第2話
カリスト・グロスベイア。女性。
ドイツ連邦国民番号XX0047CZEG2S。
中央州A区画(旧ベルリン市)籍。
中央州G区画(旧ポツダム市)在住。
独身/家族なし。
16歳。
無職(Fランク社会保障)。
無修学。
不定期就労・不定期収入有り。
大雑把に記すと我らがヒロインの国民IDに記載されている肩書きはこんなところである。本来はもっと詳細に記載されているのだが、本筋にはあまり関わりないので省く。
昼頃に起きたカリストは、今日ようやく国民IDの更新をしてきた。
本当は先月中に済ませる予定だったのだが、生来モノグサな性格のため延ばし延ばしにしていたのだ。これでカリストは来年の誕生日まではドイツ連邦政府に身柄を保障された立派な失業者でいられる。
もっとも、前述したようにカリストには不定期ながらも一定額の収入があったので、失業者として給付される手当は最低限の金額だった。また、その収入というのも実のところは某所から小遣い程度の金額を貰ったり、小銭程度の収入になるアルバイトをしているだけなので、あまり生活に余裕はない。
であるが、のんきなカリストは快適愉快に生活している。
カリストは16歳だが学生ではない。アルバイトはしているが、これといった定職にも就いていない。両親は産まれたときからいないらしいが良く判らないのだ。少なくともカリストは両親の存在を意識したことはない。カリストの自我が確立する頃には既に某「施設」に暮らしていた。そして数ヶ月前に「外界」に放り出され、今の生活が始まった。
前述したようにカリストは至極のんき者で自堕落、束縛されたり強制されたりするのを嫌う傾向にあったため、今の気ままな生活には満足しているし毎日が楽しいようだ。
その日は午後から近所の空き地で模型飛行機を飛ばして遊び、草むらで虫を探して過ごした。昨日は河原で朝から晩までカエルを観察し、一昨日は草むらで虫を探した。その前は近所の空き地で手製のブーメランを飛ばし、その前は草むらで虫を探したあと、森でドングリ拾いに精を出した。
ずっとこんな感じである。他人から見れば実に下らない益体のない生活だったかもしれないが、カリストはノンビリと(自堕落ながらも)楽しげに生きている。今の生が永遠に続くかのように、まるで「生き遅れ」ているのだった。
そんな独りで自由気ままに生きているカリストを間接的に世話してくれる人物がいる。先刻、寝ているカリストを起こした通信相手の少女、名前はエンケラティスという。
カリストと同い年でドイツ人だということしか明らかではない。カリストと同じ施設の育ちだとは言っているが、カリストが施設にいた頃には逢ったことはないし、名前すら耳にしたことがなかった。毎日のように入れてくれる通信も音声のみなので、いまだに顔も判らないのだ。
そんなエンケラティスが何を言ってくるのかと思えば、ほとんど大した内容ではなかった。どんな音楽は好きかとか、美味しいお菓子が新発売になったとか、今日は何をして遊んで過ごしたのかとか、つまり単なる世間話に終始した。先刻の通信もカリストが放っておいた国民IDの更新を促すだけで、後は封切りになった新作映画の話題をするばかり。
言うなれば、電話友達の間柄である。
カリストが今の生活を始めた当日からエンケラティスの通信は開始されたが、すぐにカリストはエンケラティスに好意を抱くようになった。ざっくばらんでハキハキしているエンケラティスはノンビリ屋のカリストとは相性が良く、同い年ということもあってか、イロイロと話しやすいのだ。
『あんた、ちゃんとID更新してきた? 期限過ぎたらメンドーなことになるんだからね?』
「あはは~、ちゃあんとしてきたよっ♪」
『あはは~、じゃないわよっ! 今度からはキチンと自分で管理しなさいよねっ? 私だって忙しいんだから。だいたい、あんたなんて毎日毎日ほとんどやることもないのに、よくもまあ……』
「なんで忙しいのかなっ?」
『何でって……イロイロやることあるのっ! 報告書作ったりとか、人員割考えたりとかっ!』
「ふう~ん……」
謎に満ちあふれたエンケラティスではあったが、それほど激しく身元を隠蔽しようとはしていないようだった。今までの話を総合すると、エンケラティスはカリストとは違い「施設」に留まっており、その「施設」の中で仕事をしているようだ。そしてどうやら管理職に就いているらしい。
しかしさすがに踏み込んだ質問に対してはクチを割らない。「施設」の所在地、具体的な業務内容、カリストが「外界」に出された理由、そういうことはキッパリと教えてくれない。
そもそも、あの「施設」とは何だったのか? カリストが物心付くころには既に「施設」の住人だった。いつから「施設」のやっかいになっていたのかは知らない。
自分がどこから来たのか、「施設」とは何なのか、重要なことは何ひとつ教えてもらえなかった。外部との接触はもちろんのこと、ほとんど誰にも会わずに過ごしたような気がする。
気がする、というのは変な言い方だが、実のところ、奇妙なことにカリストは「施設」で過ごした間のことを良く覚えていないのだ……ほんの数ヶ月前まで確かに「施設」の住人だったはずなのに……。
ここで普通なら酷く混乱したり怖れたり邪推したりするのだろうが、のんきなカリストは深くは考えない。今が楽しいので問題ないのだ。
『……そういえば』
「なあに~?」
『あんたさ……自分が何なのかとか、考えないわけ?』
「どして~?」
『だって普通もっとしつこく訊くでしょ? “施設”のこととか、私の正体とか、あんた自身の存在意義とか、そういうの気にならないわけ?』
「……気になんないワケじゃないけど……あんましシツコク訊いたら、エンケラティスに嫌われちゃうかもしんないから……」
『そんなんで私はあんたを嫌ったりしないわ。それにしたって、自分がどこで産まれて、どうやって育ったのとか知りたいと思ってるんでしょ? 思春期なのよ? アイデンティティ・クライシスなのよ? 普通ならマトモなことじゃないのよ?』
「あんまし気にならないけどなぁ……えと、わたしってばホントにドイツ人?」
『そう、あんたはドイツ人。ゲルマン系とスラヴ系と、あと少しラテン系』
「へえ~、ちょとラテンの血が入ってるんだぁ♪」
こうして話していると、やはりエンケラティスはカリストに同情的というか親身だ。だから有象無象の疑問や謎を解き明かすことよりも、こうやってエンケラティスと触れ合っていられることの方がカリストにとっては大切に感じられた。
「……エンケラティスってば、とってもとっても優しいねぇ♪」
『なっ!? ほ、褒めてもらったって詳しい事は教えられないわよっ!?』
「“施設”ってば、やっぱしアヤシイ団体とか組織だったりして~?」
『……ま、アヤシイと言えばアヤシイわよね。実際、アヤシイわ、うん。それは否定しない。ま、社会の一部、世の中のシステム、善悪は別にして絶対に必要な存在ってヤツ?』
「それってば、やっぱし悪の組織みたいだよ~。世界を牛耳る裏社会のフィクサ~♪」
結局、何なのかは判らない。平気な顔をしているカリストではあったが、もちろん教えてもらえるなら教えて欲しい。しかしそれを深く追求しないのもカリストの流儀だった。