第5話
やや間の抜けた遣り取りのせいか、さすがのイオも気が抜けてしまった。どこかカリストにも通じる、トボケたようなところのあるヴァレンタインへの警戒を少しだけ緩める。
「……なんだかマトモに相手するのがバカみたいに思えてきたかも……」
「そうそう、女のコはニコニコしてるのが一番だよ」
そう言って妙に爽やかな笑顔を見せるヴァレンタインに、溜息をつくイオ。
「で、何なのよ? またカリストに用があったの?」
「まあね……と言っても、ちょっと様子を見たかっただけなんだ」
「あんた、会社の関係者? 何者なの?」
「さあね……敵ってワケじゃないよ?」
「っていうか、名前ぐらい教えなさいよっ!?」
「訊かれなかったから答えなかっただけだよ……ヴァレンタインだ」
「ヴァレンタインねぇ……やっぱり変態くさい名前っ!」
どうにもヴァレンタインの真意が汲めず、歯痒さを感じるイオ。確かにヴァレンタインは明確な敵意を見せているわけでもないし、カリストを襲う気になれば、イオの知らないところで襲撃すれば良い話だ。わざわざイオに存在や姿を晒す必要もない。
「あんた、変態っぽいけど、そんなに悪い人じゃないのかもね?」
「悪い人じゃないし、変態でもないよ」
「変態よ」
「……好きにすればいいさ」
ヴァレンタインは不貞腐れたように長い両腕を前方に開いて肩を竦め、少し笑う。
「これでも割とモテてるんだよ?」
「……あんたが何者かは判らないし、どうせ訊いても答えてくれないだろうから、それは考えないことにするわ。もしあんたがカリストをどうこうするつもりなら私はあんたと戦うし、もし……もし、あんたがカリストの敵じゃないのなら……」
イオは少しだけ視線を落とし、続ける。
「カリストの味方なら、あのコのチカラに……なってあげてほしい……」
こんなことを他人に頼むとは、イオ自身も驚きだった。しかし現状、カリストを護ることのできる任に就いている会社所属のバイオロイドはイオだけなのだ。味方は多いに越したことがない。
イオの懇願を真面目な顔で聞いていたヴァレンタインは、小さく頷く。
「ああ、たぶん……そうなると思う。少なくともオレはそのつもりだよ」
「あ、ありがとう! ヴァレンタイン!」
ヴァレンタインの応えに強い安心感を覚えるイオ。得体の知れない男ではあるが、それが逆に妙な心強さを感じさせるものらしい。その軽く脱力したようなキャラクタも、こういう時には泰然とした揺るぎなさに思えてくるから不思議なものである。
そんな風に思っていたイオに、ヴァレンタインは表情を崩して告げる。
「君ってさ、普段はツンツンしてる風だけど、時々、凄く素直だよね?」
「なっ!? なによっ! こ、この変態っ!」
その頃、カリストはベルリン郊外へ向けて軽快にバイクを走らせていた。登録上は小型バイクなので高速道路を使えず一般道を走っているのだが、それでも小一時間の道のりだ。イオとの別れ際には物悲しくなったカリストではあったが、こうやって風を切って走っていると、もう気分も晴れ晴れ愉快だった。
「あはは~♪ あはは~♪」
顔に吹き付ける夕刻の風に向かって大声で笑いながら疾走するカリスト。本人は至って楽しいのだが、傍目には間違いなくアタマのネジが数本は吹き飛んでいる娘に映ることだろう。
「……あはは~ ……はぁ♪」
調子よく飛ばしていたカリストだったが、久しぶりに信号に引っかかり一息付くことになった。ちょうどツェーレンドルフ地区に差し掛かったあたりの交差点である。
「……油温がちょと高いかなぁ? もすこしおっきなラジエータに……」
リニアエンジンの油温メータを眺めながら独り呟いていたカリストだったが、何だか妙な胸騒ぎがして、何の気なしに顔を上げ……息を呑む。中年男性が横断歩道を渡っていたのには元から勘付いていたが、その男性目がけて信じられないような速度で高級乗用車が左折進入してくるのだ。
「ふわあ!?」
瞬間的に“当たる”と感じるカリスト。激しいスキール音、ワアッという悲鳴、そして1.8トンの金属塊が人間に命中する嫌な音……。
直撃は免れたらしい。轢かれたと言うよりも引っ掛けられたという表現が適切だろう。とは言え、速度を出していたクルマに撥ねられて平気な人間はいない。撥ねられた中年男性は路肩に倒れていた。一方、撥ねたクルマは一瞬だけ停まりかけたが、タイヤを鳴らして一目散に逃走を始める……カリストは瞬間、このバイクなら絶対に追跡できるという気になったが、迷うことなくバイクを放り出すと倒れている男性に向けて駆け出した。
「ねぇねぇ! 救急車呼んで~!?」
歩道で事故の顛末をポカンとしながら見ていたOL風の女性に指示しながら、カリストは倒れている男性に駆け寄る。どこかに開放性骨折があるのか、すでに夥しい血溜まりができていた。
「に、逃げたぞ!? 警察を先に呼べ!」
誰かがヒステリックに怒鳴っている声が聞こえたが、カリストは男性の出血箇所を確認しながら顔も向けずに、冷静に叫ぶ。
「救急車のが先だよっ! 逃げたクルマはメルセデスAMGの68年型S75のブルーマイカのロングセダンだよっ!? ナンバー見てないけど、特装のすっごい高級車だも、ベルリン近郊だったら数台しか走ってないから、逃げたって簡単に見つかるよっ!?」
つまり、よっぽど裏のあるようなクルマや所有者でもない限り、慌てて追跡せずとも逃走車の割り出しは容易ということだ。カリストの冷静な分析眼に感心する野次馬たちだったが、当のカリストは男性を介抱しながら再び叫ぶ。
「そなことより、早く救急車呼んでよぉ!」
「どうしてカリストじゃなくって変態が後書きにも来るのよ?」
「しばらくカリストは忙しいんだ。それにオレは変態じゃないよ」
「その喋り方が変態っぽいのよっ!」
「気付いたんだけど、最近、オレと君の間で、そこはかとなくフラグが……」
「なっ!? バカなこと言わないでよっ! 変態! 氏ね! 変態! だいっ嫌い!」
「……そういうこと言うから」
「もうカリストと私でフラグ立ちまくってるのっ! あとはエンディングまで一直線なんだからっ!!」