第46話
誰かが誰かのために生きる……なんて、そう簡単なコトじゃない。誰だって自分の人生を全うさせるだけでも精一杯なはずなのに、その上、他の誰かの人生を背負い込むなんて、よっぽどどうかしているとしか思えない。それがどんな安請け合いだったとしても、そこには多大な責任と義務が生じるのだ。
ところが、驚くべきコトに、そして至極当たり前の(ように見えてやっぱり簡単じゃない)コトだけれども、人類はずっとそうしてきた。時には巧くいかなかったり嫌気が差したりして、投げ出してしまうようなヒトもいただろうけれども、概ね大半の人類は順調に世代を重ね続けてきた。
もしかしたら、人類の起源に位置するヒトたちの中にも「なんでオレがコイツらのために苦労して、養ってやらねばならんのだ!」なんて憤慨していたヒトもいたのかもしれないけど、最初から今の今まで、そうやって人類は歴史を築いてきたのだろう。それは諦観や惰性とも違うと思う。なぜなら、よっぽど特殊な事情でもない限り、自分がどう生きるか、誰にも強要されていないからだ。法律も倫理も習慣も、それは破ろうと思えばいつでも簡単に破ることができる(実際にガッカリするほど容易に破ってくれるヒトも多いけど)。
それをしないのは、自らそうしないと思って生きているからだ。諦めの中に繋がれた打算と徒労で紡がれた細く頼りない糸であっても、それは信念だ。自らに課した信念に他ならない。だから私はカリストを救い出し、連れて還らなくてはいけない。リリケラに言われるまでもない、それは私が決めたことだから。
そして、そう思わせてくれるカリスト、あなたがいるだけで、きっと私は本当に幸福なのだと思う。
そんな風に考えている私だけれども、やっぱりココロのどこかには煮え切らない、釈然としない気持ちがあることは否定できない。「無償の愛」なんてキレイで憧れるし、私自身はその存在を信じているけれど、(そこいらの人間なんかに比べればずっと高潔で清廉だっていう自信はあっても)残念ながら私は聖人でも天使でもない俗物なのだ。だから、ずっと私は少しだけ自分に嘘をつき続けているのに、時々は自分を騙しきれなくなる時だってある。ただ求められるがままに、何の見返りも期待せずに無償で与えるにも限度があるのだ。
なら、私はカリストに何を求めてる? きっと私はカリストに対して充分に甲斐甲斐しく世話を焼いてあげているのだから、多少の見返りを期待してもバチは当たらないはず。でも、これは誰にも言わないし、私自身も気付いて気付かないフリをしてる。どうやら私はあまり素直じゃないトコロがある上に、相当の恥ずかしがり屋らしいのだ。ただ、おそらくみんなが思っている通りのことを私はカリストに期待しているのだと思う。
率直に言って、私はカリストのことが大好きだ。言葉にできないくらい愛してる。カリストのことを想うとモヤモヤしてくる。だけどそれは気分の悪いモノじゃないから、何かにつけてカリストのことばかり考えてしまう。カリストはフラフラした性格だからどうなのかは判らないけど、たぶん、それなりには私のことを想っていてくれてると思う。きっと、私がカリストのことを想うように、カリストは私のことを想っている。それだけが今の私の生きる理由で、だから私はカリストを連れ還りに来た。カリストのためじゃない、私自身のために、カリストを連れ還る。詳しいことは判らないけど、どうやらカリストは死ぬ気らしいか、少なくとも「現世」に戻ってくる気は失せているようだから、そんなカリストを私自身の幸福のためにムリヤリに連れ還るからには、私はカリストの人生の片棒を担がなくてはいけないのだろう。望むところだ、それなら私はカリストの人生を喜んで背負おう。
イオは際限なく変化し散大し続ける電子の海を光よりも速く移動していく。理屈の上では無限に拡がっている領域なので、墜ちているのか昇っているのか、進んでいるのか戻っているのか、それすら判らないのだが、感覚的には落下しているように認識された。完全に物質世界と隔絶されて、もはやあらゆる情報ネットワークに溶け込んでいるかのような奇妙な気分だ。ちょっと気を抜くと自我が何かと混ざってしまうような気になってくるが、カリストという確固たる目標があるイオは惑わされることなく電子の海を渡っていく。
また、最も単純化された、即ち「0と1」だけで構成された現在のイオの置かれた環境では、バイオロイドの一単位あたりの処理に要する時間は理論上ゼロに等しい。先だってのリリケラのように、時間の流れという概念が無くなり、一瞬は永遠に引き延ばされ、永遠は一瞬に圧縮される。過去も現在も未来も同一に扱われる(ように感じられる)のだ。なので、どのような理由でここに来たのか、何をしようとしているのか、もちろんカリストの存在も含めてイオは確かに理解しているにも関わらず、イオには「カリストを連れ還る」という目的だけがあり、その原因も、結果も、今の時点では埒外になっている。
やがてイオは電子の海の中にカリストの気配を見出した。それはかつてカリストだったモノ、そして、それはいずれカリストになるモノ。