Другая точка зрения:тридцать третий
私はレールガンの弾丸を跳ね除けようとしているデスピナの助けになるようにと、その腰に腕を回してアタマと肩を押し付け支えの姿勢を取った。これだけでどうにかなるとは思っていないけど、何もしないでいるよりはずっとマシだろうし、あまり気の進む手段じゃないけれども万が一の場合には奥の手も考えている。たぶんデスピナに私の意図は伝わっていると思うけれど、そんなことよりも、こういうカタチで同胞とボディタッチを交わすことになるなんて夢にも思っていなかったから、何の断りもなしに腰に抱き付いたりしてデスピナに嫌われてしまったり失礼な娘だと思われたりしないかどうか、私はそんなことばかり気になっていた。
……誰かが私のことをどう思っているのか、私が誰かからどう思われているかなんて、少し前までの私はほとんど意識したこともなかった。まったく意識していなかったと言えばウソになるけれども、例えば私が誰かから変な娘だって思われていたとしても(普通に考えれば間違いなく変な娘だと思われている自信はある)、それは仕方のないことだし、他人が抱く私に対してのイメージなんて私が変えようもないと半ば確信、半ば諦めていた。それをどうこうしようとすら考えないようにしていた。だって他人のココロの中なんだもの……私は少しだけ特殊かもしれないけれども要は単なるロボットで、他人のココロの中を読み取ったり、ましてや操ったりできるようなエスパーなんかじゃない。他人に対して好き勝手なイメージを抱くこと、これはヒトの性で、義務で、権利。それはヒトを模して造られた私たちも同じ……はず。たぶん。
こんなことを気にするようになったのは、交通事故に遭った怪我人を助けようとしていたあのブロンドの少女を見たときからだと思う。ほんのひとつの場面の彼女を見て、私が彼女に対して一方的に抱いた私にだけ都合のいいイメージ……ほとんど幻想のような、優しく可憐で、痛ましいほど純真な彼女のイメージ。そんな私の勝手な決め付けと思い込みを知ったら彼女は迷惑に思うかな? もし彼女が「私が思うような少女」じゃなかったら、私は残念に思うかな? たぶん世界はこんな一方的な想いが回しているんじゃないかと思う。
私は今まで意識していなかった「何か」を掴みかけた。それはヒトが生きていくうえでものすごく大切なことで、そして、ものすごくたくさんの喜びと悲しみを与えてくれるものなのだと思う。でも残念だけれども、私の意識は飛翔してくるレールガンの弾丸と、それを跳ね除けようとするデスピナに、今は向きあわなければいけなかった。視界の隅に表示されている着弾までのカウントダウンはもう残り僅か……0.003秒くらい。