第8話
イオは落ち着いた口調、もとい落ち込んだ口調で続ける。
『結論から言うと、その点に関しては大丈夫。警察やマスコミには圧力を掛けて完全に封殺したわ。アップロードされた画像や映像も全て削除させたし、それらの出所も押さえてデータも回収した。ダウンロードされたデータも……こういうことは大っぴらにできないことだけど、逆トレスして可能な限り破壊したわ。会社にはそれだけの権力と技術力があるからね。それだけは大丈夫』
「イオ……その作業を夜中からずっと……?」
『……さっきも言ったでしょ? あ、あんたのために苦労するぶんには私は構わないわ。あんたのためなら、ちょ、ちょっとくらい苦労したり上から怒られても私は平気。ただ……会社組織としては、あんたの軽率な行為は大きな問題になってる』
「そいじゃ、わたしが会社に行って怒られればイイんだよねっ?」
カリストは心底からそう思って言ったのだが、それを聞いたイオは再び激昂してしまった。
『なっ!? なに言ってるのよっ! 怒られれば済むとか、そんな単純な問題じゃないのよっ!? データを回収したり口封じしたりしても、“人間の記憶”だけは操作しようがないのよ? ブラ門や事故現場で何人の人間に姿と行動を見られたと思ってるのっ!?』
憤りでイオの瞳は潤んでさえいた。
『前にも言ったでしょっ!? 私たちバイオロイドは技術利権のカタマリだって!? 今回みたいに身バレするようなことを後先考えないでホイホイやってたら、また狙われることになるのよっ!? 前にあんたを狙った連中だって未だに実体不明だし、いまあんたがホエホエのんきに笑っている間にも連中の魔の手が迫ってるかもしれないのにっ……!』
そしてイオはモニタ越しのカリストに指を突き付け、今までにない高圧的な口調で告げる。
『いい!? 今回の件であんたは会社からの評価を大幅に下げたわ。試験やサポートの打ち切りも視野に入ってるのよ!? 判ってるの? バイオロイドは会社の所有物で好き勝手に生きられない。あんたは自分が自由気ままに生きてると思ってるかもしれないけど、そういうワケにはいかない! それは“必要だから与えられている自由に見える束縛”なの!』
「イオ……そいじゃ、わたしたちってば、なんのために生きてるのっ? 会社に言われたまんまに生きるだけなんて、何かヘンだよっ……!?」
『そんなことは独りで勝手に考えてないさいよっ! だいたい良く考えたら、その“生きる”って言い回しがすでにヘンよね? だって私ら、生き物じゃないんだからっ……!』
カリストはイオの言葉に激しく動揺する。イオの言葉の内容にではない……意識しなくても、そのようなことはカリストも判っていた。カリストを動揺させたのは「イオに言われた」という状況だった。
「イオは……イオは自由に生きたいって、自分の望むように生きたいって思わないのっ?」
『自由に生きる? そんな権利は初めからバイオロイドには与えられていないわ。自分が“自由に生きたい”って思うことだって、そういう風にプログラミングされているだけかもねっ! いい? もう今までみたいな好き勝手は自重してっ!? 私たちは何があっても会社の所有物で、自由なんか与えられてない! 会社の備品、組織の一部なのよ! あんたのバカげた行動の尻拭いする私の身にも……』
そこまで言って、イオは自分の言葉に絶句する。どうしてこんな言い方をしてしまったのか自分が理解できない。いつもなら……自分が怒ってカリストが笑って、それで済むはずなのに。
まるで自分でも知らなかった自分の心の内が透けて見えたような気さえした。カリストに対して抱いていた気持ちや想いは何だったのだろう? 友情や愛情だと思っていた感情もまた、そう感じるように組まれたプログラムだったのだろうか?
イオは沈黙し、カリストもまた沈黙する。こんな気まずい沈黙は初めてだった。ふたりが出会って4ヶ月余、互いに言葉を失い、継ぐための言葉を探し、適当な言葉を思い付けずにいる初めての気まずい沈黙。
最初に口を開いたのはイオだった。
『……とにかく……当分の間は身を慎んで地味に生活して。ベルリンなんかにはしばらく来ない方がいいわ。後のことは私が処理する。だから今日はポツダムへは行けない。伝えたかったことはこれだけ……』
「イオ……」
カリストは両手で顔を押さえながら呟くように言う。もうモニタを直視できない。振り絞るように、いま言えそうな言葉だけを何とか言い切るので精一杯だった。
「イオ……イオ……ゴメンね……ゴメンね……!」
イオからの返事はなく、カリストが気付いた時には通信は途絶していたのだった。
その日、カリストは生まれて初めてバイトを欠勤した。
「……私……なにやってるんだろ……」
憮然とした表情で呟き、僅か24時間前にカリストと楽しく語らったオープンテラスカフェの同じ席で項垂れるイオ。昨日はあんなに鮮やかに暖かく見えたはずの夕日が、今日はモノトーンで薄ら寒く見える……同じ太陽、同じ夕日のはずなのに。
昨日の今頃、こんなことになるなんて想像もできなかった。想像する余地さえなかった。絶対に起こりえないことだと確信していた。こんなことにだけは何があってもならないと……。
自分の気持ちに素直になってカリストを引き留めれば良かった。予約してあったホテルにムリにでも連れ込めば良かった。あと1分だけでも早く送り出せば良かった。もう仕方のないことだと判っていても、その羨望にも似た後悔は並行世界の自分に向けられる。
遠回しにデートの約束を交わし、「明日になれば、またすぐ会えるんだから」、そう告げた。それは僅か1日も経たずに反故になってしまった。
「私が……したんだ……」
世の中にはカリストよりも、もっとずっと素晴らしかったり魅力的だったりする人物だって多くいるに違いない。だが、イオが最も好意を向ける相手はカリストなのだ。絶対にカリストだけは護りたい、そう思っていたし、今もそう思っている。だから、護りたかった。護りたかったのに……。
「私が……あのコを傷付けた……」
イオはテーブルに突っ伏したいという気持ちを懸命に押し込めながら顔を上げ続ける。ここで人目から顔を覆い隠すと、絶対に泣いてしまう自信があった。だから、よりにもよって人通りの多いパリ広場に居座っているのだ。
「暗い顔をして、どうしたんだい?」
不意に男の声。視線を上げると、いつの間にかヴァレンタインがいて、勝手に相席している。
「……変態さん」
「呼び捨てから“さん付け”に昇格か……嬉しいよ」
そう言って、ヴァレンタインは寂しそうに笑った。
「とうとうイオもいなくなってしまった。仕方ないから今回はアスタルテを喚んだよ」
「……(微笑む)……」
「カリストとイオ、初めての危機だなあ」
「……(微笑む)……」
「まったくツンデレさんは世話が焼けるよ……」
「……(微笑む)……」
「……やっぱり少しムリがあったね」
「……(微笑む)……」