Другая точка зрения:седьмой
ベルリンの南西にあるツェーレンドルフ区に仮住まいを得た俺だったが、最初の2ヶ月は何事もなく過ぎた。1週間に1回のペースでクライアントの代理人だという貧相な小男からの接触があったが、そいつは常に酔っ払っており、言っていることの半分は戯言だ。もっとも、それは恐らく演技というか、目くらましだろうとは思う。奴は決まって毎週金曜日の14時、俺がどこにいようとも必ず確実に接触してくるのだ。道を歩いているときでも、劇場で映画を観ているときでも、本屋でポルノを眺めているときでも、必ず奴は呂律の回らない酒焼けした声で、まるで因縁でも付けるように俺に話しかけてきた。
「よう、このロクデナシのロスケ野郎! シベリアで木の数でも数えていやがれ!」
初めて奴と相見えたときには、思わず殴りつけてやりたくなるのを堪えるのに俺は必死だった。ロシア人の俺ですら辟易するほどの泥酔っぷりだ。これに関しては、演技なのか実際に酔っ払っているのか判別できない。だが、いつも奴は一頻り俺を詰った後、一言だけ用件を伝えてくる。
「次の接触を待て」
そして再び俺に真に迫った罵倒の数々を浴びせながら去っていくのだ。俺は去っていく奴の背中に一言だけ憎まれ口を叩くことで了承の証としている。奴に聞こえているかどうかは判らない。
「クソ野郎」
だがしかし、件の代理人と週一で接触するとき以外の俺は至って退屈であった。いちおうはジャーナリストということにはなっているため、万が一のことを考えて、それっぽいことはしてみた。もっとも、カメラ片手にベルリンの観光地をウロウロして写真を撮ったり、そこいらの観光客に意見を求めたりする程度だが。ジャーナリストと一口に言ってもピンキリなのだ。
その日も俺はカメラを手に、ヒマに任せてベルリン市内を彷徨していた。戦争屋になって以来、こうも平和で穏やかな日々を過ごした覚えはない。ジャーナリストという仮の身分ではあったが、俺はそれすらも忘れて、もはや単なる観光客としてベルリン市内の散策を楽しんでさえいた。戦勝記念塔とかいう旧跡に登ってみて初めて気が付いたのだが、今まで単なる緑地だと思っていたティーアガルテンには動物園があるらしいことを知った。どうせヒマのついでだ、俺はベルリン動物園へ向かうことにした。
ところで、旧世紀に生きた連中は、近未来の都市をどのように想像していたろうか。すべてがシリコンとプラスティックとセラミックで作られたメガロポリスに、三度の食事を完全栄養食のタブレットで済ます銀色の全身タイツを身に纏った人々が、自律航行する宙に浮く自家用車に乗って面白おかしく暮らしていると想像していたろうか(俺は旧世紀人どもに苦笑される自信はある)。それは冗談だったとしても、おそらく旧世紀に生きた彼らは、22世紀はサイバネティクスが支配した超効率的な、冷たいディストピアになっているだろうと、漠然と考えていたに違いないし、それはまったく的外れな想像だったわけでもない。確かに22世紀は頽廃しつつあった。そこに生きる人々も、どちらかと言えば無気力だ。しかし、実のトコロ、22世紀はそこまで「近未来的」ではなかった。なにせ、俺のような戦争屋もいるし、街並みも人々の生活も、外見的にはさほど旧世紀と代わり映えしていないのだ。人間と見まごうほどに精巧で理知的なロボットもいるし、いろいろ便利な道具も増えた。しかし、それでも人類は指先でMTのキーボードを叩くし、草むらで立ち小便もするし、呑んだり打ったり買ったりするし、四季の祭典では半裸で踊り明かしたり腐れかけたトマトを投げつけ合ったりもする。どれだけ道具や文明が進んでも、人類そのものが革新的に進化することはないのだ。到達点なのか、単なる行き詰まりなのかは、俺には判らない。
おそらくティーアガルテンも旧態依然なのだ。良く言えば伝統的とも言える。いま俺の前に敢然と立っている糸杉の巨木は、バイオテクノロジーの賜物でもなければ悪魔じみた成長促進剤の産物でもなく、旧世紀から同じ所に立ち続けているだけの何の変哲もない樹木だ。立ち枯れや虫が付くのを防ぐために多少の細工や投薬はあるだろうが、正真正銘の単なる木なのだ。こんなものに22世紀の科学力を投入する必要など無い。
それにしても立派な糸杉だ。俺はゴッホが糸杉をモチーフにした絵画を幾つか遺していたことを唐突に思い出した。と言うのも、傭兵になって以来、誰にも口外したことはないのだが、俺は子どもの頃、画家に憧れていたのだった。特にゴッホを敬愛していたというわけではなかったが、その大胆な色使いは子どもながら鮮烈に感じられたものだ。
俺は素人芸ながら訳知り顔でカメラを構え、ファインダー越しに糸杉を捉えて何度かシャッターを切った。こうして改めて見てみると、確かに糸杉というのは絵や写真のモチーフとして惹かれる題材のように思える。現に、糸杉を臨む絶妙な位置にあるベンチでは、若い娘がデッサンに没入していた。ストロベリーブロンドのロングヘアに、青白いとさえ思えるほどに色の白い、美しい娘だ。特に理由らしい理由もなかったが、同じモチーフに心惹かれた者という同調を感じ、俺はいかにも「仕事でやってる」風を装いながら娘に近寄り、声を掛けてみた。
「やあ」
俺は一応「ロシア人ジャーナリスト」ということになっているので、いつも第一声はロシア語を使うようにしている。お陰様でというか、長い傭兵生活で主要な外国語は(若干の訛りがあるものの)かなり巧く話すことができるのだが、まずロシア語で声を掛けた後に「私はロシア人ジャーナリストでして……」とやった方が真に迫っているように感じられるらしい。
しかし、娘は俺の声が聞こえたのか聞こえていないのか、まったく反応を示さなかった。俺は少々ムカッとしながら、再び声を掛ける。
「こんちは」
「……こんにちは」
少しの間を置いて、なんと娘はロシア語で返してきた。ロシア人がドイツ語を学ぶことはあっても、ドイツ人がロシア語を学ぶのは稀だ。ドイツに来て以来、ロシア語を多少なりとも理解しているドイツ人には会ったことがなかった俺は、素直に驚いた。
「君、ロシア語が判るんだね?」
「……ロシア人がロシア語を話せるのがそんなに不思議なことかしら?」
娘は顔を上げ、そのスラヴ系特有の据わったような瞳で俺を一瞥したのだった。