11.さらば友よ(1)
何だ、こいつら?
夜の『いしろぎリネンサプライ』の事務室で、パイプ椅子に作業服を着たまま縛り付けられた滝は、頭の中に疑問符を溢れさせながら、目の前の男2人に目をやる。
さっきまでここには3人の男が居た。1人は予想はしていたが担当編集者の石路技鷹、もう1人が滝を『オリエンタル・コンチネンタル』から連れ出した鵲と名乗る男、そして全く見知らぬもう1人の男。
3人は滝を縛り付け、部屋の隅でごちゃごちゃと何か険しい顔をして話し合っていたかと思うと、突然見知らぬ男と鵲が部屋の外に出た。激しい物音と叫びと呻き声が響き、戻って来た見知らぬ男は、不愉快そうな顔で両手をウェットティッシュで拭いながら、石路技と一緒に滝を睨みつけている。
鵲は戻って来ない。
いくら滝が間抜けでも、伊達や酔狂で朝倉周一郎と一緒に動いていたわけではない、何か嬉しくない出来事があって、鵲は戻って来れなくて、それは滝の将来に暗雲を投げかけていると察しはつく。
2人の男に睨みつけられながら、滝は必死に乏しい知識を総動員する。
戻って来ない鵲には別の名前があった。磯崎弘。いそざき、と言う名前には聞き覚えがある。お由宇が面会に行った有料老人ホームに住まうと言う婦人の名前は、いそざき、ではなかったか。ついでに鵲はサノさん、と口にした。下の名前もゆうこで合っている。ひょっとして。ひょっとして。
「…聞いていいか」
「…」
沈黙を肯定ととって問いをぶつける。
「さっきの男はお由宇の元彼か?」
「……」
2人の男の顔がはあ?と大きな疑問に緩んだ。
「お由宇が面会に行った相手は、ひょっとするとあいつの母親で、ショーチンラオ飯店とか言う中華飯店の主人だった人か?」
「…………」
はあああ???
2人の顔がますますぼやける。何かを言いたげに口を開きかけた石路技が、側の男に小突かれて慌てて口を噤んだ。と言うことは、結構滝の推理も当たっているのかも知れない。ならば交渉の可能性もあるかも知れない。
「で、お前達はあいつの友達か何かで、お由宇に俺がプロポーズして、あいつからお由宇を横取りしようとしたから、こう言うことをやらかしたのか?」
言いながら、かなりしょんぼりしてくる。お由宇が不思議なルートをあれこれ持っていて、滝の想像もつかない世界を生きていることは薄々感じていた。しかしまさか、将来店を継ぐとかそう言う段階まで進んだ話があるとは夢にも思わなかったし、お由宇も話してくれなかった。けれど、言われてみれば、返事を渋られたのだって、滝が甲斐性なしだと言うことだけではなく、れっきとした婚約者がいれば当たり前のこと、ましてや、滝の担当編集者が婚約者がらみであったのなら、余計に返事がしにくいはずだ。
「…済まん、そう言う関係は全く思わなかった」
お由宇は確かに一緒に暮らしたい相手だが、それより前にかけがえのない友人だ。望む関係になれなかったからといって、逆恨みするレベルじゃないし、むしろ迷惑をかけて申し訳ない。
「だがせめて友人として付き合う、程度はだめだろうか」
「……何の話かわからないが」
見知らぬ男がぼそりと唸った。
「お前が何を知っているか話してくれるなら、解放してやらなくもない」
「おい」
今度は石路技が訝しそうに男を振り返る。
「もしこいつが警察に訴えたら」
「いや、そう言うことじゃないだろう。まあ、確かにやり方は手荒いが」
滝は目を丸くした。
色恋沙汰で警察騒ぎになるなんて、厚木警部が呆れまくりからかいまくるのが眼に浮かぶ。そんな醜態はごめんだ。
「俺もよくわかっていなかったし……もっとお由宇と話し合えば、こんなことにはならなかっただろうし」
「……お前もあちら側なのか?」
「へ?」
男が不安そうに眉を寄せて滝は戸惑う。
「いや…俺は飯は作れない。調理師免許もないし」
中華飯店を継ぐ継がないと言うなら、多少は料理ができないと無理だろう。
「俺はいつもお由宇に面倒見てもらってばかりだ」
はは、と頼りなく笑った。男の警戒はまだ解れない。
「朝倉周一郎はお前のことをどこまで知っている」
「は?」
「情報網を共有しているのか」
なぜここに周一郎の話がと思ったが、なるほどホテルに来たから、滝が昔馴染みの周一郎に、婚約者がらみのゴタゴタを相談していると考えているのかと気が付いた。
「いや、相談なんかしていない。個人的なことだし、それに、あいつはあいつで忙しいし」
苦笑いする。
「こんなことで迷惑をかけるのもなあ」
「こんなこと……」
男の顔が心なしか青ざめる。
「お前達にとっては、こんなこと、に過ぎないのか……?」
ふいに男の体がぐらりと揺れた。
「司?!」
うろたえたように腕を差し出す石路技に向かって、男がぐずぐずと崩れる。その真後ろにふわりと人影が立ち上がった。いつの間にドアを開けて入って来ていたのか、先ほど外へ連れ出されて戻って来なかった鵲が、崩れ込む男の体をくるりと反転させて抱える。瞬間、鵲の腹のあたりに嫌な赤色が滲んでいるのが見えたが、顔を歪めもせず、鵲は男をひょいと担ぎ上げた。男は身動き一つしない。気を失っているようだ。薬で盛られたのか。
「効くの遅いね、日本製は真っ当過ぎてダメ」
片手には例のナイフがある。気のせいじゃないだろう、薄赤く濡れているのは、ひょっとして誰かの腹に刺さっていたからとか。
「打って5分もかかる。あっちじゃ死ぬよ」
溜息混じりに滝に向かって嘆いて見せ、今度は石路技に向いた。
「司はもらってく。2度と会うことはないから、そのつもりで」
「…なぜ」
するすると下がっていく鵲に石路技が訴えるように叫ぶ。
「なぜ、ここでやめる?!」
「…友達ですから」
に、と鵲は笑った。
「守ってもいいのでは?」
「守る? 誰から? どうして?」
追いすがる石路技の声に、開いたドアの向こうに消える鵲が歌うように応じた。
「世界を破壊する、悪意から」