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10.交差点(1)

1920000ヒットありがとうございました!

 ドアが開いてひょっこりと顔を覗かせたのは、薄い青の帽子と揃いの作業着を身につけた若い男だった。胸元に『いしろぎリネンサプライ』と黄色の縫い取りがしてある。

 よかった、これで周一郎の所に戻れる、とほっとしかけた滝は、違和感に眉を寄せた。

 違う。

 だって、こいつは驚いていない。いつものリネン保管庫に手足を縛られた男が転がっていると言うのに、訝りもしないし声も上げない。

 相手は素早く部屋の中を見回し、外へ目をやり、するりと入り込んで転がっている滝の上に屈み込んだ。確かに若い、けれども今の動きも、穏やかに話しかけてくる落ち着き払った声も、見かけを裏切った中身を伝えてくる。

「あなたは滝さん? 滝、志郎さん?」

「君は…誰だ?」

「ああ、なるほど。これは鋭い」

 くすりと相手は笑った。

「こんな間抜けに見えるのに」

「ほっとけ。人の名前を知ってるなら、お前も名乗れよ」

「どう言う理屈なんだか。まあいいでしょう。僕の名前は鵲」

「鵲? 七夕とかに天の川に橋架けるやつか?」

「作家は物知りですね。妙な名前だと思わないの?」

 若い男はきょとんとした顔を装って尋ねる。とんでもなく胡散臭い。こんな所へ『いしろぎリネンサプライ』の服装で入り込みながら、縛られている滝のフルネームを知っているし、今もロープを解こうとしない。

「コードネームか何かか? 本名を知りたいが」

「聞いてもわからないし、意味はないよ、とっくに死んでいる男だからね」

「死人でも名前があるだろう」

 一瞬、鵲は奇妙な表情になった。泣き出しそうな、笑い出しそうな、そう言う感情を感じる自分を不思議がるような。

「…鵲も、死んでるか」

「は?」

「2度と言わないよ。磯崎弘。はい、おしまい」

 呼ぶのは鵲でお願いしますね、と微笑む。

「…わかった。で、俺に何の用だ」

「豪胆なの、それとも無神経? まあいいや、騒がないのは褒めてあげよう。ロープ解くから、これ着て」

 差し出された衣服に合点がいった。同じような『いしろぎリネンサプライ』の作業服と帽子。なるほど、これで滝をホテルから連れ出すつもりなのか。

「嫌だと言ったら?」

「ん」

 ひょいと出されたナイフに滝は口を閉じた。

「小さいけど、人の頚動脈は綺麗に切れるよ」

「…そんな気がした」

「ちなみに、切るのにためらうつもりもない」

「うん、それもわかってた」

 滝は頷き、鵲がロープを切り解き、軽くマッサージしてくれるのに溜息をついた。

「助かる。かなり痺れてたんだ」

「だろうね」

「ついでなんだが……このロープ、お前じゃないんだな」

「……どうしてそう思うの?」

「切りにくそうだ」

「……僕ならもう少し楽に縛ってあげられたんだけど。ごめんね」

 いや、そう言うところで謝られてもだな。

 滝はもう一度溜息をついた。服を脱ぎ、のろのろと作業着に着替える。やや短めだったが、おかしく見えるほどではない。

「似合うね」

「大抵の作業服は似合うぞ、いろんなアルバイトやってたからな」

「だからそれも理屈としちゃおかしいよ。さ、立って」

 鵲に促されて、側のカートに紫の袋を幾つか積み込む。

「外に出たら、滝さんは新人で僕が先輩。帽子はしっかり被って俯き気味に歩いて。声をかけられても頷くだけでいいから」

「どこへ行くんだ?」

「決まってるでしょう、会社に戻るんだよ。ネーム入り作業着着ているのに、他のところへ行くなんておかしくない?」

「へ? 戻って何をするんだ?」

「仕事。あの袋を工場に渡しに行くの。そこからあなたは帰ってもいいよ」

「お前は?」

「僕は仕事」

 鵲はまた微笑む。細めた目の表情は読み取れない。

 滝はまたランティエを思い出した。得体の知れない優しげな男は、裏社会で巧みに人の間を泳ぎ渡って行く。

「ひょっとして……スパイ…とか」

 ドラマの見過ぎかと思いながら口にすると、鵲はもう少し目を細めた。

「やだなあ、一体何言い出すのさ」

「あ、ははっ、さすがにそれはないか」

「あるからびっくり。滝さんて困った人だよね、サノさんやハイユンが持て余すのわかるかも」

「は?」

 さらりと言い放たれてぎょっとする。

 今とんでもない名前を口にしなかったか、この鵲とやらは。

「待て、そのサノさんって」

「あれ? もう結婚してた? 籍入れてた? 滝由宇子になってた? 失礼しました、ごめんなさい」

 ああそうだよな、やっぱりそれはお由宇なんだよな、あの一緒に住んでて、プロポーズしたのに「考えることが多すぎて今は無理」って断られたあいつのことだよな。

 ぱらりと視界が開けた気がして、思わず呟いた。

「何だ、そんなこと気にして、結婚しないつもりだったのか」

「は?」

 今度は鵲が訝しそうに振り返る。開けかけたドアを元に戻して、滝をじろじろ眺めた。

「ちょっと待った、うわ最悪。滝さん、ショウチンラオ聞かされてないケース?」

「しょーちんらお……飯店?」

「どこのラーメン屋だよ、それ。わかった、僕失敗したな。怒られる。やだなあ、ただでさえ面倒な展開にしちゃったのに」

 鵲は深く深く溜息を重ねた。

「帰って無事かな。向こうに戻れるかな。ずっと日本に居ろとか言われるかな。ああヤダヤダ。滝さんて周一郎より始末が悪いね、扱いにくい。絶滅危惧種なんだね、得体が知れない」

 これは何だ、いつかお由宇に天使症候群とか言われた時の雰囲気そっくりだな。

 と言うことは、この優男はやっぱりお由宇の元カレとか今カレとかそう言う類で、だから滝のプロポーズは保留になってしまったのか。

「まあいい、とにかく滝さんはここから出たい、僕もここから離れたい。利害は一致してるから協力してね?」

「あのさ、それなんだけど、一言周一郎に言っとくのは駄目かな」

「ダメ。ごめんなさい、時間がないんだ。でも、一番まずい敵に捕まったわけじゃないから、安心してよ、単なる二重スパイってだけだしね」

「二重スパイ…?」

「ほら、行くよ」

 どことどこの、誰と誰を騙しているのか、そう聞こうとしたが、さっさとドアを開けてカートを押し出す鵲に、俺は慌ててくっついて行った。


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