第3話
何度も言うようにカリストは生活保護と「施設」からの小遣いで生活する無職者だが、少しだけアルバイトをしている。取り敢えず愛想と見栄えだけは良いので、近所の喫茶店でウェイトレスをしているのだ。
と言っても多くても週に1回、それも数時間労働である。怠け者のカリストではあるが、ちょっとカワイイ制服を着て接客をするのは楽しいらしく、短い時間ではあるが好調に働いている。
このアルバイトは「施設」からの指示なのだが、まったく労働も就学もしていない未成年者は、原則として独り暮らしできない法令が定められているのだ。「施設」は何が何でもカリストに気楽な独り暮らしをさせたいらしく、いわば法の抜け穴を付いた形になる。
喫茶店といっても大手チェーンやウェイトレスの可愛らしさをウリにしているような類のモノではなく、個人経営のちんまりした店である。
カリストが今の生活を始めて数日後、エンケラティスからこの喫茶店へ顔を出すよう指示を受けたのだが、事前に履歴書も用意していなかったのに(そもそもカリストには働く気もなかったのに)即採用されてしまった。
喫茶店のオーナーは50歳は過ぎているだろうが年齢不詳の中年男性で、立ち振る舞いは若々しく、なかなかユーモアのある人物だ。事前に何かしら「施設」と話が付いていたようでもあったが、その辺の事情は何も話してくれないし、逆に、特にあれこれとカリストの素性を訊くような事もしなかった。
カリストは雇い主の事を「まいすた」と呼んでいる。
カリストはもっぱら週1の夕方からの出勤で、閉店まで働く事になっていた。時間にして4時間ばかりである。小学生の小遣いにもならないバイト代だ。
喫茶店は常に閑散としていて、のんきなカリストが気を揉むくらい客の入りは悪く、その少ない客ですら読書などしながらコーヒー1杯で何時間も粘るような連中ばかりだった。カリストは時々コーヒーのお代わりを注いで回ったり、ちょっとした雑談の相手をする程度で退屈と言えば退屈な勤務である。
そんな喫茶店なので基本的にはオーナー独りで充分に手が回るのだが、正直なところオーナーは親の遺産か何かが相当あるらしく、喫茶店経営も暇つぶし程度にやっているため労働意欲が薄く、夕方からはアルバイト任せにして店内で寛いで過ごしている。なのでカリスト以外にも何人か雇っているようだった。
カリストを雇うに当たってオーナーはゴチック調の真面目なメイド服を支給してくれた。これがこの喫茶店のウエイトレスの制服らしい。彼の趣味なのか他に案がなかったのか真意は判らない……が、取り敢えずカリストは可愛らしいメイド服を着ることができるので喜んだ。
「……子供が着て似合うような制服じゃなかったかもしれんなぁ……」
「えへへ……コドモってワケじゃないんだケドなぁ」
だからといって大人というワケでもない。16歳のカリストではあるが、ひどく低身長で童顔、その子供っぽい口調と天真爛漫さのためヘタをすると12歳よりも幼く見られることさえあった。もっとも当人は子供扱いされることには慣れているので、まったく気にしていない様子である。
「まいすた~。このパンの耳、捨てちゃうのかなっ?」
「……売るほど多くあるわけでもなし、それを食べて腹の足しにするほど貧しいわけでもなし、パン粉にするほど料理をするわけでもなし、取っておいても結局は捨ててしまう。お前さんの好きにするがいいさ。あと、カリスト、俺はお前さんの雇い主なんだから、せめて話し方にもう少し敬意を……」
「そいじゃこのパンの耳、もらっちゃうねっ? えへへ~♪」
カリストは自由自在だ。厨房に入り、ボウルにパンの耳を入れると、その上から炭酸水をかけ始めた。
「……おい……お前さん……まさかそれ、食べるツモリじゃないよな?」
「食べるよ~?」
呆れるオーナーを尻目に、カリストはフライヤーに火を入れ、油が適温まで熱せられたのを確認すると、炭酸水漬けになったパンの耳を揚げ始めた。バチバチと物凄い音を立てながら油の中で踊るパンの耳だったが、なかなか香ばしく良い匂いがしはじめる。
「……そうか、ああ、なるほど」
「えへへ~♪ きっとオイシイよ~?」
数分後、カリカリに揚げ上がったパンの耳は、もうパンの耳ではなくて「簡易プレッツェル」になっている。カリストはサッと塩を振って、オーナーに差し出した。
「どぞ~♪」
「どれ、さっそく試食だ」
オーナーはひとつ摘んでクチに放り込む。程よい堅さに揚がっていて、歯触りも風味も悪くない。
「うん、なかなかだ。思ったほど脂っこくないし、お茶請けには最適かもしれん」
「ホント~? うれし~い♪」
両手で頬を押さえて素直に喜ぶカリスト。
「売り物にはならんが腹が膨れるほど食べ応えがあるわけでもなし、サーヴィスとしてコーヒーに添えて出してみたら面白いかもな……いちおうお前さんの手作りだしウケるかもしれん」
「ソーイクフーバンザーイ♪」
「お前さんは頼りないふうでいて、案外と手際が良いんだな……酒も造ってるし……」
こんな具合で、意外にも器用なところがあるカリストは、それなりにではあるが重宝されている。
『……で、今日はバイトの日だったっけ?』
「そだよ~♪ 今日ねぇ、パンの耳でプレッツェル作ったんだよっ♪」
夕食は喫茶店の賄いで済ませて九時過ぎに帰宅したカリストは、カエル柄のマグカップ片手にエンケラティスとのお喋りを楽しむ。
「とってもとってもオイシイって、まいすたが褒めてくれたんだよねぇ♪ エンケラティスにも食べさせてあげたいなぁ」
『……ふうん……あんたって意外と苦手じゃないんだ、そういうの。ふーん……あんたがねえ……あんたのクセにねえ……』
目の前で手際を見せてもらわないと信用できないとでも言いたげなエンケラティスだったが、カリストはそういうことには気が付かない性格なので、とても気分よさげである。
「エンケラティス、お店に来たらケーキでも何でも食べさせたげる~♪」
『う~ん、まあ、考えとくけど……あんたと逢うには上から許可とか貰わないといけないし、そういう理由じゃ少し難しいと思う……。それにしても、あんた、底抜けに怠け者だと思ってたけど、なかなか楽しそうに働いてるじゃない? なんだったら出勤日数増やしてもらったら?』
「……今よりたくさん働いたら、カローシしちゃうよ~?」
『やっぱり根っからの怠け者だわ、あんた』
スピーカの向こうで「ふふふ」と笑うエンケラティス。カリストも「あはは~」と笑う。
今に至るまでの数ヶ月、厳密には3ヶ月と11日の間、必ず毎日、朝に夕に、何があっても(何も無いのだが)通信し合っているふたりは、もはや親友と言っても差し支えないくらい親密な間柄になっていた。逢った事もなく、どこにいるのかさえ知らなかったが、少なくともカリストにとってエンケラティスは世界でたったひとりの親友だった。
「……エンケラティスに逢いたいなぁ」
『そういうのは、私の一存じゃ決めれないって何度も言ってるでしょ?』
「わたしねぇ……エンケラティスのこと、とってもとっても大好きになっちゃったんだよねぇ♪」
『なっ! なななに言ってるのよ……そ、そんなこと急に言われたって……か、返す言葉も出ないわよっ! じゃあねっ! オヤスミ!』
「えへへ……オヤスミなさ~い♪」