Другая точка зрения:двенадцатый
夏の盛りも過ぎ、夕方にもなると少し涼しくなってくる。薄暮の中の糸杉とスケッチブックの中の糸杉とを見比べて、私は今日の素描を終えることにした。ティーアガルテンを往来する観光客の足は途絶えることなく、むしろ日中よりも増えているくらいに感じられる。人混みは嫌いだけれど、こんな涼しげな夕方に、騒然としながらも和んだ雰囲気の観光客の中に紛れ込んでいるのは少しだけ気分が良かった。
私はティーアガルテンを横切って「6月17日通り」に出た。要は2号線だ。通りを西に向かって立つと戦勝記念塔、東に向かって立つとブランデンブルク門が見える。ちなみに、下に潜ると会社がある。ただ、極めて緊急の要件がない限りは、勝手に会社に戻ってはいけない決まりになっていたけれど。
そういう特殊な地理条件なので、「6月17日通り」はベルリンで生まれ育ったドイツ人の態をしているバイオロイドにとっては非常に重要かつ思い入れのある道路らしい。ところが私のメンタリティはロシア人なので、あまり特別な思い入れもないし、むしろ、この通りの由来を聞くと少し後ろめたさを感じてしまうくらいだ。20世紀の中頃、当時はまだ実質ソ連領のようなものだった東ドイツだけれども、その頃に発生した大規模な暴動をソ連軍は(例によって例の如く)武力鎮圧した。その際に大勢の犠牲者が出たため、その悲劇を忘れないよう、その暴動……東ベルリン暴動の発生した日を通りの名前にしたそうだ。偶然か必然か、この通りは先の暴動からちょうど100年後に当たる2053年6月17日に再び大規模な暴動の舞台になったそうだけれども、先の暴動よりは人的被害は出なかったと聞いている。
そういう場所なのでベルリン市内でも特に観光客や人通りが多く、至って普通の平日であっても、戦勝記念塔からブランデンブルク門、そしてティーアガルテン周辺は、どことなく常にお祭りムードだ。とにかく右を見ても左を見ても人とクルマばかり。片側4車線の車路は観光客の昇降のために停車するバスで滞留し、けたたましいクラクションが方々で鳴っている。先だっては少しは気分が良いなんて思った私だけれども、結局、酷い人混みと喧噪と人いきれに次第に気分が悪くなってきていた。
これにはいつも参ってしまうのだけれど、私はバイオロイドのくせに、人間のように気持ちと体調とが緊密に関係しているらしい。カラダの調子が悪いと気分が晴れないし、気持ちが落ち込んでると心なしかカラダの具合も悪いように思えてしまう。だいたいがカラダの調子が悪いので、だから私はいつも気分が鬱いでしまっているのだ。他のバイオロイドも同様なのかは判らない。
「……はぁ……」
私は無意識のうちに深く息を吐き少しでも気分を晴らそうとするが、もうダメなようだ。こういったことは初めてではないが、慣れるものでもない。私は歩道の脇に逸れ、半ばしがみつくようにして立木に手を掛けた。周りには大勢の人が行き来してはいたが、誰も私に気を止めてはくれなかったし、こんな私に気を遣ってくれたとしても、正直、困る。
「ねえ? あなた、大丈夫っ!?」
困るというのに、どこの誰かは知らないけれど、わざわざ声をかけてくれた人がいた。私は顔を上げることもできないまま、ただ独り言のように言い返すだけだ。
「私なら大丈夫……構わないで……」
どうせしばらく休んでいれば良くなるだろうし、気分が悪いのに、それが厚意だったとしても誰かの相手をしていられる気がしない。私のことが気がかりなら、放っておいてほしいくらいなのに。
「そんなこと言われたって、そうはいかないわよっ! マトモじゃない顔色してるっ!」
なんてお節介な! 私は僅かに怒りさえ覚えた。どこに好きこのんでこんな得体の知れない娘に気を遣う物好きがいるというのだ。私なら、私のような面白くない娘なんて見てみないフリをするに決まってる。そんな私の気持ちなど知ろうともせず、声の主は不意に私の肩を強く抱いた。その時になってようやく私は顔を上げ、私を介抱しようとしている物好きの顔を顧みた。
