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12.白い朝(2)

 由宇子は鳴り始めた携帯を耳に当てる。

 朝食の時間は過ぎて、テーブルに置かれたハムエッグは手付かずだ。2皿も準備してしまった自分が信じられない。これでは周一郎と同じだ。

嬋娟チャンユエン、助けて下さい』

 掠れた声が懇願した。

『どう言うカラクリなんですか、あれは』

「何があったの」

『司をられました』

 由宇子は息を詰めた。思わず時計を見る。5時間経っていない。一体どれほどの手勢を周一郎は繰り出したのか。

『十分に警戒してました。無駄な動きもしていない。一番確実に、信用できるルートだけ使って逃げたつもりです。なのに』

 声が滲む。

『ほんの一瞬です。赤信号で立ち止まったら終わってました。急に倒れた司抱えて、救急車呼ぶ善意の人から逃げて、裏道で確認したら頚部の一点から毒を入れられてました。あんなことしちゃいけない、見つかったら全て終わるのに、なぜ「坊っちゃま」はあんなマネを?』

「…見せしめでしょうね」

 予想はしていたが、それにしても素早い。

「あなた達以外にも知らせたかったのよ、滝志郎の後ろに誰が居るのか」

『それでもムチャです、おかしすぎる、朝倉周一郎はそんな動き方をしませんよ』

「あなたが見たのはね、鵲」

 苦笑いしてしまった。

「朝倉家を率いる『坊っちゃま』じゃないの。唯一無二の友人をこの世界から奪おうとした輩に箍を外した小さな子どもなのよ」

『……では、嬋娟チャンユエン…』

 呆然とした声で鵲は問う。

『これからも「坊っちゃま」はアレをやると言うんですか?』

「たぶんね」

 警察への根回しは済ませているだろう。情報操作には多大な労力と金が動いたことだろう。それでも周一郎は滝を死なせたかも知れなかった相手を、ぬくぬくと生かしておくつもりはなかったのだ、恐らくはこれからも。

 己の能力を扱いあぐねた少年は、得た財力や権力の使い方を十分に心得た青年になった。周一郎が由宇子に対して『控えめ』なのは、彼女が滝の『大事なもの』だと認識しているからに過ぎない。

『なら、「あれ」は何ですか』

 ついに滝から人格が抜けてしまった。由宇子は微笑む。確かに彼女も滝を『天使症候群』などと呼んだことがあるが。

『「あれ」はなんであんな場所に居るんですか』

「…志郎はね、多分『坑道のカナリア』なのよ」

『「坑道のカナリア」…』

 鵲は考え込む。

『炭鉱で、先頭に立つ鉱夫が小鳥の籠を持って、小鳥が弱ったり騒いだりしたら有毒ガスが発生してると考えて逃げた…でしたっけ』

「何か妙なことが起こってて、誰かが悲しんだり苦しんだりしてるところへ、志郎は引き寄せられてくの」

『なぜですか』

「なぜかしらね。志郎にとっての『鉱夫』は『神様』で、その『神様』はサイコロを振って志郎の行き先を決めてるらしいわ」

『ははあ』

 鵲は間抜けな声を返して来た。

 今回のことで言えば、悲しんだり苦しんだりしているのは『高王ヒカル』であり『鵲』であり『司』なのだろう。サイコロを振られた滝は、己の任務に忠実に事の渦中に飛び込み、周一郎を連れ出し、朝倉家を引き寄せた、『刑罰』の執行者として。

 いやいやそれではまるで、本当に『天使』の有り様だ。

『それじゃあ僕は分をわきまえず神に抵抗して葬られた異教徒ですか』

 由宇子の考えを読み取ったように沈んだ声だった。

『助けようがなかったと?』

「…司のことは残念だけど、結果としては収まるところへ収まったのでしょ」

『……非情ですね、嬋娟チャンユエン

「神は非情なものではないのかしら」

 非情と言うより、下界の事情には興味がないのではないか。

 数々の悲劇と惨劇を見て来た由宇子にはそう思える。

 けれど、滝は違う。

 サイコロに操られる自分に呆れ果て嘆きはするが、朝日が毎日昇るように、まっすぐ自分の行きたい方向へ、ただ訥々と歩いて行く。

 簡単なようで、常人にはなかなかできない荒技だ。

「戻るなら受け入れるわよ、鵲。朝倉家に帰ることもできるはず」

『「坊っちゃま」は許しませんよ』

「許すわよ、あなたは志郎を助けたから」

 思わず溜息をついた。もちろん、全面的に信用すると言うことはあり得ないが、滝の命は恩赦の1回ぐらいは十分賄うことだろう。

『「寿星老ショウチンラオ」に属したままで朝倉家に戻れと?』

「あなたなら出来るわ」

『ダブル・スパイを朝倉家が飼う?』

「初めから知っていたはずよ」

 それでも高野はあなたに優しかったでしょう?

『……』

 鵲は黙り込んだ。怪我も癒えていないだろう。手当も欲しいし住居も食物も必要だ。ここまで朝倉家に狙われていることが明らかになれば、どの組織だって安易に受け入れてはくれまい。ましてや表の社会で生きるためには、もう戻れない場所に、鵲はいる。

「志郎のガードを申し出なさい」

『……はい?』

「使い捨ての盾になると誓うの」

『……「あれ」の、ですね?』

「ええ」

『数限りなく厄介事に飛び込み引きつける男の盾になれと』

「どこへ行こうと、あなたの人生よ」

 海云ハイ・ユンのことばに鵲はしばらく沈黙していた。

嬋娟チャンユエン……僕の仕事は?』

「まずは誤解の払拭ね」

『朝倉家の?』

「いいえ、私の元カレとか今カレとか、訳の分からない誤解を解いてもらうわよ」

嬋娟チャンユエン

 鵲が深い溜息をついた。

『パンツにまで盗聴器入れる女は嫌われますよ』

 由宇子は熱くなった頬に、初めて周一郎の気持ちを察した。


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