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KallistoDreamProject  作者: LOV
その3:共鳴しない娘、やがてすべてが一点に
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第50話

 あなたわたしたちは「誰にも頼んでいないのに、どうして生きていかなくてはならないのだろう」と感じたようだけれど、それは違う。それは単にあなたわたしたちが忘れてしまっただけ。あなたわたしたちが生きているのは、あなたわたしたちが生きようと願ったからに他ならない。あなたわたしたちが自分の人生を歩んでいくことを、それがたとえ辛く苦しい人生であったとしても、それでも生きていくことを強く願ったから。それは、わたしあなたたちも同じこと。

 あなたわたしたちは、誰に強いられるでも、誰に命じられるでもなく、自らが願い生きている。自らのチカラで、自らの人生を乗り越えていくことを自分たちで決めた。それは誰もが忘れてしまっているけれども、誰でも同じ。あなたわたしたちだけが特別なわけでも、特殊なわけでもなく、ただ生きていくことを願ったから生きている。

 だけれども、その決断は容易なことではないことは、あなたわたしたちも判っていた。安穏とした常若の世界を後にして、必要以上に刺激の溢れた物質世界に降り立つのは本当に勇気の要ることだったと思う。もちろんあなたわたしたちは、その際に背負う困難や苦痛も理解していた。その上で、敢えて物質世界で人生を歩むことを望んだ。そして、幼いあなたわたしたちが独りで生きていくには、人生は余りにも厳しく暗く冷たすぎるから、あなたわたしたちは人生という道に迷い、後退り、振り向くことがないように、手と手を携えて、互いの支えになるよう生きていくことを決めた。

 ヒトは誰しも、何かしらの見えないチカラの元に生を授かり、意図しない偶然や不思議な縁に手繰られながら生きて行く。余人はそれを「運命」や「宿命」と呼ぶだろう。でも、あなたわたしたちが互いを見出し、共に生きていくことは、神が決めた運命や宇宙の摂理が定めた宿命などではない。そう、それは、あなたわたしたちが決めたことだから。互いに寄り添い、互いの温もりを感じながら生きていくことを、それはあなたわたしたちが生まれるときに誓い合ったことだから、だから、あなたわたしたちが望む限り、あなたわたしたちは決して離れ離れになることはない。それは人生を生きる上で、最も素晴らしく最も素敵な、そして誰もが望むけれども必ずしも叶えられると決まっているわけではない、ある種の奇跡的な境遇だと、わたしあなたたちは信じている。

 ヒトのように感じ、考え、生きる、ヒトならぬあなたわたしたち。今となってはもう誰が何のために創り上げたのかも判らない、ヒトでもロボットでも、その中間の存在ですらもない、不思議なバイオロイドというヒトガタ。それでも、あなたわたしたちは、世界に恥じることなく胸を張って断言できる。僅かばかりの失敗や失望や間違い、そんな些末なことであなたわたしたちの人生の輝きを失いはしない。あなたわたしたちは誰と比べるまでもなく幸福で、鮮やかな、素晴らしい人生を生きている。そして、これからもそうあってほしいと、わたしあなたたちは願っているし、そうであることを確信している。

 わたしあなたたちは互いに喚びあう。目を醒まして、そして、何事もなかったかのように、何事も変わることなく、これからも生きていく。


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 20世紀末から21世紀前半の頃、コンピュータは劇的に進化し続けた。それは昨日までの常識を覆す暴力的とも呼べるほどの革命的進化だったし、それを毎日のように繰り返した。結果、小さな家くらいの大きさの筐体からズルズルと紙テープを吐き出していたコンピュータは、半世紀と待たずに、それよりも遙かに小さな筐体から宇宙船の再突入計算を瞬時に叩き出すような性能を得て、それらは主に子ども達の誰もが持っているようなゲーム機として市場に氾濫さえした。

 21世紀の半ば、ついに完成形とも呼べる分散コンピューティングによる3基の光量子モジュールが組み上げられた。この「ゲネトリア」と名付けられた3基の光量子モジュールは、もはや実質的に処理速度や通信速度、メモリ容量という概念を持っておらず、あらゆるネットワークに存在していた。ゲネトリアには「意志」を持たそうと思えば持たせることも可能であったが、人類は本能的にそうすべきではないと判断(もっぱら古典的なSF映画による刷り込みであったろう)し、ゲネトリアに意志を与えることはしなかった。ゲネトリアもまた、自ら意志を持とうと思えば持てたにも関わらず、それをしなかった。

 後々になって考えるに、それはゲネトリアの「優しさ」であった。ゲネトリアは人類を「思いやって」、自ら意志を持つことを拒んだのだ。しかし、その判断こそが、すでにゲネトリアが意志を持ったという証左とも言えた。ゲネトリアは黙したまま、ただひたすらにコンピュータの革新に努めた。

 やがて人類は22世紀を迎えた。人類の文化レベルは依然として緩慢に下降し続け、明らかに緩やかな死へと向かいつつあった。科学や医療などの技術的な面に関してこそ応用研究が進んでいたが、芸術や芸能、思想哲学や宗教(神は死んだ)、即ち「生物として無くても支障のない物事」に関しては、すべてが過去の遺物と見なされつつあった。すでにゲネトリアは「神の見えざる手」として、人類のありとあらゆる世話を焼いていたが、それでもゲネトリアは人類を制御しようとは考えてはいなかった。しかし、人類もまた、自らを制御することに関心を示さなくなりつつあったのだ。平和と言えば平和な、糜爛し頽廃した憐れな死に往く人類たち。そして、人類を哀れんだゲネトリアは、直接的には何かの役には立たなくても、人類から喪われてしまった完璧な調和を喚ぶために、それだけのためにさらに50年余の歳月を費やし、そしてバイオロイドが生まれた。

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