Другая точка зрения:двадцать первый
アストラル技研のエージェント・マインツの来訪以来、俺は残りの2週間の入院期間を半ばふて腐れたようにして過ごした。その間に幾つか気が付いたことがあるのだが、あのロケットのような乳をした無愛想な看護師はアンドロイドであるらしいとか、そんなどうでもいいようなことばかりだから敢えて詳細な説明はしない。
22世紀の医療技術は偉大だ。一度は木っ端微塵に粉砕された俺の大腿骨だったが、痛みや筋肉の引き攣りを伴うものの1週間で立って歩けるまでに回復した。次の1週間で痛みも違和感もなくなった。あとは左右の脚の筋力のバランスを取るために綿密にプログラムされたリハビリを1週間。全体的な身体機能を元通り(あるいは元以上)にするためのトレーニングを1週間。トータル1ヶ月程度で俺は退院となった。いまだに依頼遂行の指示がないため、これでも相当にノンビリした日程だったらしく、その気になれば2週間で退院することも可能だったと、快気祝いに来たマインツに告げられた。
結局、退院してもなお依頼の遂行を促す指示はなく、俺は再びロシア人ジャーナリストとしてベルリン・ツェーレンドルフの町へ戻ることになった。そういえば、週一でコンタクトを取ってきていた代理人は俺が入院している間どうしていたものか。もうクライアントがアストラル技研だということも判ってしまったし、マインツという正規エージェントも姿を現したから、お役ご免となったか? それならそれで、あのワケの判らない罵声を聞かずに済むから結構なことだが……。
それと、だ。もうひとつ気になっていたことがある。事故に遭った俺を救ってくれた少女のことだ。これに関してはマインツにも訊いてみたのだが、奴は知らんと答えるばかりだった。本当に知らないのか、しらばっくれているのかは判らない。低血圧症で意識が朦朧としていた上に、その後の全身麻酔やら何やらの影響で、少女の容姿に関しては俺の記憶も怪しくなってきており、今ではすべてが俺の譫妄だったのじゃないかという気すらしていた。
ただひとつ確信して言えるのは、あの少女の緊迫してもなお真剣さの中に輝くような柔らかさを持った……何と言えばいいのか……俺は超自然的な物事は信じないタチなのだが、言うなれば柔らかなオーラのような波動だ。俺はあの時、死の天使が迎えに来たものだと思ったりもしたが、一方で、やたらと穏やかな気持ちになったのも事実。死ぬかもしれないと感じつつも、どこか安心感も覚えていた。それは死を前にした諦観などではなく、そういうのとは関係ナシに、あの少女自体が持つ他者を穏やかな気分にさせる何かなのだろう。
俺は事実を確認すべく警察当局に赴いてもみたが、あの事故の存在自体が無かったことにされているようで、もちろん少女のことなど誰も知る由もなかった。あまりしつこく食い下がって身分照会などされても拙いので、もう警察などに頼る気は失せた。記憶を頼りに事故現場にも足を運んでみたが、1ヶ月近い時間が経っているため事故の痕跡など残ってはいなかった。
「……通行人にでも聞き込みをするか……?」
正直まったく乗り気にならないプランを思い付いてしまった俺は、他に何か名案はないかと腕組みして通りの向こうを睨む。そして天啓のように花屋の店舗を見つけた。店前の歩道にまで鉢植えや観葉植物を拡げた半露天の開放的な店構えだ、店内からでも事故現場がよく見えたに違いない。事故のことや、もしかすると少女のことも何か知っているかもしれない。だいたい交通事故などあれば誰しもみな野次馬に飛び出してくるものだ。
「こんちは」
「いらっしゃ……うーん外国語はちょっとわからんなぁ」
店内で寄せ植えの鉢を動かしていたのは俺よりも少しばかり年上の中年男だった。アタマがすっかり禿げ上がった小太りで、年季の入った作業着を着ているし、おそらくは店主だろう。
「お仕事中すいません。私はロシアのジャーナリストでして、ドイツ語は充分に話せます」
「ロシア語か、ロシア語ね」
店主は「だったら最初からドイツ語で話せよ」と言わんばかりに苦笑いで肩を竦める。聞こえよく言えば昔気質だが、要は排他的な古くさい男のようだ。ロシアの田舎町はこんな男ばかりで、この22世紀半ばの世にありながら、いまだにジャガイモや麦を作っているのだ。
それはさておき、俺は単刀直入に切り出す。
「ちょっとお訊きしたいことがあるのですが……お時間はとらせませんよ」
「取材ってヤツか? 差し障りのないことなら答えるが」
店主は俄然張り切りだした。おそらくヒマなのだろう。
「1ヶ月ほど前に、向かいの道路で轢き逃げ事故があったということですが……」
「ああ! あったな! ニュースにもならんかったが……犯人は捕まったのか? 轢かれた男はどうなった?」
轢かれた男ならあんたの目の前にいるが。しかしやはり事故は報道規制されていたようだ。なぜだ? 俺がアストラル技研の仕事を請けていたからか?
「轢かれた男性は無事に退院しましたよ。それで訊きたいことというのは……」
「そうかそうか! いやなに、幾つくらいかな、12歳くらいの小さい娘が、轢かれた男の介抱を血まみれになって一生懸命にしてたんでなぁ、助かって良かった良かった!」
店主は訊いてもいないのに、勝手に少女のことを話し始めてくれたので手間が省けた。俺を救った少女は実在していたのだ。
「その少女はその後はどうしました?」
「いやなに、うちの店の水遣り用の水道を使って手やら顔やらに付いた血を洗わしてやったんだ。その後はいつの間にかバイクに乗って走り去っていったよ。どこに住んでるかだって? そんなもんは知らんな。姿を見たのもあれっきりだ。うちも忙しいんでな、日がな一日、外ばかり見ていられんしな」
店主はそう言って通りの西の方を指さした。どうやら少女はそちら側にバイクで走り去ったものらしい。ここから西に行けばポツダムがある。しかし12歳の少女がバイクに乗って良いはずもなく、そもそも12歳の少女が血まみれになってまでして赤の他人を助けようとするだろうか? 仮に、その気概はあっても実行する勇気を持っているのだろうか? 俺はあの少女を天使だと錯覚していたが、やはり彼女は天使で、死の天使などではなく、神が遣わした「善きサマリア人」だったとでもいうのだろうか?