Другая точка зрения:десятый
戦争屋になって以来、俺は常に全力で生き延びてきた。生き延びるために生きてきたとすら言える。いまだかつて一瞬たりとも「生きたいと思わなかった」ことはない。微妙な言い回しだが「生きたいと思わなかったことがない」と「死にたいと思ったことがない」というのは意味が違う。「生きたいと思わなかったことがない」というのは、言い換えれば「生きたい」だ。「死にたいと思ったことがない」というのは言い換えれば「死にたくない」である。だがしかし、こんなのはつまらん言葉遊びだ。
要は、俺は「死にたくない」と思ったことがなかった。どれほどの過酷な戦場に身を置き、見るに堪えない悲惨な光景を前にしても、俺は死を畏れなかった。生き抜くためには尻込みすることは許されない。ひたすら前進する者のみが死中に生を拾うのだ。死すべき時には死ぬ覚悟ができている。だが、その瞬間までは、可能な限り生きることを諦めないという誓いを無意識のうちに心身に刻み込んでいた。
そのつもりであったのだが、しかし、やはり動物、生物としての本能は時として理性を超えるのだ。約50億年の生命の歴史に裏打ちされた歴然とした「死を畏れる本能」は、俺の下らないポリシーなど鎧袖一触で挫いてくれる。
一昨年の秋頃、中央アジアのキルギスで義勇兵として市街地で闘っていた時期があったのだが、同道した陽気で間抜けなスペイン人(本人は最期までバスク人だと言い張って譲らなかった)が、幼稚園児でも見抜けるような単純なワイアトラップに足を引っかけて、指向性地雷のピンを抜いたことがあった。俺は奴の左側、数メートルと離れていない場所にいたのだが、奴の内腑やら肉片やらを全身に浴びながら地面に叩き付けられた。こういうとき、しばしば「突然に地面に衝突する」などと例えるが、まさにその通りで、俺は気が付いたら地面に引き倒されていたのだ。幸運にも、トラップを仕掛けた奴はスペイン人以上の間抜けだったらしく、本体をしっかりと固定していなかったため、ワイアを踏んだイキオイで向きが変わり、爆風とベアリングの大半を上空に飛ばす結果になった。地雷そのものの造りもチープで、元から殺傷力も乏しかったようだ。おかげで俺は引き倒されはしたものの無傷であった。
しかし、憐れなのはカラダの半分ばかりが血煙と共に消えてしまったスペイン人だった。信じられないことに、奴は両脚と右腕、右脇腹、右胸を失っていたにも関わらず、なぜか生きていた! アドレナリンの作用なのか、普段からの信仰の賜物(奴は聖母と寝る気なのではと思うほどの熱心な聖母信奉者だった)なのか、奴は生きていた。そしてありとあらゆる悪態を吐きながら死んでいった。もちろん元より助けようなど無かったし、助けようと思うような状態でもなかった。そういえば、奴の悪態はスペイン語ではなく聞き慣れない言語だったので、やはりバスク人だというのは本当だったようだ。
前置きが長くなったが、何が言いたいかというと、その時のことを思い出させてくれるくらい、俺は激しく地面に叩き付けられた。瞬きしている間に、アスファルトの路面に手酷く投げ付けられて、伸びていたのだ。何が起きたのかは判らなかったが、とにかく物凄く巨大なゴムハンマーを身体の側面に打ち込まれたかのような衝撃だった。一瞬、何か爆発物にでも晒されたかと思い、また、次の瞬間には狙撃されたのかとも思った。なぜなら脚、大腿部に重い鈍痛を感じていたからだ。反射的に触れてみると、見るまでもなく、ねっとりとした血の手触りを指先に感じた。
俺は長らく戦争屋などをやってはいたが、実は弾に当たったことがあるのは一度だけだった。それは10年ばかり昔のことで、その時は上腕に弾が掠った程度で、まったく致命傷などではない。俺としても「いてえ!」程度の感想でしかなかったし、死ぬ気もしなかった。
だが、それとこれはちょっと毛色が違った。俺は急激に気分が悪くなり、視野が狭まっていくのを感じた。この感覚は小学生の頃、寝不足で参加したマラソン大会以来の感覚だ。
(血圧が……)
俺は呟いたつもりだったが、自分の耳でその声を聞き取ることができなかったので、本当に声に出ていたのか自信がない。そもそも、いったい俺の身に何が起きたのか、今もって理解していなかった。
その時、誰かが俺の身体に触れ、そして引き摺られるような感覚を覚えた。戦友が助けに来てくれたのか? まさか! ここは戦場じゃない。平和なドイツの街の中だ。そうだったはずだ。俺は歯を食いしばって目を見開き、その「誰か」を見て、そして絶望した。天使だ! どうやら俺は死ぬらしい! 後になって考えれば笑い話だが、その時、俺は真剣にそう思った。
その幼いドイツの娘は、憐れなほどに真剣な面持ちで、俺に向かって何事かを叫び続けている。今日は美しい娘にばかり出会う妙な日だと、俺は混乱したアタマで他人事のように考えていた。