それは小柄だけれどもスラッとした、少し気の強そうな少女だった。亜麻色のストレートロングの髪をツーサイドアップに結わえ、厚めに切り揃えた前髪が少し子どもっぽかったけれど、とてもよく似合っている。黒いブレザーと赤いチェックのスカートを身に付け、スポーツでもやっているのか健康的な雰囲気なのが羨ましく思えた。
「本当に大丈夫なの? そんなわけないわよね? ちょっとそこに座るとイイわ……ほら」
お節介焼きな亜麻色髪の少女は私の肩を抱きながら、ちょうど傍らにあった手頃なベンチに誘導し、なかばムリヤリに座らせてくれた。厚意を素直に受け容れようとしない頑なな私の態度に憤慨しているのか少し怒ったような表情だったけれど、年頃の女のコらしい清潔な生真面目さと誠実さが感じられる。きっと恋愛や将来に明るい希望だけを持っていることだろう。一方で、私は気分の優れないまま、こういう場合にはカタチだけでも感謝の言葉を言うべきなのだろうと考えてはいたが、それを彼女に伝えるタイミングが切り出せずにいた。そうこうしているうちに、今度は目の前の車路から突然に声が掛かかる。
「ねえー? 大丈夫? なんか気分悪そうに見えたんだけど、なんだったら病院につれてってあげるよ?」
何かと思って見ると、路側帯に大きなレーサーレプリカバイクに跨がった女性がいた。女性と言っても、私と同じくらいの年格好だし、何より黒いブレザーに(バイクに跨がるという姿勢上、やむを得ないと言えばやむを得ないけど)フトモモも露わにした赤いチェックのミニスカートを身につけているので、どうやら女学生らしい。
正直なところ、例えば私なんかは(性格や立ち振る舞いは別にして)見た目だけなら相当に大人っぽく、スタイルも悪くない自覚がある。なので、なるべく下品に見えないように化粧もナチュラルメイクに徹しているし、年相応に、清楚に見えるように常に気を遣っている。ところが気安く声を掛けてきたバイクの女学生は、派手派手しいメイクに幾つもピアスを開け、ブレザーも着崩していたりして、その表情も雰囲気も明らかな頽廃感があった。要するに(こんな言葉は実際にはクチにすることはないけれど)「ビッチ」という形容詞がしっくりくるような少女。
私が感じた彼女に対するファーストインプレッションは、亜麻色髪の少女も同感だったらしく、訝しげな顔で、それでも失礼のない態度で、私に代わって応じてくれた。
「ありがとう。でももう大丈夫だから」
「ホントに? 遠慮とかしなくてもいいよー?」
バイク少女は自分がどう思われているか何て気にもしてないふうで、悪びれることもなく朗らかに笑顔を見せる。こうして笑っているぶんには、見た目ほど俗悪な娘でもないように思えた。
「気持ちは嬉しいけど……だいたい、バイクで病人を運ぶって、ちょっと豪快すぎるわよっ?」
「あ、やっぱりそう思う? やっぱりムリっぽいよねー」
そしてバイク少女はアハハーと脳天気に笑って見せた。思わず釣られてしまったのか、亜麻色髪の少女も何とも言えない顔で苦笑いしている。
「でもまぁ大丈夫なら、あたしが出しゃばる必要はもうないよね。よかったよかった。じゃあねー!」
バイク少女はニンマリと笑いながらウィンクをひとつして、アクセルを吹かすと同時に弾丸のように車道へと飛び出し、あっという間に見えなくなってしまった。
「……嵐のように去っていったわね……あ、って、そうそう、気分はどう? 本当に大丈夫?」
「え、ええ。もう大丈夫……本当にありがとう」
私は何の意識もなしに感謝の言葉がクチを突いて出たことを、驚きもせずに素直な気持ちで受け止めてすらいた。そして、いつの間にか気分の悪さも霧散していることにも気が付いた。
ただ、私と、亜麻色髪の少女と、バイク少女、3人が3人とも同じ制服を着ていたこと、3人が3人とも、それにまったく気が向かなかったという奇妙な欠落に私が気付いたのはずっと後のこと。