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11.さらば友よ(2)

「……」

 多分、10分はたったと思う。

「…石路技さん」

 開いたドアの彼方を見たまま、呆然と立ち竦んでいる相手に声をかけてみた。

「あの…済まないけど」

 のろのろと相手が振り返る。

「ロープ、解いてくれると助かるんだが」

「……」

 強張った顔のまま俺を凝視する石路技に、付け加える。

「ついでに便所の場所も教えてくれると、ものすごく助かる」

「……」

 石路技は無言で近寄って来て、俺の背中に回り、引っ張ったりゴソゴソやったりしている。なかなか解けないようだ。となると、さっき俺を縛ったのも多分司とか呼ばれた男なんだろう。

「何だよこれ」

 低い唸り声が響く。

「どう言うことなんだよ、これは」

「ああ、自分で結んでないと解き難いよな」

「……そうじゃねえよ」

 ドスの効いた声で詰られて俺は黙った。ナイフも銃もなさそうだが、石路技は明らかに落ち着きがないし、事務所ならカッターナイフもボールペンも定規もあるし、何だったらパソコンとかで殴られるのも嫌だし、大人しくしようと思う。

「…解けた」

「ああ、で、トイレは」

「事務所出て右側のドア」

「済まん」

 急ぎ足に教えられた場所に駆け込み、あと数秒で決壊していた状況を解決する。我慢しすぎるのは良くないはずなんだ、特に中年にかかるといろいろな病気にも繋がるはずだし。

 すっきりして手を洗い、事務所に戻ってみると、石路技がぽかんと口を開けて立っていた。

「どうした?」

「何で戻ってくる?」

「へ?」

「出口、あっただろ?」

「え?」

「トイレの横。ドア、あっただろ?」

「え、ああ、ああ、そうか、あったのか」

 なるほどな、さっさと出て行って欲しかったのか。

「何で戻ってくるんだよ……」

 石路技はよろめくように、もう一つのパイプ椅子に腰を落とした。

「もういいだろ」

「ああ、まあ、その、少し聞きたいことがあって」

「……何を」

 ぐったりした顔で、それでもじろりと睨まれた。作品を持って行って、読まれながら文章の意味や情景を確認される時と同じ顔で、妙に懐かしくなった。

 そう、懐かしい。

 気づいて、わかってしまう。

 俺達は、もう元の関係には戻れないんだな。

 ならば、だからこそ、聞いておきたいことがある。

「……お前は、『高王ヒカル』か?」

「……」

「…それと、勘違いだったら罵倒してくれて構わないんだが……お前の作品、俺の話が下敷きか?」

「…っく」

 喉が詰まったような音がしたと思ったら、石路技は肩を震わせて嗤っていた。

「信じられねえ」

「?」

「お前、それ本気で聞いてるのか?」

「あー、違った、か?」

「違ったって言うか。お前ねえ、盗作した相手に、俺の作品盗作して売れっ子になったのか、って聞く?」

「聞かない、か」

「聞かねえよね、普通」

「そうか」

『滝、この文章、おかしくないか?』

 ふいに耳元に石路技の声が戻ってきた。

『こう言う書き方、読者にわかりづらいだろ? 情景も描きにくいしさ。もうちょっとここを整理して書けばいいんだよ。ここのやり取りを端折ってさ』

 ああそうだろうな、でも違うんだ、そこはそれで正しいと思う。

『正しい? 正しいって何だよ。このままじゃ売れないし、商品としての完成度も悪いし』

 済まん、ごめん、うまく言えないけど、そこはそのままで行きたいんだ、そのままでだめなら、この作品は動かないよ、石路技さん。

『何言ってるのかわからないな、このままじゃ出版できないし、売れないし、誰にも読んでもらえないって言ってるんだよ』

 いいんだよ、そこを変えたら、この先が書けないから。

『書けないって何、何様だと思ってんの、お前、そんなことは売れっ子になってから言うもんだよ!』

 1度や2度じゃない、何度も繰り返した石路技とのやり取り。

 だからこそ。

「けど、どうしても聞きたくってな」

 俺は石路技を見つめた。

「『高王ヒカル』、面白いよ。悔しいけど、売れるのはわかる。俺はあんな風に書けないし、一生届かないかも知れない」

「…そうだよ、当然だろ」

「だから聞きたいんだ、あれだけ力があって才能があって業界のことも良くわかってて、なら、何でいつまでも俺の作品に拘る?」

 石路技は出版もされない、商業的価値が明らかにないと俺の作品を貶しながら、それでも執拗に次回作を要求した。それが自分が『高王ヒカル』として売れるための踏み台を寄越せと言うことならば、むしろ俺のネタだけ聞いて先に書いてしまえばいいはずだ。俺よりも才能があり力があり、物語のことも業界のことも良くわかった上での書き手、売れなければおかしいほどの才覚なのだから。

「俺の作品なんかに拘らずに、自分の作品をバンバン出して売れればいいだろ?」

「…」

 石路技、いや『高王ヒカル』は口をきつく結んだ。俺を睨みつけ、やがて強く歯を嚙み鳴らす音が聞こえ、

「…書けないんだ」

「…は?」

「2度言わせるな! 書けないんだよ、俺は!」

「………書いてるじゃないか」

 俺は『高王ヒカル』の言ってることがわからなかった。

「あれほど次々作品を出してるじゃないか」

「書けないんだっ! 俺は、俺のことばを必死に絞り出してるのに、気がついたら、お前の作品の台詞が頭から離れなくて!」

 顔が歪んだ、泣き笑いのように引きつって、俺に両手の拳を差し上げる。

「たいした作品じゃないんだ、本当に稚拙な、意味のない、整理されてない、構築もロクに考えられてない、読者のことも何にも考えてない、お前が好き勝手に書いたものでしかないことばなのに、気がついたら、その場面を繰り返し繰り返し考えてて、セリフを繰り返し繰り返し味わってて、どうしたらこの場面をもっと効果的に書ける、どうしたらこのセリフをもっと印象付けられる、そればっかり考えてる俺がいる!」

 そうやって絞るように唸るように削るように書いた作品のはずなのに、書き上げて読んで見たら。

「カスカスで」

「……」

 『高王ヒカル』の目に涙が溢れた。

「カスカスなんだ、俺がお前の作品から受け取った、滴るような豊潤な酔うような我を失うような、あの波が、あの見事な波が、どこにもなくて! 俺は俺の書き上げた作品を読んだ後、必ずお前の作品を読む。でないと、飢えて、干からびて、死にそうになるんだ。お前の作品を読んで、ああ良かったって、まだここにこれがあったって、安心するんだ、安心して、すごく惨めになるんだ、お前の作品が売れてなくて、誰のものにもなってなくて、これが俺の命の泉で良かったって、本当に安心してる俺がどれだけクズなのかよくわかって!」

 あははははは!

 涙を溢れさせながら、『高王ヒカル』は嗤った。高笑いの後、頭を抱え込み、体を縮めて泣き続け、やがて、呻くように呟いた。

「……お前は書いちゃいけない奴なんだ」


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