Другая точка зрения:четвёртый
ところで、私はベルリンの工廠で創られベルリンで育った生粋のベルリンっ子だけれども、設定上はスラヴ系のロシア人ということになっている。自分ではよく判らないけれど、メンタリティも実にロシア人っぽいらしい。曰く、愛想がないとか、人間味に薄いだとか、目が据わっているとか。ベルリン人も無愛想で変わり者が多い気がするけど、当の本人達はそうは思っていないらしい。
私に愛想が足りてないということに関しては、確かにもっともだとは思う反面、前にも話したけど(たぶん話したと思う)、私は体調が優れないことの方が多いから、どうしても無愛想で憂鬱そうな感じになってしまう。悪気はないのだけれども、態度も口振りも可愛げがないし偏屈っぽい。でも、具合が悪いかどうかは別にしても、特に楽しいこともないのにヘラヘラしている方がどうにかしていると思う。
ポツダムに移り住むことになった私は、相変わらず朝から晩までをベッドの中で過ごす日が続いた。時々は体調の悪くない日もあったので、そういう日には近所を散歩したり、そのついでに買い物や外食などして、努めて気を晴らすようにはしていた。私自身は物憂げで不健康そうな風貌に見えることは自覚していたけれど、中身も同じというわけじゃない。ただただベッドに伏せって過ごすのは、正直、本当に気が滅入ってくるし、決して愉快なこととは思っていなかった。
だからというわけではないのだと思うけど、私は何か僅かでも変化を求めていた。ただ自分を生かすことだけに注力する人生なんて、一見すると大層なことに聞こえるかもしれないけど、その実、虚ろだ。何が悲しいかというと、恐らく誰も私のようなバイオロイドが存在していることなど知りもしないし、知ったところで共感を得ることが叶わない気がすることだった。だから、何か些細なことでも構わないから、「ただ生きる」という呪縛から気を逸らしてくれるような、「私」を忘れていられるような出来事を探していた。もちろん、「ただ生きる」という妄執じみた呪縛から解放されたとしても、私の体調が優れないことには変わりはない。けれども、それでも良かった。もしかしたら、私は少し寂しかったのかもしれない。
そんなようなことを茫漠と考えながら、夕方のポツダムの街を私は当て所もなく散歩していた。このポツダムという街は特に大きな産業があるわけではないのだけれども、ベルリンからそう距離があるわけでもないため、専らベルリンのベッドタウンとなっている。世界遺産に指定されているサンスーシ宮殿や綺麗な湖があって、ベルリン近郊の街としては風光明媚で落ち着いた、趣のある都市だ。世界遺産などあるからか街の景観そのものも大きく手が入っていないため、20世紀以前の面影が強く遺っていて、絵本にでも出てくるような古い建物も多い。実際に、散歩している私の前には、数本の立派なマロニエの古木に護られるようにして佇む白亜とレンガで組み上げられた小さな喫茶店があった。まるでグリム童話の世界だ(グリム兄弟の出生地はドイツ南部ハーナウだけれども)。私は特にメルヒェン趣味なんてないけれど、なぜか何かしら強く惹かれるものを感じて、喫茶店に立ち寄ってみるべきか迷いながらも近付いてみた。
と、時間も時間だったからか、それまで薄暗くて外からは室内が伺えなかった喫茶店の中に灯が点り、私は思わず歩みを停めた。窓辺に近付いて中を覗き見するほどの度胸のない私だったが、しかし、そうするまでもなく窓越しの室内に古風なメイド服を着た少女が背を向けて立っているのが見える。一瞬、本当に中世ドイツにでも来てしまったのかと錯覚しかけてしまった(もっとも、彼女が着ているメイド服はヴィクトリアン・メイド服なので、まったく中世ドイツ的ではないのだけれども)。この22世紀にメイド服なんて! そのフワフワと毛先の良く跳ねるブロンドのメイド少女は、窓の外から私に見られていることなど知る由もなく、細いカラダを右に左に揺らし両手をパタパタと振りながら、誰かに向かって何事かを熱心に話しているようだった。
その姿を目にした私は、なぜかムネの奥にチクリと痛みを感じ、喫茶店に入る気持ちを失ってしまった。不思議と嫌な気分ではなかったけれども、今は、これで充分な気がした。踵を返した私は、喫茶店の戸口の壁に「アルバイト急募!」との張り紙が貼ってあったことを心に留め、帰途に就いたのだった。