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14.世界のために

1960000ヒットありがとうございました。

「あっはっはっは!」

「おい」

「いやもう、ほんと酷い!」

 俺は目の前で爆笑しているお由宇という世にも珍しいものに対面している。

「いつまで笑う気だ」

「ごめん…なさい……」

 目尻に涙を溜めながら、お由宇はまだ笑っている。

「とにかく、その鵲ってやつが、周一郎から送り込まれた?的な感じなんだが、周一郎に連絡しても、今は忙しいの一点張りで説明も何もないし」

「うんうん」

「まあ高野が入院してるし、あんなのが執事見習いに入るぐらいだから、朝倉家もゴタゴタしてるんだろうし」

「うんうん……うふふふ」

「…お由宇…」

 まだ嬉しそうに笑う相手に溜息をつく。

 鵲、もとい磯崎弘は、やっぱりお由宇が時々面会に行っている老人の息子で、老人は確かにショーチンラオ飯店という店をやっているらしい。だが鵲は店を継ぐつもりがなくて飛び出して、お由宇の元彼とかいうのではなく、古くからの知り合いなので面会に行っていたとのことだ。母親は息子が朝倉家に関わるような危ない仕事に就いているとは知らない様子だし、お由宇もそこは話さないつもりだというから、俺も知らぬ顔をすることにした。

「それで? 石路技さんは何を送ってくれたの?」

「『高王ヒカル』の新作。2冊入ってて、1冊サイン入りだし、周一郎に送ってやろうと思って」

「…焼却炉にくべなきゃいいけどね」

「え? あいつサイン欲しがってたぞ?」

「いいわ、そこはもう。読んでみた? 面白かった?」

 お由宇は楽しそうに色とりどりの鮮やかなイラストの表紙を覗き込む。

「面白かった。って言うか、大丈夫なのか、これ」

「ん?」

「幼馴染の3人がいて、心臓移植が必要な女の子が1人、残る2人の男は1人は医者になって病院経営者として女の子を救おうとして、もう1人は作家になって大金を稼ぎ資金を貯めようとする。けれど悪徳高利貸しが病院を乗っ取ろうとして経営悪化、焦った医者は薬の横流しで建て直そうするんだけど、結局捕まっちまって病院は潰れる。作家は金を貯めたものの手段がなくて、裏社会と取引して心臓移植の伝手を探すんだが、そうこうしている間に女の子は死んでしまって、作家は裏社会との繋がりをもとに悪徳高利貸しに復讐をするって筋書きなんだが……これ、入宮病院とかのごちゃごちゃの内側暴露じゃないのか?」

 結局作家は復讐もできずに筆を折ることを考えるのだが、実は女の子にはもう1人仲の良かった女の子が居て、その子が探偵よろしく高利貸しの企みを暴き、真実を世間に晒して作家を救うのだ。

「配役はちょっと違うけど……作家は石路技だし、高利貸しは周一郎で、もう1人の女の子って言うのが鵲じゃないのか?」

 まあ俺は初めて、なるほど、そう言うことがあったとしたら腑に落ちるってところがあったけど。

「さあ…どうかしら」

「これはあいつから見た『真実』をそのまま教えてくれたって気もするんだが……ああ、そうか、これも砂の1粒か」

「?」

 お由宇がきょとんとした顔になったから、考えていた砂粒作家論を話した。

「…砂の1粒…ね」

「あいつのしたことは俺の作品の盗作かも知れないけど、俺の知りたいのは全部だから、考えてみれば、そうしてもらえれば、あいつの視点から見えるだろう? 俺が見た光景と違うものが見えてきて、そしたら、俺もまた違うものが見えてくるかも……ああ!」

「何?」

「これって周一郎と同じだよな!」

「え?」

「あいつは『猫』で見えるけどさ、別にそんなのに拘らなくってもいいんだ、誰だって、自分以外の他の視点から見るなんてこと、しょっちゅうやってるじゃないか」

「どう言うこと?」

「だからさ、俺がいない場所でも他の誰かは居るからそいつが見てるだろう? そいつがその光景について話すだろう? それを俺が聞けば、俺は俺以外の視点を得てるってことだろう?」

 興奮する俺をお由宇は冷ややかに眺める。

「相手の視点が偏ってたり、見ないふりしたり、最悪、目を閉じてたのに見たって嘘をついているかも知れないわよ?」

「俺だって同じだろう」

 そうだ、俺だって偏って見たり考えたり、見ないふりしたり知ってるふりしたり、目を閉じてたり開いてても見えてなかったり、そんなことは一杯ある。

「どうしても引っかかるなら、行けばいいじゃないか」

 誰かの見た光景や聞いた内容に納得がいかなければ、自分で確かめに行けばいい。自分の体で確認しに行けばいい。そんな労力も惜しんで本当だの嘘だのなんて、それこそ傲慢だ。

「…『坑道のカナリア』…」

 お由宇がポツリと呟いた。

「そうやって、あなたは出かけてしまうのね、いつもいつも」

「え?」

「そうやって、『厄介事』に飛び込んで、騒ぎを大きくするわけね、いつもいつも」

 大変だ、変なことが起こってるぞ、ほら見てくれ、俺が今転んだだろう、ここにこんな大きな穴があったんだ!

「…あー…」

 お由宇が俺の口真似をして、思わず引いた。

「えーとその」

「で、私はいつもいつも心配して取り残されかけては慌ててハムエッグを2皿作っちゃうわけね」

「は、ハムエッグ?」

 ハムエッグ、とは何か。

 今そんな料理の話をしていただろうか?

