! だいたい何で私のマンション知ってるのよっ!? さては昨日、別れてから尾行けたのねっ!? 変態! 女のコの敵っ!」
イオから容赦なく罵られ詰られ背中をポカポカと叩かれながら、ヴァレンタインはバイクを回しポツダムへ向かう。
「本当は“星の王子さま”の訳文を本文中に引用したかったらしいんだけど、残念ながら自重よね」
「でも本当に素晴らしい物語だから未読の人は読んでみるとイイよ。子供でも大人でも」
「変態に本を薦められるなんて……しかもあんな素敵な本を……」
「見直した?」
「見直し……っていうか! あんた私のパパパパパンツ見たでしょっ!? 最低っ! 変態っ! 大っ嫌いっ!」
「……どんどんフラグが……」
「なっ!? ば、バカぁ! 立ってないっ! ぜんっぜん立ってないわよっ!」