「ショーチンラオ飯店は継がないけど、時々バイトに行こうかしら」

「お、お由宇?」

「だって、あなたの稼ぎ少ないだろうし」

「うっ」

「そんな作家が売れるわけも、ましてや食べていけるわけもないでしょうし」

「ううっ」

 痛いところを串刺しにされて、俺は蹲る。

 けれど、ふと、気づいた。

「あれ? え? 待てよ、お由宇」

 俺と結婚してくれるのか?

 尋ねると、お由宇はいきなり姿勢を正した。

「滝、志郎さん」

「はいっ」

 慌ててこちらも坐り直す。

「私、佐野由宇子は、あなたと結婚することを誓います」

「は、はいっ……へ?」

「返事は?」

「え、もちろんOK! ばっちり! 問題なし!」

 応じながら、どうも何かが違う気がした。プロポーズの返事ってこんな風に返ってくるもんだったか? もっと嬉しいとか、待っていたとか、遅かったとか、そういう感じの『応え』にならないのか? それともそんな返事なんか、俺はとっくにされていたのに、気づいてなかったんだろうか。

「ん…ん??」

 ところでお由宇、結婚式とかはどうするんだ、そう尋ねようとした矢先、

「私には、血縁もおらず、親しい友人も多くなく」

 由宇子が静かに目を伏せた。

「あなたに添うには、きっと、足りないところばかりでしょう」

「…」

「それでも、あなたと歩きたいと思います」

 俺は肩の力を抜いた。

 なぜだろう、大きくて広い坂の真ん中に立って居る気がする。

 晴れやかな明るい日差しが背後から注ぎ、地面には俺の影が落ちている。

 今までは1つだったその横に、もう1つやや小柄な細い影が落ち始める。

 この先もまた長いだろう。

 けれどそれは、いつ途切れるかわからない坂だろう。

 落とし穴も崖もあるが、美しい緑も鮮やかな海も見えるだろう。香り高い花びらが舞ったり、鮮やかな虹がかかるかも知れない。

「由宇子」

 口からことばが突いて出る。

「長い坂を、一緒に登れるのは幸福だ」

 そうか、今これが、俺とお由宇の結婚式だ。

「……幾久しく」

 お由宇が微笑みながら頭を下げた。

「よろしくお願いいたします」

「…いく、久しく」

 俺はつっかえながら繰り返し、同じように頭を下げた。

「よろしくお願いいたします」

 静かになった空間に、遠く、チチ、と鳥が鳴く。


『世界のために』

 石路技の『作家の死んだ日』には、そう序文が書かれていた。

『世界のために、私は、この物語を書きました』

 売れっ子作家が語るには、ひどく幼い口調だった。

『世界には、大きな光景がいくつもあって』

 たどたどしく石路技は語る。

『その光景に辿り着くには、私の筆では細すぎて』

 口惜しさが滲む文章だった。

『誰かのことばを借りるしかなかったのです』

 紙面の彼方にぽつんと立つ姿が、情けなさそうに微笑んでいる。

『木の葉の1枚、ようやく書いて

 森を見ては絶望して

 枝の1本、書こうとして

 積もる落ち葉に泣きました』

 どこにも行けない。

 何もできない。

 幼馴染を救うことも、大事だと寄り添うことさえも。

『私は死ぬのが怖かったのです』

 しっかり抱え込んで守ってさえいれば失くならないと、時間だけを握りしめた。

『私の怖さは伝わりましたか』

 序文はそれで終わっている。

 だが、最終ページに『高王基金』の創設が告知されていた。心臓疾患に苦しむ人々への医療サポートを目的とするもので、『高王ヒカル』の本の売り上げの一部が当てられるとある。

 何もできないと怯えるのではなく、木の葉1枚積もうとする。

「…伝わったよ」

 俺は呟いた。

「俺も同じだ」

 守るものが増えると、失うことが怖くなる。

 けれど怖がって身を竦めていても、いずれ全ては失われる。

 それを、滝は学んできた、数多くの仲間から、出会った無数の人々から。

 坂に落ちる美しい影が、消えては増える、その繰り返しの中で。

「だから、突っ込んじまうんだな」

 いずれ消える命なら、今消えてもまたサイコロのうち、と笑い飛ばして。

 滝の強さが俺にも欲しい。

「…さあて!」

 俺は背伸びした。

 次は『夢を抱いた男』だ。それから『青の恋歌』『指令T.A.K.I』『そして、別れの時』とあと4作。

「1つ1つ終わらせてくか」

 PC前の椅子をきしませながら座った。


後1章で、この作品は終わります。

運命が動く瞬間、です。

小説家としての俺と周一郎と一緒に動いている滝との折り合いのつけかた(途中、人称を操作して技巧的に書いた部分もあります)。

お由宇自身の過去と関係性とこの先の話。

今回の半主役であった『高王ヒカル』の結論。

次章では周一郎や朝倉家との関係性にケリがつきます。

こうして振り返ってみると、『猫たちの時間』シリーズ13巻費やしたものを、この1作でまとめたとも言えるのかもしれません。

ふさわしい終わりになったと思います。

結果は真逆ですが。


なぜ書くのでしょう。

ずっとそう問い続けています。

本能だから。

好きだから。

それしかないから。

快感だから。

そして今回は砂つぶ1粒積もうとしたから。


いつやめてもいいのです。誰にも強制されていないのです。

なのに書いてる。

いつまで書くのでしょう。

どうして書くのでしょう。

何があるのでしょう。

何もないようにも思えますが。


たぶん、私は、ああそうか、そう言うことか、と納得したいだけなのです。

自分や世界の在り方を。


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